2017-07-09

"グラハム・ベル空白の12日間の謎" Seth Shulman 著

状況が混沌とすればするほど政治力がものをいう。人間社会とはそうしたものだ。悲しいかな、真に技術に執心する者ほど政治に関心が薄く、そうした策謀に疎いものである。電話を発明した人は誰か?と問えば、真っ先にアレクサンダー・グラハム・ベルの名が挙げられる。理科の教科書や子供向けの伝記物語、そして権威ある学術書に至るまで。特許を巡っては、イライシャ・グレイとの争いが知られているが、グレイの出願が数時間遅れたことが不運な野呂間とされ、歴史からその名は消えた。歴史とは無残なもので、一番でなければ抹殺される運命にある。bell(鐘)という名が、電話により一層インパクトを与えたのかは知らん。
しかしながら、産業革命がもたらした発明の時代とは、一攫千金の時代。けして一人の発明者が崇められるほど単純な時代ではなかったはず。ましてや通信業界は、自由精神を体現するツールとして強力なだけに、そこに政治力が関与すると、いびつな世界にしてしまう。おまけに、儲け話が絡めば野心家どもが群がるは必定。実際、ベルが創設に関与した AT&T の前身ベル・テレフォン・カンパニーは、世界最大の収益を独占した。今日の特許闘争でも、争っている当人たちではなく、第三者のものではないか?といった多くの疑問が投げかけられる。
「歴史の勝者は、物事がどのように記憶されるかをコントロールするのに最適な立場にいる。」

サイエンス・ライターのセス・シュルマンは、ベルの実験ノートを見て腑に落ちない点を見つける。12日間の空白... そして、突然わいて出たアイデア... これが天才のなせる業!と片付けてしまえば、それでお仕舞い。
しかし、シュルマンはベルの足跡を執念で追い、そこに渦巻く政治的思惑を突きとめる。神格化されたベル伝説の裏に、法律家ガーディナー・ハバードたちの限りなく疑わしい陰謀があったことを。
ベルの資料が米国議会図書館で見事な目録まで添えられるのに対して、グレイの業績に関する文献は数も少ない。そんな不利な状況でも、グレイが受けた不当な仕打ちを明らかにしようとしたロイド・テイラー博士のような人たちがいる。テイラーは、グレイの親族から長年忘れられてきた書類の山を引き取っていたという。その意志を引き継いだシュルマン。事実を細い糸でつなぎ合わせれば、まさに糸電話の伝言ゲーム... ベルは電話のアイデアを盗んだのか?
とはいえ、歴史を完全に明るみにすることは不可能であろう。真相を知るのは当事者だけであるばかりか、当事者ですら分かっていないこともある。当時の電信から派生した電話にしても、さらに派生したインターネットにしても、人間社会でこれだけ恩恵を受けていれば、誰が発明者だ!などと権威を振りかざしたところで詮無きこと。この物語は、いわばベル崇拝者へ叩きつけた挑戦状と言えよう...
「電話の発明に関するこの研究で、わたしが何かを学んだとすれば、それは、歴史というものは、常に挑み、問いたださねばならないということである。この点で妥協すれば、世代から世代へとささやかれる歪められた物語を暗黙のうちに受け入れてしまうことになり、その結果、まるで小どもが電話機を真似て遊ぶ伝言ゲームのような状況に陥ってしまうだろう。」

ベルの実験ノートは、高解像度デジタル再生画像としてネットに公開された。インターネットで情報検索する利便性は驚異的で、いまや大概の知的情報が入手できる時代となった。ただ、あまり便利な環境を提供してくれるがために、現地に行ってまで調査しようという気分が起こらないのも事実で、おいらのような面倒臭がり屋には実に都合のいいツールである。言い換えれば、一度真実という地位を獲得すれば、勝者になれるという恐ろしいツールでもある。インターネットには実に多くのヒントが埋れている。にもかかわらず、なかなか自分の目で見ようとはしない。こうしてブログを書いているおいらも、この一冊を読んだだけで分かった気になろうとしている。
一方、ここで紹介される実際に多くの資料館を訪れる様子は、推理小説バリ!シェルマンはインターネット上にある一つの仮想知識を現実知識へ変えてくれた... というのは、ちと大袈裟であろうか。
「ベルに名声をもたらした有名な物語が、史上最もおぞましい剽窃の中心人物として彼を永遠に留めるものになっているのだ。」

