これは、数学の書である。しかし、数学だけに留めておくのはもったいない。数学者ジョージ・ポリアは、問題解決のための一つの道筋を示してくれる。
尚、柿内賢信訳版(丸善出版)を手に取る。
- 第一に、問題を理解せよ!
- 第二に、データと未知のものとの関連を見つけ、関連がすぐに分からなければ補助問題を考え、そうして計画せよ!
- 第三に、計画を実行せよ!
- 第四に、得られた答えを検討せよ!
個人的には、四つ目を注視したい。振り返ることに...
人間が思考する上で言語の役割は大きい。さらに突っ込んで記述のやり方に注目すれば、数学的な表記法が鍵となる。数学は、それだけで一つの言語体系を持っている。
「方程式をたてるということは、言葉であらわされている条件を数学的記号をつかってかき表すことである。それは日常の言葉から数式という言葉に翻訳することである。方程式をたてるときに感ずる困難はこの翻訳のむずかしさである。」
数学という学問は、客観性において他を寄せ付けない。その特徴の一つに、記号や数式を用いて表記する技術があり、直観的でありながら形式的なアプローチを強固なものにする。その過程で演繹的な思考や帰納的な思考を巡らせ、仮説を導入しながら試行錯誤を繰り返す。
本来、帰納法は個々の事例から共通の法則を見出そうとする論理的推論である。だが、数学的帰納法となると、むしろ演繹的となる。逆向きの演繹法とでも言おうか。演繹法をトップダウンとするなら、数学的帰納法はボトムアップといったところ。押してもダメなら引いてみな!ってな具合に...
「帰納とは観察や特殊な事例の組合せから一般的な法則を発見する手続きである。それはあらゆる科学において用いられ、数学においてさえ極めて有効である。数学的帰納法は数学においてだけ使われ、ある種の定理を証明するのに役に立つ。この二つのものの間の関連は非常に浅いのであるから、似た名前がついていることはむしろ不幸なことである。じっさいにはこれら二つを併用することがあるから、もちろんそういう意味で全く無縁のものではない。」
データ社会では、分析という言葉が乱用される。人間は、好奇心をそそるような事物に遭遇すると、それを調べずにはいられない。対象が複雑であれば、その全体像を把握するために、分解と結合を繰り返す。理解できなければ、それをバラバラにして構成要素へ還元してみな!ってな具合に...
また、事物の検証では、解析という言葉がよく用いられる。ある結論に達すれば、そのプロセスを紐解かずにはいられない。こうした視点は、結果から原因へ辿るような逆向きの仕事をやる時に都合がいい。
さらに、検証に行き詰まると、一旦否定を仮定して、この仮定を否定するという形で矛盾に活路を見いだす。帰謬法がそれだ。直接的な推論で行き詰まると、今度は間接証明を試み、推論の手続きを分解しては帰謬的思考を絡めて手続きを並び替えてみる。事物そのものにしても、検証プロセスにしても、あらゆる場面で分解と結合を試みるわけだ。
これに類似性と抽象的な視点を交え、仮説を立て、問題を違う角度から見直す。そして、問題を変形し、データや条件を変形し、問題を言い換えることができるかを問う。
こうした変形プロセスに、数学的な記号操作が有効というわけだ。人間の思考には、どこか還元主義的な性質があるようである...
「問題をとくということは人間の基本的な活動の一つである。われわれの意識的な思考の多くは何かある問題に関連したものである。ただ戯れや夢想をしているのでない限り、われわれの思考は必ずある目的にむけられている。われわれは手段をもとめ、問題を解こうとするのである。」
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