2025-11-02

"人間とロボット - 現代世界での心理学" Ludwig von Bertalanffy 著

「一般システム理論」を提唱したルートヴィヒ・フォン・ベルタランフィ。彼の著作「生命」では、有機体論の観点から生命体は開放系にあり、しかも定常状態システムであることが告げられた(前記事)。ここでは、その枠組みで、人間という生命体に焦点を当てる。
今日、精巧な機械システムが乱立する中で、人間は存在する...
技術革新の勢いが増し、AI の出現とともに機械が人間化し、人間の定義が曖昧になっていく。伝統的な人間像に思いを馳せては精神を破綻させ、新たな人間像の模索に迫られる。それで人間が非人間化していくのでは、世話ない。機械技術の発達は、精神技術の発達で補えるだろうか...
尚、長野敬訳版(みすず科学ライブラリー)を手に取る。

本書は、「シンボル」「システム」という二つの視点を提示する...
なにより人間の認識アルゴリズムが、シンボリズム的だという。確かに、人間が育んできた文化がシンボリズム的であり、人生の指針には格言や名言を引き、コミュニケーションには合言葉のような共通言語を編み、理性や知性では模範的な理念を掲げる。教育要項や社会的行動はパターン化し、名声や格付けが社会で幅を利かせ、大衆はブランドに群がり、政治家や経営者には模範的な行動を期待する。これらすべてシンボリズム的といえば、そうかもしれない。

人間が何かを認識する時、その対象を模倣したり、類似性を見い出したりして、差異を感じ取ろうとする。価値観にしても、世界観にしても、ある象徴的な存在との比較のうちに形作られ、イデオロギーも、ニヒリズムも、疎外も、社会の象徴となる何かへの反発心から生じる。そして、生や死にも象徴的な意味が与えられ、人間像そのものがシンボリズムに席巻されている、と言えそうな...

では、シンボリズム的な認識アルゴリズムを形成する生命システムとは...
科学では、人間像を機械論的に捉える傾向がある。閉鎖系ではエントロピー増大の法則が成り立ち、確率の高い状態へ向かう。
しかしながら、生命システムでは、無数の不可逆過程が起きているにもかかわらず、確率の低い状態が保たれる。高い自由エネルギーと負のエントロピーが相殺するかのように...
生命システムに組み込まれる能動性や自発性、あるいは自己調整や自己実現といった特性は、どこから生じるのであろう。開放系のポテンシャルエネルギーは計り知れず、これぞ生命の偉大さと言うべきか...

「構成をたえず交換しながら維持されていくのが、生きたシステムの一基本特性である。このことは、細胞内での化学成分の交換、多細胞生物内での細胞の交換、個体群内での個体の交換等々、すべてのレベルにはっきり現われている。生物体の構造はそれ自体、秩序だてられた過程の現われであって、それらはこの過程のなかで、またそれによってのみ維持される。それゆえ生物体の諸過程の第一次の秩序は、既成の構造のうちでなしに過程そのもののうちにさがし求めなくてはならない。」

ここで注目したいのは、人間と機械ロボット、そして、サイバネティクスという三方面からもたらされる秩序を論じている点である。機械ロボットは突き詰めれば、産業、軍事、政治体制が定めた筋書き通りに反応する自動人形。人間もまたそうした存在やもしれん。企業や組織に従い、社会制度に媚びる自動人形的な...

一方、サイバネティックスの基本概念は、フィードバックと情報にあるという。外界の刺激を入力とし、受容器を通した反応を出力する仕掛けに、フィードバック機能を付加して自己調整する機構であると...
こうしたシステムでは、情報を定義する方程式は負のエントロピーを持っていて、サイバネティックス・モデルは、生物学的な調節機能にも広い範囲で適用できるという。例えば、体温、血中の糖、イオン、ホルモンといった調節機能に...

物理学的な過程の多くは、直接的な因果性を持ち込む。例えば、原因 A が結果 B を生じさせる... といった具合に。
対して、サイバネティクス・モデルでは循環的因果性を持ち込み、システムの自己調節、目標指向性、恒常性維持といったものにも適応させるという。
しかしながら、生命となると動的な相互作用が鍵になる。サイバネティクス・モデルは、情報との関係においては開放系であるが、環境との間では閉鎖系にあるという。生体システムでは、情報に対して学習するだけでは不十分ということか。システムが外界との関係において生息するためには、循環的調整よりも動的調整の方が有利なのかもしれない...

動的調整を自発的調整と捉えるなら、人間には自我の暴走を抑制する理性という機能がある。人類にはホモ・サピエンスという呼び名もあり、賢い動物と形容される。
しかしそれは、本当だろうか。技術革新は、効率的な大量破壊兵器や非人道的な化学兵器を編み出した。最後の審判は、いつ下されるか。この手の予言を、あちこちで散見する。
古くプラトンは、哲学者が王となるか、あるいは王が哲学者になりさえすれば、国家は正しく機能すると唱えた。だが、人類の血生ぐさい歩みを辿れば、そのような理想像の無力さ痛感するであろう。
ベーコンは、知識は力であると言った。だが、知識に支えられる科学技術の歩みを辿れば、それだけでは不十分だということを痛感するであろう。
人間は、自分自身を惨めにすることにかけては、名人と見える。人間ってやつは、本当に理性的な動物なのか。一度疑ってみる価値はありそうだ...

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