ちらっと表紙をめくった瞬間、眼の中に飛び込んできたフレーズに思わず買ってしまう。
「抽象化は人間独特のものだ。私たちはいつ何どきでも、目覚めているかぎりは抽象化を行っている。しかし、ずっとそうしてきたわけではない。有史以前のいつか、はじめて抽象化が行われた瞬間があったはずだ。原始の人類が何かを見つめ、なんとなく見覚えがあるなと思い、突然 "ああ、またアレだ!" とひらめいた瞬間が。それが最初の抽象化である。その瞬間から、何もかもが変わった。人はこの地球上に解放された。」
トム・デマルコ氏の本を読むのは久しぶりか。相変わらずリズミカル、やはり仕事で最も大切なのはリズムである。仕様検討から成果物を出すまでの周期、あるいは達成感を得る周期、こうしたものが仕事にリズムを与え意欲を持続させる。
一方で、大変だ!急げ!などと、いつもアドレナリン全開で働いている組織を見かける。しかも、全員が120%努力しているにもかかわらず、確実に日程が遅れる。そして、必ず耳にするプロマネの口癖は「日程を死守せよ!」である。死んでもらいましょう!道連れなしで...
「アドレナリン中毒の組織は、猛烈に動き回ることが健全な生産力のあかしだと信じている。」
政治的にアドレナリンジャンキーな状況に追い込まれることがある。例えば、過去の技術資産を流用すれば日程が大幅に短縮できる!なんて甘い誘惑に、部長クラスのオヤジたちは簡単に引っ掛かりやがる。政治的に持ち込まれるブラックボックスは悪臭を放つ。黒幕のゾンビが潜んでいる違いない。そして、システムにマッチするかどうかも検討されずに、日程会議だけが先行するのだ。
上流工程を疎かにすると、リリースに近づくほど厄介な問題が発生するようにできている。このようなプロジェクトでは、優先順位が絶えず変化する。仕様書の変更が重要かと思えば、すぐに妥協して次の作業にとりかかある。致命的な問題を抱えながら、緊急作業が続々と発生し、その状態が慢性化するのだ。とにかく突っ走る。忙しくしていないと落ち着かない。この種の組織文化では、死に物狂いに作業することが、効率性と同一視される。
とはいっても、アドレナリンジャンキーがいつも失敗するわけではない。猛烈なペースで何年も事業を続ける場合だってある。だから余計に厄介なのかもしれない。しかし、安定性と長期計画の必要な仕事では、必ずボロを出すだろう。
このような組織体質は、ひとえにプロマネの体質で決まるだろう。要するに、仕事に対する戦略的思考が欠けているのだ。充分に検討された仕様は日程の精度を上げる。それを知っているプロマネは、部下をこのような状況にけして追い込まない。メンバーがモチベーションを失うことが、品質にとって最も危険であることを知っているからだ。最初から成功の見込みがない仕事もある。しかも、誰も意見しようとしない空気が深刻さを物語る。問題点を挙げようものなら、ヤル気がないやら、チームワークを壊すやらと言われ徹底的に叩かれる。そして、本当にヤル気を失う。チームが成功への情熱ではなく、恐怖心を原動力とするようになれば悲劇だ。いや、喜劇か。このような状況に追い込まれるぐらいなら、最初から仕事を潰した方がみんな幸せになれるだろう。そぅ、人生は短いのだ!そして、二度ほどプロジェクトを葬ったプロマネは「プロジェクトの必殺仕事人」と呼ばれるのであった。
...尚、これはフィクションです... ヘーックション!
本書には、どこかで見かけたような86ものパターンが、気の向くままに羅列される。しかも、良い例と悪い例を混在させながら、あえて善悪を示さない。構造的に知識を理解する方法もあろうが、あえて実践的なパターンに触れることで直感を研ぎ澄まそうという魂胆だ。
尚、特に決まった順序立てもなく様々なパターンを紹介する構成は、建築家クリストファー・アレグザンダーの著書「パタン・ランゲージ」の影響だそうな。この書にも興味がわく。わぁお!1万円もするのかぁ...
