「同一の球を最も効率よく三次元空間に詰め込む方法は、オレンジの積み方と同じである。」
そんなことは大科学者に言われなくても、八百屋のオヤジが店でやっているし、小学生でも知っている。しかしながら、この単純な命題を証明するのに、実に四百年もの歳月を要した。しかも、答えを提供したのはコンピュータである。
では、証明したとされる天才数学者トマス・ヘールズは何をやったのか?その証明を受け入れた数学者たちも、いったい何を検証したというのか?プログラム自体を検証するしかあるまい。すなわち、そのアルゴリズムを。実際、証明論文にはプログラムコードが相当部分を占めていたという...
「ケプラー予想の証明が、数学者たちの知恵袋の一端として受け容れられつつある一方で、疑問も出はじめた。これは本当に証明なのだろうか?数学的真理は、力ずくで証明できるものなのだろうか?コンピュータが間違っている可能性はないのか?従来の証明のエレガンスと、コンピュータを使った証明とをどう比べろというのか?この証明から、いったいわれわれは何を学んだのか?」
人間には、便利なものはなんでも利用せずにはいられないという性癖がある。人間は機械を道具とし、人間をも道具としてきた。かつて人間の思考アルゴリズムに奴隷根性を植え付け、今では文句ひとつ垂れないコンピュータにアルゴリズムを植え付ける。
そして、コンピュータが初めて定理の証明で主役を演じた時、数学界に激震が走った。四色問題がそれである。アルゴリズムは検証できても、その結果はコンピュータが答えるだけ。実際に証明を見た者は誰もいないってことだ。純粋主義者は、ブラックボックスが出力する結果を素直に受け容れられるだろうか?それは、迷信的原理主義者が医療の進歩に抱くような偏見であろうか?自然法則を相手取るのに人間の知性では限界がある、とは多くの知識人が認めるところ。だが、数学の研究にコンピュータを用いるとなると、数学界を二分する。かつて科学は地動説によって迷信を打倒した。そして今、コンピュータが人間の知性を打倒しようとしているのか?いまや、証明の意味も、定理の概念も、変わろうとしているのやもしれん...
とはいえ、コンピュータにも見過ごせない弱点がある。現実に、実数演算は近似値で誤魔化される。浮動小数点演算で答えが合わないと騒ぐ新人君を見かければ、IEEE754 の意義を匂わせてやればいい。ゼロ除算にせよ、無理数の丸め込みにせよ、都合よく定義されるだけで、システムエラーの回避に欠かせない規則が前提される。良識のある人なら、数の重要な特性を切り捨てるコンピュータを、純粋な数学の証明に用いるのは狂気の沙汰!と考えるかもしれない。チューリングマシンには非決定性の問題がつきまとうのだから...
ユークリッドは、見たまんまを公理で定義し、それに準じる要請を公準と位置づけ、人間にはこれ以上証明できない素朴な命題があることを示した。しかも「原論」には、無限を相手取る時のお手本が示される。「素数は無限に存在する」という命題には、最大素数が存在すると仮定した場合に矛盾が生じるという形で、実に単純に、実にエレガントに証明して見せた。もし、これをコンピュータでやろうとすれば、最大素数の存在を仮定した時点で破綻している。答えが無限に存在すれば、永遠に計算を続けることになるのだから...
では、反証パターンを有限界で示すことができるとすれば、どうだろう。四色問題では、反例の可能性がある1936種類もの地図をリストアップして、シラミ潰しに調べさせたという。コンピュータは計算を1200時間も続けたとか。
ケプラー予想でも、反証となりうる有限個のリストに還元し、それらを一つ一つ消去していく戦略がとられる。この戦略で重要な鍵は、いかに命題に特化した効率的なアルゴリズムを編み出すか?近年、自動定理証明という概念を耳にする。決定可能性のベンチマーク的な評価は、確率的ですらある...