1. アイデアは盗まれたのか?
電話の基本原理は、リード線を振動させて電磁石の接触と非接触の状態を交互に繰り返すことによって、振動周期に対応する断続電流を生じさせるというもの。この断続電流は、電信線を伝わって離れた場所にある受信機のリード線を共振させる。
ちなみに、これを制御するための開閉回路は、今日では可変抵抗回路と呼ばれ、重宝されている。この可変抵抗の原理を、最初に理解した人物という意味では、ベルは賞賛に値するだろう。だが、発明家が問題とするのは、現実に振動させる方法である。
グレイが考案したのは、送信部の導線を液体中で振動させるという液体送信機だったという。ところが、ベルの実験ノートには、こうした液体を試すといった徴候がまったく見られないばかりか、ベルがイギリスに送った出願特許にも、可変抵抗に関するパラグラフが含まれていなかったという。なのに、アメリカ特許庁への出願直前に、とってつけたようにグレイの構成図が描かれていたとか...
「発明者が、自分の発明の要となる特徴を、最後の瞬間まで見落としているなど、あまりに妙ではないか?」
こんな見え透いた剽窃行為を認めたとなれば、ベルの不手際というより、米国特許庁の不手際を明るみにする事件となる。ベルの特許が「電信の改良」であるのに対して、グレイの出願は「電信によって音声を送受信するための装置」で、後者の方が電話を意識した題目である。ベルにとって電話は、派生的な玩具としか考えていなかったのかもしれない。ベルが名付けた「多重電信」とは、複数のメッセージ周波数を互いに干渉しないように同時に送受信するというもので、現存の電信をより商業的に活用するという意味で政府や企業からの圧力が強かったと見える。
テイラー博士は、数々の未発表文献から、ベルがグレイの液体送信機の構成を盗用したと確信したという。グレイは、ベルよりも一年も早く、かなり洗練されたミュージカル・テレフォンの受信機を製作して、公で演奏していたらしい。そして、博士はグレイを可変抵抗の原理を実際に機能させた最初の人物と結論づけている。本書も、この結論に吸い寄せられるように未公開資料を辿る。しかし...

2. 人徳者がなぜ?
あまり知られていないが、エジソンとベルは同年齢で、1847年に12日違いで生まれたそうな。二人は、性格も生い立ちも、発明に対するアプローチもまったく違い、激しく競い合ったこともあまり知られていないようである。
エジソンは、短気な独学者で白熱電球を発明し、実験派として知られる。
対して、ベルは、ボストン大学で教鞭をとり、洗練された貴族のような雰囲気の持ち主で、理論が実験的研究を先導すべしとする理論派だったという。また、ヘレン・ケラーにサリバン先生を引き合わせた逸話に象徴されるように、聴覚障碍者の熱心な教育者としても知られる。本書に紹介される知人たちの証言にしても、ベルの評判はすこぶる良い。
そんな人格者がなぜ?ただ、人徳者や正直者というのは、政治屋どもに利用されやすい側面がある。ベルの運命を変えたのは、妻メイベルとの出会いであったのかもしれない。ベルは、聴覚障碍者学校の生徒メイベルに恋をする。ベルの純粋さは、彼の日記、助手ワトソンの証言、メイベルや彼女の母親に送った手紙からも見て取れる。
だが皮肉なことに、メイベルの父ガーディナー・ハバードは辣腕弁護士で有能な実業家であった。ベルは開発スポンサーとしてハバードに頼ろうとするが、逆に野心に飲み込まれてしまう。
そして、特許審査官ゼナス・ウィルパーを抱き込むよう画策した証拠が浮かび上がる。ウィルパーの宣誓供述書には、金銭の受け渡し、非公開のグレイの仮特許を見せるよう強制されたことが記される。だが、彼はアルコール中毒を自認しており、法的な価値は失われたようである。そもそもグレイが最初に申請したのは仮特許であって、公開される類いのものではない。なのに、ベルとグレイがやり取りした手紙の中で、ベルは仮特許の詳細についてうっかり漏らしているらしい。ベルの特許は、実際に動作するものがないにもかかわらず出願され、しかも異例の速さで承認された。
さらに、ハバードの画策は続く。1876年、アメリカ独立百年祭のフィラデルフィア万博で、錚々たる審査員の前で実演させた。客観的に見れば、技術的にはグレイの実演が優っていたようだが、高い評価を受けたのは実演をうまくやったベルの方であった。政治的な振る舞いが奏功したものの、ベルには憂鬱な気分が残る。
「生涯を通して、ベルは聴覚障害の問題に深い関心を抱き続けました。実際、このうえなく謙虚で人間性にあふれる人物だった彼は、自分は電話の発明者としてよりも聴覚障害の教師として人々に記憶されたいと家族に話していました。」

