2014-06-22

"ピタゴラスの定理" Eli Maor 著

いまさら感のあるピタゴラスだが、あらゆる建築術の礎がここにあることに変わりはない。定理そのものの美しさは誰もが認めるところであろう。ただ、あくまでも直角三角形という特殊ケースを扱ったに過ぎない。
ところが、ちょいと変形してみると、何かの呪縛から解き放たれるかのように拡張性を発揮しやがる。三平方の定理や斜辺定理、はたまた鉤股弦の法など様々な呼び名があるように、内包される意味や解釈はいまだ広がりを見せる。幾何学だけでなく、代数的な解釈も豊富で、三角関数といった周期性と結びつくと、公式が無限にあると揶揄される。幾何センスがゼロの泥酔者には、対数螺旋やサイクロイドと結びつくだけで崇高な気分になれる。いや、目が回る。幾何学のバイブル「ユークリッド原論」I47(第I巻、命題47)にも記載される。尚、原論はあくまでも証明集であって、ユークリッド自身がどこまで証明をやってのけたかは不明だが...
証明法に至っては実に400を超えるとされ、本書は、幾何学的証明と代数的証明の分類や、最も短い証明と最も長い証明などの観点から、いくつかを紹介してくれる。ルジャンドルやアインシュタインによる証明、あるいは、プトレマイオス、ダ・ヴィンチ、アメリカ大統領J.A.ガーフィールド... など。無名少女アン・コンディットに至っては、大数学者たちが誰一人としてやらなかったことをやってのけた。定理が単純ならば、解釈も多く、乱用もしばしば。数学的な思考に、アマとプロの境界がないことを改めて意識させてくれる。
「答が宇宙なら質問は何か?はい、それは a2 + b2 = c2。それを証明する方法はおよそ400通りある。それでは他に何かいうことがあるか?たくさんある。なぜだかはよく分からないが、ピタゴラスの定理ほど多くの注釈、変種、応用、珍本を作り出した定理はかつてない。」

ピタゴラスの定理を言葉で表すと... 直角三角形において、直角をなす二辺の平方和は斜辺の平方に等しい... となる。お馴染みの代数的な記述は極めて単純!ちょいと見方を変えるだけで、こうなる。

  d = √(x2 + y2)

喫煙 x と深酒 y といった不摂生が平方で祟ると、寿命ディスタンス d は平方根で縮むという寸法よ。だが、このような形で表されるようになったのは16世紀頃で、ピタゴラスの意図したものではない。代数学には、これに似た恒等式が亡霊のようにつきまとい、ちょいと次元を増やしてみようかという衝動に駆られる。n次元に抽象化された「フェルマーの最終定理」が問題提起されたのは17世紀。オイラーは3次元に憑かれ、ワイルズによって解決されたのはほんの1994年のこと。既に2500年もの歴史がある。
しかしながら、ピタゴラスが最初の発見者ではない。少なくとも千年前にバビロニア人は知っていたし、中国人も知っていたと推測されている。インドにも証明の痕跡が見つかっているそうな。エジプト人も知っていたかもしれない。でないと、あれほどの精度でピラミッドを作るのは難しいはず。となると、実に4000年も遡ることに...
紀元前1800年頃のメソポタミア文明の遺跡は、一辺を 1 とする正方形の対角線の値 √2 のかなり高い精度の近似値を得ていたことを示しているという。「YBC7289(イエール大学のバビロニア・コレクション銘板番号7289)」には、傾いた正方形に2本の対角線の図形が描かれ、d = a√2 の関係を60進法の楔形文字で刻まれているとか。中国最古の数学書「周髀算経」にも、柱と影の長さに関する記述があるという。三辺(3, 4, 5)の説明図とともに。古代ギリシア人のお好きな「グノーモン」ってやつか。やはり人間は、自分の影を引きずりながら生きる運命にあるようだ...

