2008-06-15

"洋酒うんちく百科" 福西英三 著

「UEFA EURO 2008」のお陰で睡眠不足気味である。おいらは、このようなイベントを「生」で観ないと気がすまない。興奮を冷ますために、睡眠薬になりそうな本を物色しに、本屋をぶらぶらしていた。すると、「洋酒」+「うんちく」というダブルキーワードが目の中に飛び込んできた。そこそこ分厚く、枕にしても気持良さそうだ。感情のままに、本能のままに、いや!なんでもええや!と、いい加減に手に取る。もはや、ボーっとしたアル中ハイマーには思考力など残っていない。ところが、ひとたび読み始めると引き込まれる。睡眠薬のつもりが覚醒剤になってしまったではないか。本書は、冒頭から次の言葉で始まる。
「神が人間の肘をいまのようにつくったことに感謝しよう!他の動物と違い、人間は酒を飲むべく生まれついている。そして、肘がいまの位置にあるからこそ、グラスがちょうど口のところに来て、酒を楽に飲めるのだ。」
これは、ベンジャミン・フランクリンの言葉を著者が意訳したものだという。どうやらアルコールなしでは読めそうもない。ついでに、生ビールを買って帰ろう。しばらくは「生」漬から逃れられそうもない。

人間には五つの感覚がある。味覚、臭覚、視覚、触覚、聴覚。酒の色、香り、味は、視覚、臭覚、味覚に愉悦感を与える。グラスに触れる冷たい感触にも喜びが涌き、瓶から注がれるトクトクという音にも情緒が現れる。もちろんBGMも欠かせない。酒を楽しむということは、五感を総動員するということである。本書は、酒に造詣な作家や小説、映画の酒にまつわるシーン、音楽と酒の相性などを随所に紹介してくれる。また、歴史とも関わりが深く、知識の方面からも五感に磨きをかけようと仕掛けてくる。ただ、あまりの情報の多さに、おいらは満腹を超えてしまった。「もう飲めねーだよ!」。きっと、本書を何度も読み返すことになるだろう。それも毎回違った酒を飲みながら楽しめるのがいい。本書には、オリジナルカクテルの誕生秘話も登場する。バーテンダーが出会いに感激して、相手に捧げるカクテルを創案するのも社交術の一つである。ちなみに、アル中ハイマーにも特注のカクテルがある。その名は「コスモポリちゃん」。バーテンダーがなんでも作るって言うから、意地悪してコスモポリタンを無理やりフローズンにしてくれ!って頼んだ。その時の心境が、ある出来事に凍りついていたかどうかは定かではない。初めてそれを飲んだ時はまあまあ美味かったのだが、しばらくして、完成品ができたという案内が届いた。バーテンダーは営業テクニックにも抜け目がない。ちなみに、コスモポリタンは、海外ドラマ「SEX and the CITY」でサマンサが注文するカクテルである。

昔はバーで恰好よく注文したいから、少しだけ酒の勉強をしたことがある。それが、いつのまにか何も注文しなくても、バーテンダーが勝手に酒を出すようになっていた。甘やかされたお陰で酒の知識など、すっかり飛んでいってしまった。なぜか?最近はラムをやたらと勧められる。バーテンダーが言うには、アル中の辿り着く酒がラムだという。これは単にからかっているに違いない。もし、勘違いしているなら、念のために言っておかなければならない。おいらはアル中ではない。アル中ハイマーなのだ。アル中はアルコール依存症になるが、アル中ハイマーは何に依存しているかなど覚えられない。よって、自らアルコールを求めることはない。そこに山があるから登るように、そこに酒があるから飲むのだ。たまたま、行付けの店に酒が置いてあるだけのことである。
酒の歴史は短く見積もっても紀元前4000年頃まで遡るという。まだ青銅も陶器も使っていない時代、酒を注ぐには、自然に入手できるものを利用していた。大きな葉を円錐状に丸めたり、家畜の角の内部が空洞になっているのを角杯としていた。角杯は先が尖っているので飲み干すまで手が離せない。やがて角杯は「倒れるもの」と呼ばれたという。ちなみに、タンブラー(tumbler)は、平底なのに倒れるものという意味がある。ただ、アル中ハイマーには、酔っ払ってぶっ倒れるのも同じようなものだ。
本書は、酒の造詣が深い人は、ウィスキー・アワーは午後6時からにしているという。ウィスキーは、日没前に嗜むにはあまりにも強すぎる酒ということである。ちなみに、一つの行付けのバーの開店時刻は5時であるが、無理やり4時から開けてもらったことがある。嫌な客である。アル中ハイマーには、太陽の光をウィスキーに屈折させて、ダイヤモンドのように輝く氷に触れている瞬間がエキゾチックなのである。