「ヘールズによるケプラー予想の証明は、本質的に最適化の問題である。」
演繹法から導かれる証明は美しく、おそらく、これが数学の王道であろう。対して、帰納法で迫る証明には矛盾性が紛れ込むことを不完全性定理が暗示している。だからといって後者が邪道とは言えまい。実社会では、どちらの方法論も有益であり、互いに補完関係にある。四色問題やケプラー予想で用いられる戦略は、まさに帰納法的なアルゴリズムである。カオスの世界では、最も客観性を重んじる数学ですら確率的な厳密さを受け入れざるを得ないのかもしれない。そして、厳密に対する準厳密、定理に対する準定理、といった概念も...
「ゴルトバッハ予想は 0.9999 の確率で真であり、完全に真であるかどうかは百億ドルの予算で決定されるだろう。」
1. 充填問題と接吻問題
予想は、証明されて初めて定理に昇格する。フェルマー予想はフェルマーの最終定理となり、四色問題は四色定理となり、そして、ケプラー予想は充填定理と呼ばれる。球の充填問題は、接吻数問題とも呼ばれ、できるだけ多くの相手とキスする効率的な方法を見つけることにある。球の定義を、中心からの距離で与えた半径 r 以内に存在する点の集合とすれば、次元に関係なく同じ問題が成り立つ。
- 一次元空間の球は、中心点からの線分 = 2r
- 二次元空間の球は、中心点からの円の面積 = πr2
- 三次元空間の球は、中心点からの球の体積 = (4/3)πr3
- 四次元空間の球は、中心点からの四次元超球の体積 = (1/2)π2r4
二次元において...
円の充填問題を最初に広めた書物は、一般的にケプラーの小冊子「六角形の雪について」とされるそうな。
ただ本書は、ルネサンスの画家アルブレヒト・デューラーの功績を挙げている。デューラーは画法幾何学という新たな分野を生み、ケプラーが彼の著作に触れたことは十分に考えられる。そして、デューラーとケプラーが六方配置が最密充填だと主張し、ラグランジュがほぼ仕上げたという流れ。
しかし、ラグランジュは充填問題に興味がなかったようで、結局、二次元の証明はフェイエシュ = トートが完成させたという。しかも、トートは、ケプラー予想の証明にコンピュータを使うことを初めて提起した人物だそうな。
コンピュータに計算させるためには、変数を有限個に絞れるかが課題となる。例えば、50個の球の場合、それぞれ中心点の座標は (x, y, z) で与えられ、すべての配置は、150個の変数で決定できる。それは、境界条件をそれぞれ接触することとした、150個の非線形連立方程式を解くことに等しい。これだけでも気の遠くなる作業だが、時代はコンピュータを急速に発展させていた...
三次元において...
球の充填密度は、空間内で球が占める体積と、その空間の体積の比として見ることができる。これは密度の極限値として定式化できそうだし、有限空間であればトートが示したように微分方程式で迫れそうだ。
問題は、無限空間においてどうか?直感的には、一次元ではマッチ棒を並べるだけ、二次元では円の六方配置、三次元では球の立方格子をすぐに思い浮かべる。すぐに、一つの球に12個の球が接触できることも想像できる。いや、ひょっとしらた13個目と接触できるかもしれない。
そう主張したのはグレゴリーで、これにニュートンが反発して論争となった。証明できなければ仮説の域を脱し得ないわけだが、仮説嫌いなニュートンでも論争はお好きと見える。そりゃ、夜の社交場で何人の女性とキスできるかは、男性諸君にとって由々しき問題だ!
クルト・シュッテとファン・デル・ヴェルデンは、それぞれ別の方法で次のことを証明したという。
「十三個の球を接触させるためには、真ん中の球の半径は 1 よりも大きくなければならない。」
一人でも多くの女性とキスしたければ、より大きな人間になれ!ってか。
尚、ニュートン数は、一次元では 2、二次元では 6、三次元では 12。そして、規則的な配列という条件つきで、巨匠ガウスが証明した。
しかし最大の問題は、不規則な配列の場合である。というのも、12個の球は、わずかながらも動く余地を持ってやがる。ほんの少しずつ身体をずらしていけば、ひょっとしたら13人目とキスできる羨ましい野郎が、どこかにいるかもしれない。グレゴリーの気持ちも十分すぎるほどに分かる。
ガウスの時代から百年が過ぎれば数学界の屈辱的な問題となり、偽の証明法も発表され、数学界は混沌としていく。そして、真打ちヘールズの登場。藁にも縋る... と言うが、藁とはコンピュータであったか...
