2018-05-06

"世界の技術を支配するベル研究所の興亡" Jon Gertner 著

精神を完全に解放できれば、時間の概念がぶっとぶ。研究に没頭できれば、崇高な気分になれる。この喜びは、なにものにも代えがたい。その原動力は純粋な好奇心に発し、自由な風土が優れたアイデアを生み出す。そして、個々の喜びが使命感にまで高められた時、強力な産業研究所として成立する。まさにアイデア工場!
原題には、"THE IDEA FACTRY... Bell Labs and the Great Age of American Innovation." とあり、ジョン・ガートナーが、その熱き技術者魂を代弁してくれる。ここで紹介される選りすぐりの人材は、マグネトロンの開発で U ボート撃沈に貢献したジム・フィスク、接合型トランジスタの発明で伝説となったウィリアム・ショックレー、純粋な好奇心に邁進して情報理論の父となったクロード・シャノン、異分野の専門家たちの学際的な知の結集を図って組織論を確立したマービン・ケリー、天才シャノンと経営者ケリーの中間的な位置で技術を見抜き牽引する仕掛け人ジョン・ピアース、作家のごとく完璧な文法を操って聴衆を煙に巻く饒舌家ウィリアム・ベーカーといった奇人、変人、狂人の面々... 彼らが世界のイノベーションハブとしての存在感を示し、史上最強の部類に入るプロジェクトチームであったことは間違いない。ゲーテはカントを評して、こんなことを言った... たとえ君が彼の著書を読んだことがないにしても、彼は君にも影響を与えている... と。エレクトロニクスに携わる技術者ならば、ベル研究所からなんらかの影響を受けてきたはずである...

ベル研究所が発明した功績を挙げても、なかなか言い尽せるものではない。第二次大戦を制したレーダー、電子機器の米と言われる半導体を開花させたトランジスタ、蜂の巣型に無線局を張り巡らせて携帯電話の原型となった移動体通信網、GPS の先駆けとなった通信衛星...
ここではハードウェアばかりが注目され、ソフトウェアにはほとんど触れられないが、ケン・トンプソンが編み出した UNIX や、デニス・リッチーが開発した C 言語も付け加えたい。UNIX は基本的なソフトウェアアーキテクチャの生みの親的存在であり、C 言語は世界中のプログラマに愛されると同時に嫌われ者であり続け、その影響力は今日でも絶大なのだから。そして、なによりも見逃せないのは、これらの技術が今日のデジタル社会を根底から支えるシャノンの情報理論と結びついてきたこと。すなわち、2 を底とする対数の世界と完全にマッチすることである。
その名が、グラハム・ベルに由来するのかは定かではないが、電話交換機から派生してきたことは見て取れる。20世紀初頭、AT&T が掲げた「ユニバーサル・コネクティビティ」という壮大な構想は、今日のクラウド・コンピューティングに受け継がれている。
情報を制する者が世界を制す!と言われるが、それは古代から証明されてきたこと。人間の本能には、なんでもいいから繋がっていないと不安でしょうがいない性分があり、概してコミュニティやコネクティビティってやつに憑かれる。情報交換こそが繋がりをもたらし、それが友好を温めるものであったり、欺くものであったり。いくら名目上の実力社会を言い張っても、本性上のコネクション社会を免れない。世間では悪魔のように攻撃を受ける情報隠蔽体質にしたって、感情的で本性的なものだ。自分だけが知っているという事が自尊心をくすぐり、自意識を肥大化させる。おまけに、誰かに喋りたくてしょうがないという相い反する性分まで抱え込む。ベル研究所は、こうした人間の本能をくすぐる領域を制したことで、技術史上比類なき成功を収めたということは言えるだろう。
産業史上これほど大規模な独占企業を生み出したのは奇遇といえば、そうかもしれない。ただ、電信通信業界では「自然独占」という形態がよく指摘される。安定したサービスを隅々にまで行き届かせるためには、都市部の収益で地方を賄う必要があり、こうした業界体質に便乗して巨人化していった様子が見て取れる。それは鉄道業界や運送業界にも言えることだ。物流、郵便、情報の集中する場所が... あらゆる流れを支配する者が... そして、彼らが開花させたエレクトロニクス業界は、様々な種のネットワークを形成し、いまや知のハブとしての存在感を示そうとしている。
一方、現在のベル研究所はと言うと、皮肉なことに一大企業に属す一産業研究所という地位に甘んじている。どんなに優れたアイデアも、どんなに優れた技術も、やがて模倣され、改良され、庶民化し、凡庸化していく。生き残るには、この道しかなかったのやもしれん...