1. 一杯の量
とりあえず一杯。この一杯という量は日常でよく使うが、量が特定されているわけではない。駄洒落の好きな人は「いっぱーい」と掛ける。こうした量をぼかした飲酒用語は世界中で見られる。アメリカでは、one shot(一発の弾丸)、それだけで強烈な印象が伝わる。語源は「shot in the arm」で、腕への麻薬注射を意味していたという。こうした、薬、毒薬、麻薬に関連した語が、酒に転用された例は多い。人間の潜在意識には、酒をドラッグというように連想させる何かがある。一杯の量というと、日本ではシングルは30mlが多い。これは、戦後アメリカ式の1オンスから慣行化されたようだ。ところが、日本の大都市バーや老舗のバーでは、45mlだったり、60mlだったりするらしい。こうした違いはアメリカやイギリスのどの売り方を基準にしているかの違いである。スコッチの生誕地スコットランドでは60mlがシングルの標準量で、日本ではダブルということになる。アイルランド共和国では、なんと75mlが一杯の量なのだそうだ。どうりでヘビードランカーが多いと言われるわけである。ちなみに、大酒飲みとは、一日の純エチルアルコール摂取量が150ml以上の人を言うらしい。これは、WHO(世界保健機関)で採用している基準値なんだそうだ。

2. オンザロック
on the rocksという言葉には、船が岩に乗り上げて座礁した時に使われる悪いイメージがある。イギリスでは、人生に座礁したという意味でも使われるらしい。ところが、アメリカでは、ロックはダイヤモンドの隠語としても使われる。ちなみに、氷を先に入れるから、on the rockであり、ウィスキーを先に入れるとunder the rockとなるのかなあ?onには、穏やかな語感がある。ただ、ドクドクと注ぐのがウィスキーらしいので、over the rockと言った方がイメージに合うという。よって、over the rock という言葉も広がったらしい。straightは、straight upと表現することから、バーテンダーからup or over? と問われることもあるという。おいらはon the rockを好む。それも、お代わりをする時、氷を取り替えずに、そのまま上から注いでもらい、指で少しかき混ぜながらグラスに話かけ、徐々に氷を育てながら飲むのが好きだ。よって、その日のオーダーは同じ酒ばかりになってしまう。しかし、これは邪道と言われたことがある。あるバーテンダーに言わせると、氷はいつも取り替えるものらしい。別のバーテンダーは、酒の飲み方なんて本人が気持ち良ければなんでもありだよ!と慰めてくれる。

3. 水割りとソーダ割り
ヨーロッパでは、飲料水はガス入りとガスなしで大別される。炭酸ガスを含む鉱泉水と、炭酸ガスを含まない雪解水である。鉱泉水は、古代ローマ時代から、医薬的効果を持つ貴重な水として尊ばれた。水割りにしても、ガスなしの水割りと、ガスありのソーダ割りがあるということだ。ちなみに、ミズワリという言葉はグローバル化しているらしい。日本人が水割りを愛飲することの証拠であろう。ソーダ割りは、アメリカではハイボールで呼ばれることが多い。ハイボールという語の由来を明確に立証できる記録はないらしい。イギリスのゴルフ場で、ある紳士がウィスキーのストレートに、チェイサーとしてソーダを飲んでいると、ゴルフのスタートの知らせが入った。紳士は慌てて残っているウィスキーをチェイサーに注いで飲むと、意外と美味かったという。その時ちょうどミスショットのボールがラウンジをかすめた。驚いた紳士は、「おお!ハイボール!」と叫んだ。これが語源という説が有力なようだ。アメリカでは、鉄道の駅に気球を付けた柱を設置していた。そして、急行列車が田舎駅をノンストップで通過する際、予定より遅れていたら気球を高く掲げスピードアップせよ、という合図をした。これが、さっとつくれるソーダ割りに使われたという説もある。
五木寛之の小説集「ソフィアの秋」に収録される短編「ローマ午前零時」に、こんな台詞があるらしい。
「昼間からコニャックをやっている男は、どことなく信用できない感じがあるじゃないですか」
おいらにグサッ!と刺さる。ちなみに、ブランデーの水割りをブラミズと言う。

