2008-06-22

"回想の明治維新" レフ・イリイッチ・メーチニコフ 著

本屋を散歩していると、メーチニコフの名が目に入ってきた。そう言えば、ある歴史小説にこの人物の紹介があったことを思い出す。ただ、その小説がなんだったかは思い出せない。それも数ヶ月前のことである。本書が岩波文庫であることから、多分そのあたりであろう。今、ウォッカを飲みながら、本棚を眺めているが、それらしいものが見当たらない。そうだ、アル中ハイマーは昨日の記憶すらさかのぼれないことを忘れていた。

レフ・イリイッチ・メーチニコフは、ノーベル生物学・医学賞を受賞したイリヤ・メーチニコフの兄である。トルストイの小説「イワン・イリイッチの死」の主人公のモデルが、メーチニコフ兄弟の長兄で、小説では「三番目の息子は失敗だった」という三男で登場する人物が、実は次男の著者のことらしい。著者は、欧州の革命運動、中東やバルカンの民族解放運動にも参加した経歴を持つ。その反政府運動に参加した経緯からも、異端児であったことが想像できる。トルストイが失敗者と形容しているのも頷ける。著者は、諸民族には独自の革命的伝統があると考えていたようだ。当時、欧州では、極東諸国を「アジア的停滞」として文明の遅れを主張する意見が一般的であったという。そんなおりに日本で起きた革命に興味を持ったようである。彼は、あらゆる外国語を操る。本書でも日本語にかなり精通していることが見て取れる。本書は、そのロシア人革命家の日本回想記である。原題は「日本における二年間の勤務の思い出」といい、19世紀後半ロシアの日刊紙に連載されたらしい。著者は、明治7年から1年半滞在し、東京外国語学校で教鞭をとった。たった2年足らずの在日期間で、ここまで研究できた眼力には驚嘆させられる。そこには、民衆側を向いた視点があり、著名な学者や宗教伝道者の観察とは一線を画す。そして、明治維新が、ペリー来航を始めとする欧米列強の介入によるものとする意見は過大評価であり、そもそも日本民族の土着的革命であると主張している。また、日本人の民度の高さに魅了された様を語り、その要因を日本史をさかのぼって考察している。政治体制の考察で驚くべきは、鎌倉時代の前から南北朝時代に、その源流を求めている点である。明治維新ともなれば、単に徳川家の世襲独裁制への反発とも取れそうだが、象徴的立場の天皇家と実権を握った幕府の二重構造までさかのぼっているところは、感動ものである。これほどの魅力的な書籍が、それほど知れ渡っていないのも不思議な気がする。いや、単にアル中ハイマーが無知なだけであろう。

こうした、外国人による日本人論が展開されると、日本民族について考えさせられるものがある。日本は単一民族と言われるが、それは本当だろうか?人類の発祥がアフリカで、そこから世界中に広がったという説に従えば、最も東まで進んだのが日本民族ということになる。それは、最も根性のある民族と見て取れるかもしれない。あるいは、最も臆病で逃亡してきたとも取れる。いずれにせよ、勤勉さによって資源のない国を富ませてきた伝統がある。
本書の考察で注目すべきは、当時の日本の歴史家が中国の影響を受け過ぎていると指摘している点である。地理的条件から見ても、文化の源流は大陸にあると考えるのも自然である。しかし、現在では、明治時代の政治機関や官僚制度は、西欧から取り入れたとする意見が多い。学校教育においても、明治時代の日本の政府機関は、ドイツの最新システムを取り入れたと教える。だが、官僚制度については疑問が残る。これは、むしろ中国を手本と見る方が自然に思える。現代の官僚制の基盤をなしているのは、まさしく中国の伝統システムであり、その悪の根源は科挙であると言いたい。本書でこうした考察がないのは当り前である。だって時代は、もう先に進んでいるんだもーん!ただ、本書はなんとなく日本の官僚制度の方向を予測していた節がある。と思うのは、想像の飛躍し過ぎだろうか?透明で澄んだウォッカには、酔っ払いの純粋な想像力を掻き立てる力がある。科挙は、高級官僚をペーパーテストで募集する仕組みを母体とする。一見公平そうに見えるところに落とし穴がある。逆に言うと他に人員を補充する手段がない。社会的経験が少ない上に、実態社会に対する目利きがなく、出世競争に囚われる。まさしくキャリア官僚はこの呪縛に嵌る。一方、アメリカでは、大統領が代われば高級官僚も総入れ替えとなる。そして、彼らは民間に活躍場を求め、そこで実績を積み、場合によっては中央官庁に迎えられる。よって、ダイナミックな政策や情報に長けている。中国は1500年もの長い年月をかけて科挙を廃止してきた。にも関わらず、未だに古代システムの亡霊に憑かれている。日本は猛スピードでその亡霊を追いかけている。この実態を目の当たりにしたら、メーチニコフは何を語ってくれるだろうか?