結局のところ、数学とは思考の産物であろうか?自然の産物であろうか?人間とは独立した存在だとすれば、その記述は人間のご都合主義によって編み出されることになる。
ゲーテ曰く、「数学者に何を言っても、彼らは自分自身の言葉に書き換える。そしてそれは直ちに何かまったく違ったものになる。」
数学そのものが信仰や哲学から派生したものであっても、やがて純粋客観へ近づこうとする。ヒルベルトの時代になると、すべての現象は数学で完全に説明できるかに見えた。しかし、不完全性定理の登場で人間の野望は打ち砕かれ、哲学に引き戻された感がある。著者エリ・マオールはこう語る。
「私が考えるには、数学の本質は、型を探し、構成と規則性を探し、一見何の関係もないように見えるものの間の関係を探すこと、現実的であろうと抽象的であろうと問題ではない。この意味で芸術とまったく同質である。とくに音楽に近い。音楽では、ある主題の型、リズムの型が繰り返し繰り返し現れるが、それと同じように、ある代数式が数学のいろいろな分野で繰り返し現れる。」

1. ピタゴラス教団
若きピタゴラスが老師タレスに学んだ可能性は十分に考えられる。ただ、数学が極めて宗教に近い時代、いや占いの類いか。ピタゴラス学派は「万物は数である」という信仰を崇め、古代ギリシア哲学には数を幾何的に記述する伝統が育まれた。プラトンのアカデメイアの門には、「幾何学に精通せざる者、我が門に入るべからず!」と刻まれる。
さて、ピタゴラスの発見に音響学に関するものがある。弦の長さを半分にすると1オクターブ高い音が生じ、元の音と調和することに気づくと、和音の理論が構築された。音楽が数の法則に従うとすれば、宇宙もまた数に支配されると考える。天体運動を数学で説明できれば、天空の音楽理論が構築できる。彼らの数への執念が整数論を育んできた。調和平均、調和級数、調和関数なども、ピタゴラス思想の継承を感じる。
しかしながら、妥協のない数至上主義は、狂信的ですらある。対称美や調和を崇めるあまりに、物理学の進化を妨げた。天文学はあまりにも真円を崇めたために、現実世界が見えなかった。ピタゴラス学派は五芒星形の美しさに魅せられて紋章とし、古代ギリシア人はすべての算術を幾何的操作に頼る。積は面積で代替でき、平方根は対角線で代替できる。言い換えれば、作図不能な算術はできないことになる。ユークリッド原論もこの原則に従う。アルキメデスのような現実主義者は、あまり重要視されなかったのだろう。完全を崇めれば、不完全が見えなくなる。プラトン立体の美しさに憑かれ、やはり人間は美人に目がない。
ところが、聖なる正方形の対角線に √2 という無理数が存在すると知ると、整数にこそ理性の存在を認めていたピタゴラス学派を動揺させた。彼らは秘密主義を誓うが、ヒッパソスが世間に暴露しようとすると仲間たちに船から放り出された、という逸話が伝えられる。やはり、宇宙は... 社会は... 人間は... 適度に不完全とする方が健全なようである。

2. ピタゴラスの亡霊たち
ピタゴラスの定理の源泉を遡れば、バビロニア、中国、インドなど、実に多くの地で見かけることができる。しかし、ピタゴラスが一際輝いているのは、厳密な証明が残されるからであろう。ここに客観性の威力を魅せつける。
ちなみに、イライシャ・スコット・ルーミスという人が、著作「ピタゴラスの命題」で371個もの証明法を分類しているという。数学界では、あまり知られていない人物らしい。大まかに代数的証明と幾何的証明の二つに分け、さらに、四元数的証明と力学的証明に分けているとか。四元数とは、何のことはない。複素数(i)を三次元(i, j, k)に拡張した概念で、その特徴は乗法の交換法則が成り立たないこと。ハミルトンによって提唱されたが、今ではベクトル空間で抽象化される。非可換という性質が、物理現象を扱う上で都合がいいのだ。
さて、ピタゴラスの定理は、無限や微積分といった概念とも結びついてきた。無限級数といえば、リーマンのゼータ関数を思い浮かべる。

  ζ(x) = Σ(1/ns)

オイラーは、ζ(2) = π2/6 に収束すると宣言した。いわゆる、バーゼル問題である。無限和がある数に収束する上に、πという無理数が絡むところに神秘がある。だが、最初に無限積で表す公式を編み出したのは、16世紀のフランソワ・ヴィエトという人だそうな。

  2/π = Π xn, (1 ≦ n < ∞)
  ただし、x1 = √(1/2), xn+1 = √{(1 + xn)/2 }

本書は、これを導出する過程で、円周上を移動する直角三角形の頂点との関係を示してくれる。ピタゴラスの定理は、真円上で振る舞うと周期性と相性がいい。平方根は周期性と調和させるための概念、とするのは言い過ぎだろうか...

