言語の威力には、目を見張るものがある。思考やアイデンティティを自己確認するために欠かせないばかりか、世界を品定めするためにも...
まず、目の前の現実をどう見るか、どう意識するか、どう解するか。人は自然言語を通して推論する。日常会話で交わされる自然言語は極めて主観性が強く、暗黙的に共有される知識が渦巻く。これを補完し、確かな知識とする言語とは...
尚、松浦俊輔訳版(青土社)を手に取る。
「数学の言語で世界を想像する。」
ロビン・アリアンロッドは、客観性を帯びた数学という言語が、物理学で重要な役割を演じてきた歴史を物語ってくれる。
科学の主役といえば、やはり物理学であろうか。かつて科学は自然哲学と呼ばれ、古来、哲学者たちは、物理的な存在をめぐって論争を繰り返してきた。地球という存在、人間という存在、自己という存在を問えば、地球中心説、人間中心説、自己中心説を免れない。そこには、重力を介して存在の重みを感じる。
数学は、客観性において他の学問を凌駕する。自然言語との大きな違いは、予測的な扱いにせよ、数量的な扱いにせよ、その精度にある。そして、記述量の効率性ばかりか、無矛盾性を信奉とする。無味乾燥な学問と批判されることもあるが、自己顕示欲の強い人間には自省の念を抱かせるのに欠かせない。そのために、かつての科学者たちは宗教裁判の餌食にもされてきた。ちなみに、数学と無縁な哲学者を、おいらは知らない...
数学という言語の基本文法は、単純な算術の規則に基づいている。主役となる加法や乗法は、一般化され、抽象化され、数学者の関心事は数える対象から数の性質へと向かう。数の体系において、交換法則、結合法則、分配法則などが成り立つかとうかを問う方向へ。
そして、物理的な実体は、算術の対象になりうるか。人間の実存認識は、数の概念との結びつきがすこぶる強いと見える。
人間にとって、物理的な存在には大まかに二つある。目に見える存在と、目に見えない存在とが...
前者は見たまんま!これに、方程式が後ろ盾となれば、説得力を増す。厄介なのは後者だ。いくら方程式が後ろ盾になろうと、世間はなかなか受け入れちゃくれない。
正しく見るとは、どういうことであろう。一つには、ありのままに見るということがある。だが、それだけでは足りない。ありのままに見ようとして、却って解釈を誤ることもしばしば。そればかりか、人間には見たいものを見ようとする性癖があり、見たくないものは見えないのである。現実を結果として追認し、正確に描写することはできても、それで現象を理解したことにはならない。特に目に見えない領域では、物理的な直観よりも数学的な思考が優ることが多い。
科学者たちの豊かな想像力は、無味乾燥な記述にも向けられてきた。目に見える世界は... 星座であったり、惑星であったり、リンゴであったり、これをガリレオやニュートンが...
目に見えない世界は... 電気であったり、原子であったり、量子であったり、これをファラデーやマクスウェルが...
そして、双方に関わる世界では、宇宙全体を思い描いたアインシュタインが...
彼らの想像力に幾何学と代数学の統合を見る。
幾何学的な視点は、ベクトル空間や、これを拡張したテンソル空間に...
代数学的な視点は、三角関数や微分積分学の記述に...
「アインシュタインをして、『ニュートンが理論物理学を創始して以来、われわれの物理的実在の構造のとらえ方が経た最大の変化は、ファラデーとマクスウェルによる電磁現象の研究に発する』と言わしめた。」
「場」の概念は、回転(rot)、発散(div)、勾配(grad)といった幾何学の操作に、微分演算子(∇)といった微積分学の記述が絡み、想像の世界を広げてきた。電磁場を記述するマクスウェル方程式しかり、重力場を記述するアインシュタイン方程式しかり。やはりマクスウェルの想像力には、目を見張るものがある。電気や磁気にも、光のような波の性質を想像させるのだから...
今となっては光も電磁波の一種だが、人間の目に見えるか見えないかの違いは大きい。放射線も電磁波の一種だが、人体への影響は如何ともし難い。物理法則に照らせば同類項でも、周波数が違うだけで人間社会での扱いは雲泥の差ときた。
本書は、かの四つの方程式で記述される電場と磁場の共演(饗宴)を、ウィリアム・ブレイクの四行詩になぞらえる...
一粒の砂に世界を、
野の花に天を見るべく、
手のひらに無限を
いっときで永遠をつかむ