4. シーザーとシェリー
スペイン特産のワインであるシェリーは、ジュリアス・シーザーに由来する説があるらしい。本名、ガイウス・ユリウス・カエサル。最後のカエサルは一説によると、正式名ではなく仇名のようなものだという。シーザーは誕生の時、帝王切開によって取り出されたと言われる。ラテン語の切り開く、切り裂くという意味に「カエサ」というのがある。切り開いて取り出された子という意味でカエサル。やがてカエサルはローマの帝王となる。そして、シーザー手術、あるいは帝王切開という医学用語が生まれたという。カエサルはスペイン統治時、シェリーの産地ヘレス・デ・ラ・フロンテラの町にカエサルという地名を付けた。これがイスラム統治下ではシェリッシュと呼ばれ、キリスト教徒の間でヘレスと変化した。スペイン語のJerezをイギリス人は、Xeres、sを複数形と勘違いし省略してXereからsherryと変化したという。ところで、カエサルはドイツ語圏ではカイザーとなる。イタリア北東部のフリウリ・ヴェネツィア・ジューリア州はワインの名産地である。このジューリアもジュリアスのイタリア語綴り。フリウリは集会所のこと。つまり、ジュリアス・シーザー家のヴェネツィア地方の集会所ということになる。こうしたシーザーにちなんだ名前がヨーロッパ各地に痕跡を残しているだけでも、その偉大さが伝わる。

5. ルーズベルトとドライ・マティーニ
「数多いカクテルの中に一匹の妖怪が紛れ込んでいる。」
本書は、こんな表現だけでも楽しめる。その妖怪とは、カクテルの王様と崇められる「ドライ・マティーニ」である。フランクリン・ルーズベルトは、ホワイトハウスで執務時間が終わると、スタッフをねぎらうつもりで、自らシェーカーを振ってドライ・マティーを振舞ったという。これが上流社会で流行し象徴となる。これは、ドライ・ジンと、ドライ・ベルモットの二つの材料だけで作られるシンプルさがいい。ただ、本書は、マティーニがカクテルの王様という称号を与えるのに少々疑問を投げかける。ウォッカやラムやテキーラが、まだバーで主要なアイテムになっていない時代からあるので、数多く飲まれているのは確かである。しかし、「ブラッディ・メアリー」や「ソルティ・ドッグ」が先に有名になっていたら、王様の地位になれたかどうかは分からないという。今では、「キール」や「マルガリータ」や「フローズン・ダイキリ」など人気を誇るカクテルが数多く登場している。そろそろ王様を退位して平凡に生きてもいいのではないかと語る。

6. ヘミングウェイとデス・イン・ジ・アフタヌーン
晩年、アルコール性憂鬱症に陥り、猟銃で自殺した文豪ヘミングウェイ。作品「午後の死」では、生と死を観察するのに闘牛を愛した。彼は、時々ジムに通い、身体を鍛えたという。そのヘトヘトの帰り道に、行付けのハリーズ・ニューヨーク・バーに寄って気付けの一杯を注文した。ハリー・マッケルホンは、ペルノをシャンペンで割ったものを提案した。ヘミングウェイは、いつもペルノは後悔の味がすると言っていたという。それをシャンパンで慰めてみる。これに自作の題名をつけて、「デス・イン・ジ・アフタヌーン」となり、愛飲したという。「日はまた昇る」ではシャンパンを飲む印象的なシーンがあるらしい。ヘミングウェイには、「美酒は無心に味わうべし」という美学があったという。ちなみに、彼はフローズン・ダイキリがお気に入りで、「海流のなかの島々」で登場させる。

7. スプリッツァー
飲みたいんだけど、今飲むとまずい!といった場面がよくある。こういう時に、都会派の心得た人たちが注文するのがスプリッツァーだという。白ワインのソーダ割りで、アルコール度数も低い。食事の時、グラスから漂ってくるワインの香りに魔術があり、都市感覚にマッチするという。ただ、その位置付けは、カクテルと清涼飲料水の狭間に見なされることが多い。映画に「3人でスプリッツァー」というのがある。これは、東西冷戦の中で、政治的に揺れ動くユーゴに、ニューヨークの女性ジャーナリストが訪れ、恋に落ちる物語である。このタイトルは、心が揺れ動く様を「ユーゴが東西の狭間にあって、どっちつかずのスプリッツァーを飲む。」というように暗にかけているという。心憎いほどのメタファーに感動しつつ、酒のピッチも上がる。