原著は、コンピュータ業界のオスカーともいわれる「Jolt Awards」を受賞(2008)。著者は、トム・デマルコ、ピーター・フルシュカ、ティム・リスター、スティーブ・マクメナミン、ジェームズ・ロバートソン、スザンヌ・ロバートソンの6人で、アメリカ、イギリス、ドイツを拠点としながら、年に一週間だけカリフォルニアに集まって書き上げたという。究極の分散チームから生まれた一冊というわけだ。パターンの中には洒落た題目や惚れ惚れするフレーズがちりばめられる。どれも甲乙つけがたいが、スパイシーの効いたところを、経験と重ねながら摘んでおこう。なぜかって?泡立ちのいいビールの横に、辛さの効いたカラムーチョがあるから。
1. 幸福礼賛会議
「みなさんの意見を聞かせてください!」と発言する友愛的な人間が仕切る会議を見かける。だが、そういう人に限って突飛な意見を迷惑がるようだ。実は意見を求めているのではなく、賛同してほしいのだろう。意見の対立や批判が人間関係をぎくしゃくさせると考える時点で、議論の意味を失っている。感情論に走られても困るが、論理的な意見であれば、むしろ歓迎する技術者は多い。本音で議論するからには、ある程度の感情を表現してもよかろう。議論に熱中すれば、気持ちも熱くなるものだ。
哲学的な共通認識をチームに植え付けてさえおけば、互いの指摘は批判まで発展せず、互いに成長していることを実感できるだろう。グチりやすい雰囲気って、なんか楽しい!冗談で言えるうちは。チーム内に不満や批判が生じないとすれば、互いに向上心を放棄したことになろう。
2. アイコンタクト
プロジェクトの地理的な分散化は、時代の流れでもあろう。だが、場合によっては、全員を同じ場所に集める方が良いこともある。例えば、緊急かつ複雑な場合。
「フルタイムの熱心なプロジェクトメンバーが1か所に集まると、ある種の奇跡が起こる。ほかのメンバーのニーズや能力を理解するようになり、それにともない、チームの力を最大限生かせるように自分自身のやり方を修正していくのだ。」
これは古い考えにも映ろうが、チームの本質かもしれない。少数精鋭で集まる方が良いのは、今も昔も変わらないだろう。
一方で、コンサルに乗せられて、コストダウンのために「分散化チームの神話」を鵜呑みにする経営者たちがいる。だが、分散化を機能させるには、互いの意思疎通が築けた時であろう。機械的に分散すれば、むしろ効率性は失われるだろう。また、メールのような文章は意図が伝わらないことが多い。文章だけでは情報量は意外と少ない。あまり面識のない相手の場合、論理的な文章が険悪な雰囲気にさせることもある。それを考慮して、文章に冗談を巧みに埋め込むことのできるような能力を持った人がいる。こうした能力の持ち主は、直接顔を合わせるべきかどうかの按配をよく心得ているようだ。人間関係が軌道に乗れば、ネットなどの通信手段は予想以上に効果を上げるだろう。
3. 信者とミケランジェロ組織
「特定の方法論を教義のように受け入れる人がいる。教典から少しでも外れるのは冒涜だと思っている。」
プロジェクトの方法論には、万能な黄金手法など存在しないだろう。したがって、現場の経験から育まれるものが多く、組織によって独自の手法が生まれるのも自然であろう。
「プロジェクトに信者がいると、身動きがとれなくなることがある。コンテンツに集中せず、手法戦争を始めるのだ。」
ちなみに、コンサルが信者だと質が悪いという話を聞く。「コンサルとは、混乱した猿!」と誰が言ったかは知らん。いや「混乱させる猿!」だったけ?
また、自動ツールに憑かれるプロマネがいる。リソースが足りないという圧力を受けながら、藁にもすがる思いで。そして、見事にツール営業マンにしてやられる。ツールが便利なことは言うまでもない。だが、ユーザにも相当のスキルが求められるという事実を見落としていると指摘している。
「たがねは買ってやった。なのに、どうしてミケランジェロになれないんだ?」
こうした愚痴をこぼす組織にかぎって、能力よりも給料の安さで人材を雇うという。ミケランジェロ組織には、買ったきり積まれたままのツールの山があるという。
4. プロは技術に魂を売らず、魂を貸す!