1. 日本到着
到着するなり、和船の画一性と奇妙な形に驚いている。古代ローマのガレー船を彷彿させる古風な形をしており、いかにも遠洋航海には不向きであると語る。これは、徳川家の世襲独裁制のもと、法令に定められた船しか作らせないという政策に基づいている。鎖国は、欧米人の暗躍やキリスト教宣教団の陰謀に神経をとがらせた政策である。世界から隔離するには、外国人を日本に入れないだけでは不十分で、日本人の遠洋航海技術も封印する必要がある。こうした背景は将軍制の歴史を探るべきであると述べている。
おもしろいことに、快適な人力車は日本独特なものなのに日本人自身は海外の文明だと思っていると述べている。へー!人力車って日本人の発明なんだ。

2. 日本人の特質
日本人は、素朴で感受性豊かで信じやすい。欧米人にとっては利用しやすい民衆であると語る。内乱状態に乗じて、各藩は高い武器を買わされ、舶来品を高値でにぎらされている。そこには、まさしく金のなる国があり、山師のような多くの欧米人が詰め掛けたとある。しかし、元々資源の乏しい上に、内乱で疲弊しきっている国が、投機に相応しい場とは思えない。やがて、連日の倒産、保険金目当ての放火、ストライキなど混乱の時代へと突入し、欧米品も下落、欧州バブルも消えて、外国商人は没落していく。そして、売れ残った商品にとてつもない保険金をかけ、放火に委ねるなどの詐欺行為が横行した。治外法権も楯にとり、やりたい放題であった様が語られる。

3. 日本語の難しさ
著者は日本人の識字率の高さに驚嘆している。その起源を仏教の影響だと考察している。極度に貴族主義的なバラモン教への反発としてインドで仏教が生まれる。仏教伝道者たちは、布教活動のために難解な中国語は不適当だと考えた。会話に出てくる音節を記述するだけなら50音で十分である。漢字は文字そのものに意味を持たせるが、仮名文字は音と綴りだけを表記する。西欧のどの国もわずか26文字覚えれば、意味は分からないとしても読むことができる。しかし、日本ではこうした西欧的書式こそ難解だと思っていることが奇妙だと語る。西欧では、読み書きの学習法を簡略する方向に注意を払っているという。読み書きで10年以上も費やすよりも、本質的な学問を優先したいからである。しかし、そこまでしても文盲撲滅に成功した国はほとんどないという。日本では義務教育が昔からあったわけではない。学校といえば特権階級のものである。にも関わらす識字率の高さは全国に行き渡っている。それも寺子屋のような仕組みが伝統的にあるからであろう。新しいものに適応し発展するためには、まず中華主義から自らを自由に放つことが大切で、そのための内的改革には長い歳月がかかることを、日本人は熟知していると評している。

4. 日本小説の特徴
日本の小説は、騎士道小説と驚くほど似ているという。英雄的、好色的要素が主役を演じる。英雄的要素は、組織や家紋の名誉のために、自らの命を犠牲にする剛毅なサムライ像を描く。好色的要素は、被差別身分の女性を題材とするのが典型で、上流階級の男と実らない恋に落ちるという筋書きを感動的に描く。濡れ場の叙述となると、これでもかといわんばかりに猥褻な度合いを強め、挿絵が一層拍車をかけリアリズムを煽るという。日本的ユーモアには、繊細な観察眼と真実をずばり洞察する慣性のバランスを取り上げている。ただ、怪奇的や空想的要素も大衆文化には多いが、西欧ほどではないらしい。この方面では、一般的に極東の諸民族は、想像力の豊かさや鮮やかさは際立っていない。日本の神話は、かなり貧弱で生彩を欠いているという。こうした歴史的な観察は、大衆文学にまでおよび、法律により制約を受けているにも関わらず世相風刺が18世紀に顕著に見られるようになったと語る。