2. ガウスの思考法... 二次形式と三次元格子
本書は、ケプラー予想が証明されるまでの物語が、二次形式との関係をめぐるものであったことを教えてくれる。二次形式の特徴に判別式がある。例えば、この形では...
q(x, y) = a2x2 + 2bxy + c2y2
そして、これがお馴染みの判別式...
⊿ = a2c2 - b2
この判別式と、格子の間に密接な関係がある。まず格子の基底を定義する。二次元格子は二つの方向に対してベクトルで定め、それぞれの成分を、xy 座標にマッピングする。もちろん座標は直角である必要はない。その位置面積は、判別式の平方根に等しい。そして、円の詰め込み方は、この座標系をどのように潰せばいいかという問題に置き換えられる。
三次元ではどうか...
1831年、ほとんど無名の数学者ルートヴィヒ・アウグスト・ゼーバーは、「正値三変数二次形式の諸性質について」という本を出版したそうな。とにかく回りくどく長ったらしいものだったらしいが、この書に目を留めたのがガウスだったという。三変数二次形式の判別式は、充填問題にとって重要な比となる。例えば、この形では...
q(x, y, z) = a2x2 + b2y2 + c2z2 + 2dyz + 2exz + 2fxy
そして、判別式はこうなる...
⊿ = a2b2c2 - a2d2 - b2e2 - c2f2 + 2def
ゼーバーが注目した比は、直方体の体積の二乗 a2b2c2 を、潰れた格子に対する二次形式の判別式で割ったものだという。すなわち、直立した箱の体積の二乗を、潰れた箱の体積の二乗で割ったものである。その比は常に 2 以下になるというのがゼーバーの直観で、これを証明したのがガウスだという。
a2b2c2 / ⊿ ≦ 2
さらに、ガウスはこれに幾何学的な解釈を与えたという。上式を変形すると...
√⊿ ≧ abc/√2 ≒ 0.707abc = (1 - 0.293)abc
この式から、ガウスは格子の体積に対して「29.3% 以上小さいものは存在しない」と主張したという。半径 r = 1 とすると、球の体積は、4π/3 ≒ 4.189。立方体の体積は、一辺が 2 の 3 乗 = 8。球の体積を確保しながら立方体を潰して、23.9% 以上小さくなることがないとすれば、箱の最小体積は...
8 x (1 - 0.293) ≒ 5.657
よって、最密充填密度はこうなる。
4.189 / 5.657 ≒ 74.05%
この体積を持つ箱はどんな形をしているだろうか?
それは、いかなる条件下で a2b2c2 / ⊿ が 2 になるかを問うことに等しいというわけである。そして、ガウスが得た答えは、格子の角度θにおいて cos θ = 1/2 の時、すなわち、60度に傾いた時だという。ケプラーが予想した面心立方格子と六方最密充填のことである。どうやらガウスまでは、数学はエレガントな地位を確保していたようである...
3. ヘールズの思考法... ドロネー星とスコア方式
ケプラー予想で運試しをした二十世紀の数学者のほとんどは、空間を分割するために「ボロノイ・セル」を用いたという。距離空間という概念を用いるわけだが、同一距離にある点集合を扱う場合に都合がいい。ケプラー予想は、同一距離間にある点集合を、いかに合理的に配置するか、と見ることもできそうである。優れた球充填においては、ボロノイ・セルが小さくなりそうな予感がする。
しかし、それだけでは不十分で、ヘールズは新たなアプローチを模索したという。「ドロネー三角形分割」である。この方法は、ある意味でボロノイ・セルの空間分割とは逆の関係にある。隣接する球の中心同士を線で結ぶと、全空間が四面体で分割されることが想像できる。四つの頂点で四面体ができ、二つの球がボロノイ・セルの壁で隔てられる時、それぞれの球の中心を結んだものがドロネー四面体の辺になるような感じ。つまり、ドロネー四面体はボロノイ・セルの双対的な関係になるようだ。
ボロノイ・セルは様々な形をとりうるのに対して、ドロネー分割は四面体だけで空間を分割する。ヘールズは、ボロノイ・セルとドロネー四面体を合わせたハイブリッド型のアプローチを発見したという。
具体的には、三つの工程を提案している...