「一流のプロのほんとうにすばらしい点は、確立された個人やチームの能力に問題をはめ込むのではなく、問題に合わせて解決策をつくろうとすることだ。」
長年かけて習得したスキルを捨てることは容易ではない。だが、新しいアイデアの優位性を認めたならば、乗り換え意識を働かせるのが技術者の宿命であろう。それには、新しいというだけで鵜呑みのするのではなく、その長所を十分に吟味する必要がある。だが、新しいアイデアを片っ端から調査することは不可能だ。流行りのアイデアともなれば、誇大宣伝の魔力に憑かれる。深く考えないまま熱狂すれば、魂までも売り渡すことになろう。技術を手法として捉えるだけではなく、哲学的に理解している人は、意識の移行も素早いようだ。ここで述べられるのは、あくまでも姿勢の問題である。
5. 永遠の会議
「いつまでも不満を与える権利を与えていて、結局は何も決まらない。」
できれば余計な論争を避けたいというのも分かる。だが、プロマネが悪役を買って出なければ、プロジェクトは迷走するだろう。賛成しろ!と命じたところで無駄だ。決定に従うことと、賛成することは別なのだから。メンバーたちは、そういう日和見的な態度をよく観察している。好転したプロジェクトの影では、あらゆる意思決定の権限を持つプロマネが、穏やかな独裁者として振る舞っているものだ。プロマネが勇気を持って決断しなければ、チームを狂乱させるだけだ。
6. 映画評論家
「映画評論家とは、プロジェクトにとって自分の価値は、過去や今後の間違いを指摘してやることだと思っていて、間違いを正すためには何もしないメンバーや傍観者のことである。」
開発途中でほとんど発言しない者が、リリース直前になって意見する場合がある。今まで何をしてたんだ?と言いたくなるような。だが、批判者が必ずしも映画評論家になるとは限らない。違いは時期にある。問題に気づいてすぐさま指摘するならば建設的な意見となるが、映画評論家が発言するのは映画が完成してからだ。映画評論家は、プロジェクトの成否にかかわらず、自分が正しいと思われたいだけだという。政治家に多いタイプか。
一方で、プロジェクト開始当初から、少し距離を置いて評論家の立場を表明する人を見かける。しかも、優秀で意見も鋭い。こういう人物を、いかに中心的人物に押し上げるか、これこそプロマネの腕の見せどころであろう。
7. かかし
「かかし」は抽象化モデルではなく、ソリューションだという。クライアントの要求を引き出したり、クライアントの批判を避けるために、最小コストでプロトタイプを提供する。優秀なアナリストは、「何がお望みですか?」とは聞かないという。それが不快な質問になりやすいことを知っているから。人は白紙から答えをつくることを嫌がるが、既に存在するものに対して批評するのを好む傾向がある。
「クライアントは、実物を見るまで、そして「これは違う」と思うまで、自分が何が欲しいのかわからない。」
最高のかかしモデルには、意図的な間違いまでも組み込まれているという。わざと批判の余地を与え、そこに注意を促せば、弱点を目立たないようにもできる。間違いを見せることで、その修正から方向性を導くこともある。完全に近いモデルからは間違いに気づきにくい。議論を活性化させるには、道化を演じることも大切というわけだ。
「すでに自分はかかし戦略を使っていると思う人も多いかもしれないが、そのモックアップを指さされ、笑われたことはあるだろうか。そこまでしてこそかかしである。」
なるほど、その域までは達していないなぁ。笑わせるつもりがなくても、人間性そのものが笑われているけど...