1. あぁ、産業研究所よ...
皮肉なことに戦争が発明の母となったことは否めない。人間なんてものは、必要に迫られなければなかなか実力を発揮できないもの。アルキメデスの時代から、最先端を突っ走ってきたあらゆる科学技術は、まず軍事の応用として現実味を帯びてきた。レーダーの開発者たちは、よくこう語り合ったとそうな。
「戦争に勝てたのはレーダーのおかげである。原子爆弾は単に戦争を終わらせただけだ...」
レーダーは、対象物から反射波をとらえるという科学的には単純な原理であっても、技術的にはなかなか手ごわい。微小信号につきまとう雑音と減衰という S/N 比の問題は、通信制御の基本中の基本。米国政府のレーダー開発への投資額は推定30億ドルに達し、原爆の20億ドルを大きく上回ったという。
戦争の最大の発明は、VT 信管だという意見もよく耳にする。だが、社会的なインパクトという意味では、原子爆弾ということになろうか。なにしろ悪魔の代名詞とされるのだから...
動機はなんであれ、光学、音響学、反響学、磁気学、有機化学、冶金学、気象学など、実に多くの科学的知識が結集した結果、エレクトロニクス時代の幕開けとなった。ベル研究所の社員は、人間のコミュニケーションにわずかでも関係のあることなら何でも研究するという。有線であろうが、無線であろうが、音声データであろうが、画像データであろうが。この時代にあって生理学や心理学までも研究対象にしていたとか。
彼らの哲学的動機には、なんとなく共感できるところが多い。おいらが、ある電機メーカで研究所と名のつく職場に十年ほど籍を置いていたこともあろうか。研究者という人種は、世間で無価値とされるものに価値を見出そうとする。それも執念めいたものによって。ただし、失敗を恐れない挑戦!と言えば聞こえはいいが、贅沢な資金を後ろ楯に失敗感覚が慢性化していくことにも留意したい...

2. あぁ、偉大なトランジスタよ...
近代技術の最大の発明は何か?と問えば、酔いどれ天の邪鬼は、即トランジスタ!と答えるだろう。仕事柄もあろうけど、トランジスタを語り始めると、かっぱえびせん状態になるのだ。
何が凄いかって?
まず、増幅作用を挙げよう...
電流が流れる固体物質といえば鉱物だが、こいつを経由すると電流が増幅するとは、まさに物質の偉大さを示している。電力源が貧弱でも中継器で増幅すれば、いくら遠距離でも電力を供給することが可能となる。そして近代科学は、電子の流れを研究するための専門分野、とりわけ、表面準位を研究する結晶学、バルク特性を研究する界面化学、金属素材を研究する冶金学といった学問を開花させてきた。いわば、基礎物理学の領域である。あの仮説を嫌ったニュートンも錬金術に執着したという説があるが、まだ妖術や占星術の域を脱していない。あるノーベル賞級の経済学者はこんなことを言った... 基礎物理学者には金融アナリスト並に報酬を払うべきだ... と。尤も真理を探求しようという者が、報酬にこだわりを持つことはあるまい。ちなみに、おいらが美少年と呼ばれていた頃、この増幅特性に感動したものである。物性学は赤点だったけど...
次に、スイッチング特性を挙げよう...
電流を流したり、遮断したりする制御が、外部から電圧を加えることで簡単にできる。それは、トランジスタの ON/OFF 制御がそのままデジタル値の 0 と 1 に対応し、シャノンの情報理論とすこぶる相性がいいことを示している。ブール代数が電子回路の基本原理となり、いまやトランジスタの構造を知らなくても回路設計ができるという寸法よ。
さらに、物理構造に目を向ければ、奇妙なことに気づく。抵抗などの回路素子が無いにもかかわらず、それだけで等価回路が実現できるのだ。天の邪鬼な美少年は、教科書に掲載されるトランジスタの等価回路にいつも懐疑的であった。物質をくっつけていくだけで多段回路が形成できるということは、いくらでも集積可能ということだ。そして、半導体業界は微細化との戦いを強いられてきた。そろそろムーアの法則も息切れ気味で、それを量子コンピュータが引き継ぐのかは知らんが...
また、半導体をくっつけるだけで得られる重要な特性に、整流作用がある。ダイオードってやつだ。電流を一方向にしか流さないという性質が、交流を直流に変換することを可能にする。遠隔地へ電力を供給するには交流が有利で、細かい電子制御には直流が有利なので、その住み分けが明確にできる。ダイオードを片トランジスタなんて表現すると差別用語と言われそうだけど、PN 接合という単純な構造こそがトランジスタの基本特性を引き出している。
ただ、天の邪鬼な美少年は、マクスウェルの悪魔くんがどこかに一人ぐらいいるのでは?と懐疑的であった。実際、逆電流がわずかながら流れるってこと、それを安定的に動作保証するのが技術者の使命だ。
こうして改めて眺めていると、トランジスタこそが物質に情報を結びつけた立役者であり、トランジスタこそがデジタル社会の牽引役であったと言うのは、ちと大袈裟であろうか...

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