ネットを編むこと、空間を分割すること、そして空間をもう一度分割すること。
まず、球がぎっしりと詰まった状態で、一つの球を選んで核とする。核の中心点から隣接球の中心点まで赤い線を引いて、ワイヤーメッシュのようなものを描く。
次に、ワイヤーが核の表面を抜ける点に印をつける。核の表面上で隣り合う印を黄色い線でつなぐと、手毬のような模様ができ、これが核をくるむネットとなる。
さらに、ワイヤーの間に赤い壁をはめ込むと、赤い四面体の集まりができる。そして、核と隣接球のまわりに青いボロノイ・セルを組み立てる。
... こうして空間は二度分割される。一度目は赤い四面体によって、二度目は青いボロノイ・セルによって。以上のような手続きで、各球のまわりに星状構造ができる。その構成要素は、赤い四面体と、青いセル。赤い四面体が十分に小さければ基本構成要素として採用し、さもなければ対応する青いセルを採用するといった具合。
こうしてできあがった星状構造は、青いセルのいくつかの面に、赤い四面体が突き刺さったような形になる。これを「ドロネー星」と呼んでいる。この赤と青の二色が、ハイブリッド型アプローチを象徴している。
ネットと星には互換性があるという。ネットを構成する線は、星が核の表面を突き抜けるときの交線になっていると。星とネットには密接な関係があり、そこにスコアを定義する。だが、線の色が黄色だけでは生彩を欠くので、赤い壁が核を突き抜けるループはオレンジ色(= 黄 + 赤)に、青い部分が核を突き抜けるループを緑色(= 黄 + 青)に、緑のループとオレンジのループが隣り合っている時は、線の片面はオレンジ、他面は緑として、カラフルに定義して見せている。つまり、ネットのスコアはループの形と色によって完全に決まるというのである。オレンジ色のループは余剰金、緑のループは割増金、片面がオレンジ色、もう片面が緑色の場合は、隣り合うループのそれぞれに対応する方法を割り当てるといった具合に。うん... 数学というより経営工学だ!
計算方法はこんな感じ...
正三角形のループに対するスコアは 1 ポイント。それ以外の三角形は 0 ポイントから 1 ポイントの間。四角形では、0 ポイント。それ以外のループはマイナスポイント。そして、合計が 8 ポイント以上になることはないという。この 8 ポイントが、密度 74.05% に対応する。
面心立方充填と六方最密充填はともに、8 個の正四面体と 6 個の正八面体から構成され、これに対応するネットは、8 個の正三角形と 6 個の正方形からなる。
余剰金と割増金の計算方式によると、正四面体つまり正三角形のスコアは 1 ポイント、正八面体つまり正方形のスコアは 0 ポイントとなり、8 個の正三角形は全部で 8 ポイントとなって、6 個の正方形はスコアに寄与しない。したがって、ケプラー予想の配置は、8 ポイントになるというのだ。うん... なんとも狐につままれたような気分、もし条件に漏れがなければ...
ヘールズは、ネットの構成に、35個の不等式を条件に課したという。ケプラー予想を、ドロネー星のスコアを最適化する問題に置き換えたというわけである。サイエンス・ライターのサイモン・シンは、ヘールズのアプローチをこう表現したという。
「五十個の球からなる配置の密度を、百五十次元のグラフとして描き出す。そうして描かれたグラフは、百五十次元の風景のようなものになるだろう。その風景の上に、百五十次元の屋根をかけていく。屋根ができたら、そのピークを探す。その後、風景の中で一番高い丘に触れるところまで屋根を下ろしていく。屋根が一番低くなったとき、そのピークの高さはちょうど 8 ポイントになるだろう... すべてが予定通りに進むならば」
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