アヴァンギャルドに立って、タンブールを鳴らす... かつて、そんな作家がいたそうな。これほど社会と調和しない作家も珍しい。それは、老愁ただよう追悼歌のような小説「濹東綺譚」に見て取れる。浪漫派の詩人バイロンやキーツらは南欧の明るい風土に逃れたが、荷風は故国からの逃避を空想しながらも、そうはしない。この現実嫌悪者にして不適合な社会に引き止めたものとはなんであったのか。
それは皮肉にも、あれだけ毛嫌いした文壇からの讃美であったという。自然主義陣営からも反自然主義陣営からも拍手喝采。自分が意識しなくても、世間から無責任に先鋒役を与えられることがある。鷗外には啓蒙家としての自覚があったように見えるが、荷風にはそれが見えない。空虚と倦怠の人生物語こそ彼の作風。
「今の世にも一人位小生の如きものあるもさして害にはなるまじ萬事楽天的に暮し居候」
荷風は富裕で教養豊かな家庭の生まれ。一族は枢密顧問官や大使や大学教授や牧師として名を成した家柄だという。鹿鳴館時代の典型のような家庭、いやゆるハイカラさん。恵まれながらも親に歯向かい、親類からは道徳上の罪人と見られる。この青年を反逆たらしめたものとはなんであったのか。
それは、自然主義作家として知られるゾラとの出会いに始まったそうな。明治維新後の急激な近代化の波。ここには、父と子の思想的な世代間対立が見られる。子が芸術家のような不安定な職業を選ぼうものなら、形式を重んじる父はこれに反対。荷風は、アメリカで暮らし、フランスに渡り、西洋の伝統と哲学を肌で感じると、西洋かぶれしていく日本社会に嫌悪感を覚えたと見える。寺田透は、こう書いている。
「荷風の小説の中には、腕力権勢富貴に対する慢性的敵視がある。徒党を厭ひ自分ひとりの好みを貫かうとする心情の誇示がある。ひかげの花に対する不楡の興味がある。卑小なもの、繊弱なもの、亡び人とするものの運命に寄せる常習的詠嘆がある。歓楽の謳歌と悲哀の愛撫がある。過去の燗熟に対する絶えざる懐古がある。これらは正しく昨日まで戦時禁制品であった。たしかに僕らはさういふものに飢えていた。」
こうしてみると、「自然主義」という用語もなかなか手強い。真理を描こうとすれば、美化を否定することもしばしば。世間の言う理性ってやつは本当に真理なのか。正義ってやつは本当に真理なのか。主張した者の勝ちだとすれば、文化は退廃している証。健全な懐疑心を持ち続けることは難しい。真の自然主義者ならば、わざわざ自分が自然主義だと主張したりはしないのではないか。すでに、勝手に、静かに、自然を謳歌しているのではないか。むしろ、何かに抑圧されているから大声で訴え、憤慨するのではないか。酔いどれ天の邪鬼が大声で自由が欲しいと叫んでいる間に、才能豊かな連中は静かに自由を謳歌してやがる。
人間嫌いでなければ、人間観察もままなるまい。力まず率直に人間を曝け出し、自ら自分を不幸にするパラドックスに放り込む勇気。小説家たらしめる論理への目覚め。社会に席のない個人主義は、矛盾を越えて自己啓発、自己完結、自己実現を旺盛にしていき、なすがままに孤独へ導く。いかに絶望哲学を学び、これに同感しても、人間はなかなか絶望しないものである。個人は絶望しても、人類は絶望せず繁殖を続ける。現世に絶望しても来世への希望は捨てきれない幸せな性癖の持ち主。
荷風にとっての誠実とは、自己に対して論理的に生きること、自己の文学理論を忠実に敢行すること、それが不幸へ導こうが悔いることはない。こうした作家のアウトローぶりに、どことなく惹かれのも、読み手もまたなんらかの抑圧の中で生きているからであろう。自然主義が自由主義とすこぶる相性がいいのは確かだ。福田恆存は、こう書いている。
「自然主義の文芸理論は、あるがまゝの人間の描写であり、醜悪と俗臭との完膚なきまでの剔抉ではありましたものゝ、それは所詮、自己完成をめざす道程においてであり、その目標を背景として作者の誠実をば読みとるといふのが、これら自然主義作品の正当な読書法なのであります。」
ところで、明治以降の近代文学を眺める時、東京出身と地方出身の差異を感じる。荷風は東京生まれで、ほとんどの作品が東京を舞台とし、東京人を十分すぎるほどに意識している。昭和初期、荷風は現代文学の代表者として、逍遥、鷗外、紅葉、露伴、四迷、漱石の六人を挙げたという。鷗外以外は、江戸っ子気風。
とはいえ、東京人にも、下町育ちと山ノ手育ちに分けて観察することができるそうな。下町を町人的とすれば、山ノ手は武士的、前者が庶民的とすれば、後者は貴族的... といった具合に。下町は社交的な気風があり、山ノ手は孤立した知識人を育てがちだとか。荷風は山ノ手風の典型というわけか。谷崎潤一郎や芥川龍之介などは下町風に分類できるのかは分からないが、荷風とはやはり人間の型が違うようである。
近代小説は、その発生期において市民のものであったという。西欧において、近代小説を生んだのはイギリスの市民階級だとか。日本で小説が最初に現れたのは、江戸の町人階級だとか。小説は、市民を主人公とし、市民の生活や感情を描き、市民がそれを愉しんで読む芸術であった。それは、貴族的な文芸に比べて社会的なものであったとか。小説という形式は、己れ一人の魂を歌う孤独で隠者的な詩人であるよりは、一般人と悲喜を共にする日常生活を物語に仕組み、これに民衆は慰められる。詩を崇高な救済とするならば、小説は雑居な救済とでも言おうか。話好き、噂好きの社交芸術という見方もできなくはない。したがって、小説は多様性とすこぶる相性がいい。
となれば、山ノ手風の孤独愛好家たる荷風にとっての小説は、反対の態度となりそうである。ただ、多様性と相性がいいのなら、なんでもあり。社交的だろうが、反社交的であろうが、一向に構わない。一見、矛盾しそうな論理だが、多様性は矛盾をも飲み込み、矛盾をも心地よいものとする。
そして荷風は、戦時中、抑圧された時期に多くの執筆をしたため、戦後、その反動で解き放たれたとさ...
2019-06-02
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