3. 先人たちの功績
1878年、ベルと同時代の電気研究者ジョージ・プレスコットは、「しゃべる電信機、、会話する蓄音機、そしてその他の新奇な装置」という本を出版したという。
1939年、電気技術者ウィリアム・エイトケンは「誰が電話を発明したのか?」という本の中で電話の歴史を再検討したという。
さらに、1995年、ルイス・コーは「電話とその数名の発明者たち」の中でこのテーマを再度取り上げているという。
これらの研究者たちの一致した意見では、物理学者で内科医チャールズ・グラフトン・ペイジの貢献が賞賛される。1837年、ペイジは電磁石に流れる電流を素早く遮ると、電磁石が音を立てることに気づいたという。この効果を「電気音楽」と名付け、電流を遮断する速さを変えると音が変化することを発見したとか。ベルが生まれる十年前である。
ヘルムホルツも自身の音響理論を検証するために作った音叉音響器に言及しているというから、当時、音響と電気を結びつける研究がいかに魅力的であったかを物語っている。
また、1854年、チャールズ・ブルサールの論文「電気による会話の伝送」には、電気回路を開閉することで音声が伝達できる原理について驚くほど的確に記述されているとか。
さらに、1883年、シルヴァヌス・トンプソンは、「フィリップ・ライス : 電話の発明者」でライスの業績を広めたという。ライスは控え目な性格で、あまり裕福ではなく、政治力のある人間とも、科学の専門知識を持つ人間とも、繋がりがなかったという。つつましい学校教師という境遇では、世間の注目や賞賛を集めることは叶うまい。対して、グレイはアメリカで第一級の電気技術者として名を馳せ、実力者たちとも強い結びつきがあり、弁護士を雇えるほど裕福であったというから、発明戦術家としてはやはり野呂間だったのだろうか。
ベルの世代は、なかば漁夫の利を得た格好である。

4. 電話誕生秘話と厄介な文献
「ワトソン君、ちょっと来てくれたまえ!」
電話で最初に交わされたとされるこの言葉は、ロマンチックな誕生秘話として語り継がれる。だがこれも、ニュートンの万有引力の発見にともなうリンゴ伝説のごとく、誰かが盛り上げるために加えた神話の類いか。ディブナー科学史研究所の所長代理ジョージ・スミスは、こう述べたという。
「教科書の著者たちは、科学の記述に関しては誤りを避けようと大いに努力するのに、その周辺の歴史についての記述となると、実際の歴史資料を参照してチェックする労を取らずに、ほかの教科書の記述をそのまま使ってしまうことが多いようだ。」
また、高く評価された厄介な文献も紹介してくれる。1973年出版のピューリッツァー賞を受賞した歴史家ロバート・ブルースの著作「孤独の克服 - グラハム・ベルの生涯」である。ブルースは、グレイこそベルのアイデアを盗んだとして非難しているという。その書きっぷりは自信に溢れ、いかにも権威があると。さすがピューリッツァー賞!

5. ダウド裁判
ウエスタン・ユニオンは、グレイやエジソンをはじめとする数名の発明家から電話に関する一連の特許ライセンスを受け、法的な権利を確保したと主張して子会社を通じて電話のサービスを提供しはじめた。
対して、ベル・テレフォン・カンパニーは、ウエスタン・ユニオンの電話事業を停止させようと、ベルの特許権を主張し、子会社の社長ピーター・ダウドを訴えた。そう、ダウド裁判である。当然ながら、この法廷はベルとグレイの対決の場となる。
当時、当事者全員が公判前に宣誓供述書を作成するように義務づけられていたという。ハバードはベルに供述書を書くよう求めたが、ベルはそれを拒んだとか。ベルが電話に対する排他的権利を主張しない限り、ベル・テレフォン・カンパニーは裁判に負ける公算が高い。しかし、ベルは何度催促されても応じようとはしない。わざわざそんな時期に妻と旅行に出かけているのも、気持ちが伝わる。結局はハバードの説得に応じ、何度も証言台に立つことに。ベルは、この裁判を転換期に電話の研究を放棄したという。そして、妻メイベルへの手紙にこう綴ったとか...
「電話の恩恵を受けていられる以上、誰がそれを発明したかなんて、世間には関係ないはずだ。そのためにこそ骨身を削って働いた目標のものを手に入れた以上、つまり、わたしの大事ないとしい妻である君を獲得できた以上、世間が電話のことを何と言おうと、わたしには関係ないはずだ。」

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