8. ボイラーメイカー
バーボンをストレートで飲む。口の中がカーッと熱くなる。そこに水の代わりに冷たいビールをチェイサーとして流し込む。こうしたハードボイルドな飲み方をアメリカ人はボイラーメイカーという。スコットランドでも、スコッチをストレートで引っ掛けて、チェイサーとしてビールを後追いさせる飲み方があるらしい。これをL.Gという。労働組合のレイバーズ・ギルドを略したものだという。ちなみに、行付けのバーでは、いつもチェイサーに黒ビールが出てくる。おいらは、チェイサーって黒ビールのことかと思っていた。

9. 語呂合わせ
「飲」という文字を分析すると、「食」に「欠」けたものとなる。これは、食べることへの補完的な関係を明示しているという。食前酒は、仕事に疲れた神経を、瞬時にリラックスモードへと切り替える。一方、食後酒は締めの一杯?いや「止めの一撃」となる。食前の一杯にしても、食後の一杯にしても、日常では省略することはある。しかし、アル中ハイマー病ともなると食事を省略する。
本書とは、関係ないが語呂合わせの話をしだすと、酔っ払いは止まらない。何かの小説でこんな台詞を読んだ気がする。下心があるのが、「恋」。心を下に書くからだ。見返りを求めないのが、真の「愛」。心を真中に書くから真心ということである。
「酒に落ちる」と書いて、「お洒落」と言うバーテンダーがいる。お洒落は横棒が足らないので、これは詐欺である。アブジンスキーは、別名アースクエイクの方が一般的なようだ。アブサンとドライ・ジンとウィスキーで、すべて強烈なものが混ざる。飲むとまさしく地震が起きる。ちなみに、おいらは「アブちゃん好きー」と呼んでいる。
クラブ用語にも、いろいろある。「君に酔ってんだよ!」とか、煙草に火をつけてもらって、「俺に火をつけやがったな!」などは、バーテンダーに入れ知恵されたもので、おいらの口癖ではない。

x. 酔っ払いたちのテロ行為(おまけ)
本書には関係ないが、酔っ払いたちの悪行を紹介しよう。気分悪そうにしゃがんでいる人に、大丈夫か?と尋ねると、決まって大丈夫という返事が返ってくる。そこで、安心して背負って連れて行こうとすると、なんとなく首筋が生暖かくなる。これを「延髄ゲロ」という。友人の部屋を覗くと、ベッドの中で仰向けでやっているのを...「自爆ゲロ」という。その横で一緒に寝ると「ゲロ心中」となる。他人の顔の上でやると死刑は免れない。
電車の中で、綺麗な女性がなんとなく、おいらを真剣に見つめている。駅に着くと突然、女性はゴミ箱に向かって突進した。その瞬間、ゴミ箱に顔を突っ込んで...しばらくすると、そのままゴミ箱と一緒にお寝んねしてしまった。これを「特攻ゲロ」という。
女性は酒に強い人が多い。全然飲めないか、かなり飲めるかで、中途半端な女性を見たことがない。だいたい少し飲めると宣言した女性で、少しだったためしがない。おいらは3杯でダウンしているのに、10杯飲んでも平気な顔をしている。それもカンガルー級のオンパレード。それとは逆に、意外にも酒にあまり強くないバーテンダーが多い。そういう人ほど繊細なものを作ってくれると信じている。

1 コメント:

アル中ハイマー さんのコメント...

本書で紹介されているおもしろそうな本をメモっておこう。
これらの本は、昔読んだ覚えがある。しかし、本棚を探しても見当たらない。内容も全く覚えていない。おそらく古本屋へ流れたものと思われる。もう一度読んでみたいと思っているが、古いので入手が難しそうだ。

1. フランドルの冬
加賀乙彦 著 本名は小木貞孝
北フランスの小さな村の精神病院を舞台に、そこで働く日本人医師をめぐる人間模様を描いているという。主人公の精神科医が、精神疲労を癒すためにコニャックを注文する。だが、フランス人になりきれない。異邦人としての苦悩。人間の死に直面した後、現実に引き戻してくれる媒介としての酒。医師が精神のゆがみまでを矯正できるなどと考えるのは虚妄かもしれない。そうした思念へ誘う小説。

2. カロ風幻想作品集: クライスレリアーナ
E.T.A.ホフマン 著
楽長ヨハネス・クライスラーを主人公にした音楽家の芸術的創造の苦悩を描いた哲学的ムードの濃い小説だという。

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