8. ダボハゼ
「コスト削減と人員削減の時代、企業は新しいソフトウェアを十分に開発していないため、戦略的に優位に立つ機会を失っているというのが、少なくともITプロフェッショナルの間の一致した見方になりつつある。この見方に賛成だという人は、その反対の状況についてちょっと考えてみてほしい。もしかしたら、ソフトウェアをつくりすぎているのかもしれないと。」
9. 裸の組織
「組織で何をするにも全員がすべてのことを知っている必要があるなら、その組織はおしまいである。」
組織の体質がオープンであれば、なんとなく自由を感じ、民主主義的で美しい組織に映る。しかし、オープン過ぎるのも弊害がある。情報が多すぎれば注意力も緩慢となり、なによりも個人の責任範囲が明確になっていないことを意味するだろう。プロマネが、何もかもみんなに知ってもらいたいという主旨も分からなくはない。そこには人材を育てたいという意図も加わる。ある程度のオープン化は必要であろうが、完全なオープン化は機能を妨げることになる。その按配が難しいのだけど...
10. ブルーゾーン
「チームに少なくともひとり、いつも与えられた権限以上のことをするメンバーがいる。」
上司がいないかのように振る舞う人がいる。プロジェクトにとって純粋に良いと思って、命令に関係なく勝手に行動する。それが、やり過ぎるというわけではない。自分の権限を限界まで引き延ばすだけのこと。この領域が「ブルーゾーン」だ。対して、指定された任務だけを遂行するのは「グリーンゾーン」で、権限の範囲外を侵すのが「レッドゾーン」。ブルーゾーンで行動する根本には自由思考がある。その範囲を心得ている人は、レッドゾーンで動く時には必ず許可を求める。つまり、その境界を認識できる優秀な人材で、チームにとって非常にありがたい存在なのだ。おそらく、それで失敗してクビになっても本望だと思っているのだろう。そのぐらいの覚悟と自信があるのだろう。
また、給料よりも仕事そのものが好きという人たちがいる。仕事が好調だったり、製品がクールだったりして。給料が上がればそれはそれでうれしいが、それ以上に仕事の質にこだわる人たちだ。落ち着いていて、仕事を楽しむ雰囲気を醸し出し、チームに良い酸素を与えてくれる。しかも、監督する必要がまったくない。自然体で純粋に知への渇望をみなぎらせている。こういう人物は扱いやすい。だが、ちょっと扱いを間違えると、あっさりと組織から去っていく。優秀だからといって何もかも仕事を押し付けると、次第に嫌気がさす。そういう人間の代用は容易には見つからない。
11. 隠れた美
「完璧というものは、付け足すものがなくなったときではなく、取り去るものがなくなったときに達成される」
-- アントワーヌ・ド・サンテグジュペリ
隠された機能が美的感覚など無縁だというのは、とんでもない間違いだと指摘している。そして、仕事の成果がほとんど見えない状況では、細部までもよく見てデザインの質を評価するマネージャの存在は、設計者に大きな影響を与えるという。自己満足かもしれないが、コードにはエレガントに書きたいという欲望が込められている。見えないところにこだわりを持ち、宇宙原理のような崇高な領域に向かったりするのが、プロとしての特質でもあろうか。この特質は、芸術家のそれと似ている。
12. 生半可なアイデアの美徳
「強いチームは、未完成のアイデアでも安心して口にする。このようなことを奨励しているチームは多い。」
強いチームは、生半可に思えるアイデアでも育てようとするという。ブレーンストーミングや、創造的なワークショップがうまくいくのは、そのアイデアが不完全でも、不可能に思えても、馬鹿げているようでも、臆せずに発言できるところにあろう。そこに個人的な中傷や嘲笑などはない。完全武装しないとアイデアが発言できないのであれば、イノベーションの起こる可能性を封じることになる。したがって、雑談もまた仕事のうちと考えている。もしかして、雑談好きの酔っ払いには困ってるかい?
13. テンプレートゾンビ
「文書の内容を検討することより、標準文書を作成することに懸命になっているプロジェクトチームを見つけたら、そこはテンプレートゾンビの国である。」
テンプレートが必ずしも悪いわけではない。むしろ、一貫性のある文書は読みやすい。だが、すべてのドキュメントが、内容的に画一化できるものではない。
ちなみに、ドキュメントレビューで、文字の大きさ、フォントの種類、誤字脱字などを指摘することを、我チームでは「姑チェック」と呼んでいる。こういう気配りのできる人は非常に貴重だ。おまけに、内容までチェックしてくれれば、これほど強力なことはないのだけど...いや、すぐにそうなるさ!
2011-08-14
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