2008-03-16

"異形の王権" 網野善彦 著

本書は、前記事で扱った「日本の歴史をよみなおす(全)」の中でも紹介される。宣伝に乗せられてつい買ってしまった。アル中ハイマーの乗せられやすい性格は直らない。
本書は、前記事と同じく南北朝動乱期を大転換期として捉え、その始まる時期となった後醍醐天皇に焦点を合わせる。「異形の王権」とは、異形の人々を集めて新しい力をよびさました異色の天皇権力の意味である。異形の人々とは非人のことである。乞食、障害や病を持つ者、罪人などは、かつて聖なる者として扱われていた。それも、葬送、処刑、罪を犯した人の住居の破却など、穢れから清める仕事をしていたからである。しかし、この時代を境に非人は差別的様相を呈していく。そして、彼らの反発力を最大限利用し政権として確立したのが「建武の新政」であるという。本書は、こうした背景を後ろ盾にした後醍醐天皇の時代を傍観するとともに、著者独自の考察を加えたものである。中でも庶民の衣裳から社会風潮の変化を考察している点はおもしろい。著者は、歴史学がようやく、民俗学、民具学、宗教学などの諸学に対して開かれた姿勢を見せ始めたと語る。

アル中ハイマーは、昔からつまらない疑問を持っている。
歴史学と、社会学や政治学の違いはなんだろう?過去の事象を扱わずして現代が語れるのだろうか?現在の現象から10年後に起きる事象を予測することは難しい。だが、歴史は繰り返される。歴史学は単に結果論を主張しているに過ぎないのか?歴史の解釈にはいろいろとあって然るべきであろう。にも関わらず歴史学者は、過去の事象に対して結論付けている点があまりにも多すぎるように思える。本書は、多くの疑問の余地を残している。逆にこれぐらいの方が歴史に説得力を感じる。

1. 異形の衣裳
南北朝動乱期、異形の衣裳が爆発的に噴出したという。覆面姿、さまざまな頭巾の着用が流行し、庶民に至るまで多様なスタイルが登場する。女性も覆面や頭巾を付けて男性に混じって旅をするようになる。かぶき者もこの時代から現れる。鎌倉時代まで公家、武家、寺家が懸命に維持しようとしていた服装の禁忌は完全に崩れ去る。こうした文化風潮を「婆娑羅(ばさら)」の風と呼ぶ。本書は、婆娑羅の源流が非人の衣裳であるという。子供に対するイメージの変化も見てとれる。小童は自由で誰にも束縛されない。単に幼くて行動に責任がないというだけでなく、一種の神聖なものがあるという考えは伝統的にあったという。しかし、この時代に非人に近い存在となる。悪党、悪憎、悪童へと転化していく様がうかがえる。身体的条件からは、老人、琵琶法師、盲人も差別されていく。浮浪人、乞食人もしかり。弱者への軽蔑の認識が芽生える時代でもあったことを考察している。

2. 扇の魔力
扇で顔を隠すしぐさや女性が口元を袖口で覆うしぐさは、扇を持ち歩く階層に広く見られる光景である。ただ注目すべきは、こうした事例が大道や河原、寺院や道場の周辺、いわば公界の場で異常な事態を見なければならない場合のしぐさであるという。そのしぐさの意味は、悪霊に通ずる穢れが及ぶのを避ける行為であるのは明らかである。扇には呪力でもあったのだろうか?宗教的意味合いがあるのかもしれない。人間は、別世界の人間になることを願望として持っているのかもしれない。恐いもの見たさもこの心理に通ずるものを感じる。

3. 異形の力
非人騒動といわれた百姓一揆は、非人の衣裳をまとっていた。彼らは、自らを非人と名のってデモをする。非人の魔力とでも言うべきか、権力者に立ち向かう時に異様な威圧感を示したと想像できる。聖なるものの象徴として意識されていたのだろう。俗世間からは規制されない自由なものを、意味しているのかもしれない。しかし、この頃から異類異形は忌み嫌う存在へと意識が変わり、無縁の思想が生まれる。日本人には、どんな罪人であろうと、死んでしまえば罪人扱いしないという独特の風習がある。これも、なんとなく無縁の思想に通ずるものを感じる。こうした風習は外国人には理解されないだろう。おいらには、墓碑にまでも唾を吐きかける行為の方が理解できない。現在の日本でもグローバル化が進んでいるだろうから、そうした行為も見られるようになるのかもしれない。もし、そうなると少し寂しい。