また、点(x1, x2)と、点(y1, y2)の間の線分の長さ s はこうなる。

  s = √{(x1 - x2)2 + (y1 - y2)2}

そして、ピタゴラスの定理の微分版がこれだ。

  ds2 = dx2 + dy2

さらに、対数螺旋やサイクロイドとも相性がよく、ちょいと座標系の視点を変えて、半径 r と角度θの関係からも規定できる。

  ds = √{(dr)2 + (rdθ)2}

双曲線正弦(ハイボリックサイン)や双曲線余弦(ハイボリックコサイン)など、実に多くの曲線で応用できる。ユークリッド言論、VI31(第VI巻、命題31)には、こう記されるという。
「任意の直角三角形において、二つの辺の上に立てられた円の面積の和は外接円の面積に等しい。」
つまり、直角三角形の辺の上に立てる図形は、正方形である必要はないということだ。相似形にさえなれば、多角形でも、円でも、それ以外の任意の図形でもいい。図における、面積Aa, Ab, Ac の関係は、こうなる。

  Aa + Ab = Ac






「ヒポクラテスの月」と呼ばれる図形も、ピタゴラスの亡霊に憑かれている(下図)。中心O、半径OA(= OB)の円の4半分OABにおいて、ABを直径とする半円を描くと、外側に三日月の領域ができる。そして、その面積は三角形AOBと同じになる。円周率と関係しそうな面積が、二等辺直角三角形で代替できるとは...




ピタゴラスが周期性に囚われると、平方根 √1, √2, √3,... もまた螺旋状に幽閉される(下図)。





3. ピタゴラスと相対性理論
三次元座標系の原点にある光源から球面波が放出され、光速 c で伝播して時間 t 後に点(x, y, z)へ達するとすると、

 x2 + y2 + z2 = c2t2

これは、観測者が点(x, y, z)にいる場合で、別の観測者が一定の速度 v で動きながら点(x', y', z')にいるとすると、空間次元 + 時間の座標系において以下の関係がある。

  x2 + y2 + z2 - c2t2 = x'2 + y'2 + z'2 - c2t'2

ここで注意すべきは、c にはダッシュがつかないこと。光速はどんな観測系でも一定だから。相対性理論は、なんといってもローレンツ変換が基本!座標系(x, y, z, t)と座標系(x', y', z', t')への変換はこうなる。

  x' = (x - vt)/√(1 - v2/c2)
  y' = y
  z' = z
  t' = (t - (v/c2)x)/√(1 - v2/c2)

ここで、√(1 - v2/c2) は特殊相対性理論の中核をなしている。アインシュタインの有名な公式は、E = mc2 の形で知られるが、実はこうなるわけだ。

  E = {m/√(1 - v2/c2)}c2

4. ピタゴラスの3数
ピタゴラスの3数とは、直角三角形の三辺が(3, 4, 5)になるような整数の組のこと。二つの整数(u, v)において、u > v で、 u と v が互いに素(共通因数を持たない)で、偶奇が逆である時、整数 a, b, c において、

  a = 2uv, b = u2 - v2, c = u2 + v2

が成り立つならば、既約なピタゴラス3数をなす。
また、二つの平方数の和にも不思議な関係があることを紹介してくれる。二つの平方数の和とは、こういうもの。

  2 = 12 + 12, 5 = 12 + 22

そして、次の定理が成り立つという。
「正の整数 a が二つの平方数の和となるのは、a ≡ 3 (mod 4) でないときだけである。すなわち、a を 4 で割った時のあまりが 3 にならないときだけである。」
もっとも、これが与えられるのは、1つの数が二つの平方数の和であるための必要条件で、十分条件ではないとしているが。
3 という数に何か意味があるのか?それとも、mod 4 の方に意味があるのか?必要十分条件の方は、こうなるという。
「ある整数 a が二つの平方和であるための必要十分条件は、a の素因数分解の中に 3 に mod 4 で合同な素数が偶数回登場することである。」
そして、完全平方数が二つの平方数の和である時、ピタゴラスの3数(a, b, c)が得られるという。

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