5. 日本人は演劇好き
芝居とは、緑の草の上に座るという意味だ。足利政権の長期の失政の頃、尾張地方の熱田神宮が破壊される。この重要文化財でもある神社再興のために資金を募るために京都で演劇活動が始まる。これが阿国の歌舞伎である。出雲の阿国って出雲大社だよなあ。尾張から織田信長が統一に向かったのも何かの因縁かもしれない。徳川時代、役者は、乞食、娼婦らと同じ最下層の身分とされた。売春を国家制度に取り入れたのも家康の時代であると記している。ただ一人、市川団十郎だけは医者、天文学者、画家などと同等の世襲的権利が認められた。日本の演劇は種類は豊富だが、半世紀以上も前に固定化されて刷新したものはないという。日本人は新し好きにも関わらず、昔馴染みの作品ばかりを好む。人気のある小説で舞台化されていないものなどない。因みに、この国には本屋が無数にあるという。同じ物語でありながら、その展開は画一的な拘束も受けず、迫真性とリアリズムによって際立っているという。これらは、騎士道文学に通ずるものがあると評している。戯曲の内容は、体制批難が規制されるのも当り前で、検閲を巧みにかわしてきた様が語られる。例えば、江戸幕府の非難は足利幕府に置き換える。徳川家は源氏の家系ということになっている一方で、足利家は人間の屑のような扱いにできたという。ただ、著者は足利家の研究にも熱心で、他の時代と比べてもなんらひけをとらないと語っている。

6. 明治維新
黒船出現の意義を誇大視してはならないと主張する。ペリーが来航する以前の30年も前から、根本的に政治や社会の変化を必要とする状態になっていたと分析している。徳川時代は、国家制度上、京都の皇室や省庁の官僚的中央集権制との確執、諸大名の独立、農村共同体の自治、地方貴族による支配など、対立原理の複雑な絡み合いで成り立っている。国民が厳格に定められた形式に従わないと維持できない国家体制であることを見抜いている。それも、いかなる自由を許さず、極度に面倒見のよい、それなりに人道的な圧政だったという。当時、イエズス会やドミニコ教団によって、いずれ日本が征服されるという危機感があった。徳川政権から、天皇権力を太古の神聖さにおいて復活することが国粋派の主流となる。この国粋派の中には徳川家の近親者まで加わる。既に幕府の力が弱体化していた証拠は、大塩平八郎の乱に見ることができるという。日本のインテリジェンスは下級武士から生まれた。彼らは、日本で唯一公認の学問であった中国式古典主義の無益さをとっくに悟っていたという。自発的に欧米学問を勉強することは死罪に処されるにも関わらず勤勉であった。もちろん、ペリーの来航が開国に向かったのは事実であるが、遅かれ早かれそうした流れにあったと語る。欧米人の立場からすれば、こうした見解はもっともな話である。しかし、「あやつられた龍馬」でも記事にしたが、日本人の立場からすれば、もう少し欧米の影響力の元で維新が起きたと考えた方がバランスがとれるだろう。

7. 平家滅亡と落人部落
平家は逃れる時、都である福原を焼き払い西へと落ちていく。平家の女性は全国各地に追いやられ、嫁ぎ先が見つけられなかったものは娼婦になるしかなかった。当時、どんな町でも平家の血筋をひくという娼婦団体を見かけたことが語られる。虚々実々の系図を楯に、当然の権利として独特の貴族衣裳をまとっていたという。もしかして、平家の落人が部落の起源だと考察しているのだろうか?確かに西側に部落が多いということに説明がつく。ただ、これについては、いろいろな諸説がある。部落の発生が、政治的陰謀に巻き込まれた人々の落ちた場所と考えるのも、外国人にしては分析が鋭すぎる。こうした考察からも、日本人の歴史家と交流が深かったことが感じられる。

8. 教養を尊敬する風土
日本は中国と並んで、早くから教育と啓蒙の意義を理解していた世界でも数少ない国であると語る。当時、理論や実践では、欧米の学識は、東洋の天才を凌駕できるレベルであろう。だが、西欧文明は、民衆の習俗奥底まで、深く根をおろしていない。日本では知識層に留まらず、過酷な肉体労働者までもが教育や文化に慣れ親しんでいる。日本では太古以来、国民教育の組織化は、権力者が変わろうと、常に政府の主要感心事であったということは、世界に誇っていいことであると語る。列島に日本民族が出現したのが紀元前7世紀とされる。大陸からの渡来民族が原住民アイヌを追い出し、混血しつつ全領土に分布したとする歴史学者の主張は、後代になって中国で強い影響を受けた日本の年代記に基づいている。こうした史料をもとに説を述べるのは疑わしいと語る。日本の歴史は、それほど古くはない。国家として登場するのは3世紀頃である。この頃、中国を範とした教育と文化の移植が始まる。しかし、中国の官僚主義的民主制が日本にはそぐわないことは、その後の歴史が示しており、「日本の中世国家」でも記事にした。これは後醍醐天皇にさかのぼって論評している。著者は、日本民族の源流を大陸からのものと考えることに強く反論している。現代の歴史学においても、日本文化を大陸文化と大別することは一般的な考えのようだ。

0 コメント:

コメントを投稿