4. 異形の王権
後醍醐天皇の存在が、否定的に捉えるか肯定的に捉えるかは議論の分かれるところだろう。ただ、特異な役割を果たした天皇であることは間違いない。建武の新政は、王朝国家の体制として定着していた官司請負制の全面否定、官位相当制と家格の序列の破壊、職の体系の全面否定であり、古代以来の議政官会議を解体し、執行機関を全て天皇直轄にした。これは、宋朝の君主独裁政治をモデルにしている。目的のためには手段を選ばず、観念的、独裁的、謀略的で、しかも不撓不屈。このあたりは佐藤進一氏の著作「日本の中世国家」を中心に語られる。早々、明日にでも本屋で購入することにしよう。
後醍醐天皇は異類異形といわれた悪党から非人までを軍事力として動員し、内裏の出入りまで許可した。この時代、まだ非人は差別の枠に押し込まれてはいないが、その方向への強い力が働いていただろうと語る。後醍醐天皇は、そうした差別への方向からの反発力を王権に利用したのではないか。また、社会と人間の奥底に潜む力を表に引き出すことによって、その立場を保とうとしたのではないか。などと考察する。こうした行動は後醍醐天皇の直面した危機によるものであるだろう。古代以来、天皇制で直面した最も深刻な危機がこの時代にあった。鎌倉幕府の成立、承久の乱での敗北後、天皇家の支配権は東国には及ばなくなる。蒙古来襲を契機に九州までも幕府の権力下に入る。一般的には、10世紀以降、摂関政治、院政と規定され、天皇不執政の時期と見るのが通説である。ただ、本書は、室町時代や江戸時代と同一視してはならないと主張する。天皇家、貴族、官人諸家の分裂、抗争が深く根付いた時代でもあり、天皇家の支配力が衰え始めたのは後醍醐天皇以降に顕著になったという。後醍醐天皇の行動は、そうした危機感への反発を含んでいたことだろう。そして、権威の誇示をはかったのではないか?と考察している。後醍醐天皇の王権もわずか3年で没落する。しかし、執念とも言うべき南朝を立てて、60年にもわたって南北朝動乱期となる。天皇の確実な権威が失われたと知った武士、商工民、百姓にいたる各層の人々の中から、自治的な一揆、自治都市、自治的な村落が成長してくる。こうした動きは、権力の分散を引き起こし、権力による統合を難しくする。人間関係においても計算高く利害関係が支配する風潮となっていく。こうした背景で貨幣の役割も大きくなる。この時代に、天皇の地位のあり方そのものに本質的変化があったと主張している。天皇の聖なる存在はこの時期に失われ、その復活は明治維新まで待たれることになる。歴史的に見れば、天皇家は単なる一つの王朝というだけで、とっくに滅んでいても不思議はない。神聖的なものとして扱われている意味は律令政治にさかのぼるのだろうが、だからといって存続する理由もない。では天皇制の意義とはなんだろう?権力と象徴の二重構造が日本の歴史を複雑にしているのは間違いないだろう。現在ではその意義も外交上変化しているだろう。歴史的意義とは変化していくものである。

本書は、確かな歴史認識の元に天皇制の有り方も考えなければならないと主張する。しかし、天皇制については各方面から政治力が働くため、学校教育はもちろん、評論家が力説しているような意見ではまともな情報を入手するのは難しい。政治家に至っては支持母体に従うだけで耳を傾ける価値もないだろう。冷静に研究がなされた古代史家の文献を読むのが一番であるが、過去の統治権力によって捻じ曲げられた可能性も大きい。もしかしたら、既に裏の政治力でまともな文献は抹殺されているかもしれない。こんな状況で天皇制を世論任せにするのは危険である。一般人が考えられるような土俵つくりが必要であるが、マスコミにその役目が果たせるだろうか?天皇の議論はタブー化された社会でもある。酔っ払いには傍観するしかない。

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