前記事でニーチェを読んでいると、学生時代、独裁者の心理に興味を持っていたことを思い出す。本書に出会ったのは20年以上前。コニャックを飲みながら本棚を眺めていると、なんとなく読み返したくなる。
一般的に呼ばれる「ナポレオン戦争」は、人類史上初めての世界規模の戦争と言える。アル中ハイマーは、これこそ第一次世界大戦と呼ぶに相応しいと思っている。だが、あえてナポレオンその人の名で呼ばれるところは、それだけインパクトのある人物であったことの証であろう。その影響範囲はアメリカや極東にまで及ぶ。ナポレオンは、フランス領ルイジアナをアメリカへ売却し北米大陸から撤退した。中南米のフランス領およびオランダ領はことごとくイギリスによって攻略された。そして、イギリス海軍による海上封鎖によって米英戦争が勃発する。長崎で起きたフェートン号事件も、ナポレオン戦争が波及したものと言える。当時、そうした興味から本書を読んだはずなのだが、その印象はジョゼフィーヌへのラブレターのオンパレードということぐらいしか残っていない。不貞の女性がそこまで愛される資格もないのだろうが、不安、悲しみ、希望など愛にあふれた詩が綴られていたように記憶している。ところが、今読むと、愛妻への手紙もさることながら、戦争を続けなければならなかった心境や、彼の理想としたヨーロッパ観が描かれていることに感動してしまう。特に、セントヘレナでの回想は、文人ナポレオンの姿が現れる。素朴な心情に、威風堂々としながらも風流。自らの思想の気高さを語り、時には自らの手段の誤りを認める。もはや、表舞台がなくなる運命にあると、自らの回想録に浸るしかないのだろうか。最高潮な時ほど見えないものも多いが、流人の身ともなれば率直な姿や、自らを美化した姿も見えてくる。そして、ナポレオンは歴史家となった。また、ローマ皇帝を擁護している部分もある。ローマ皇帝たちはタキトゥスが中傷するほど悪い人間ではなかったと語り、尊敬の念も抱く。こうした回想場面は、全く記憶に留まっていないので、新鮮な書物として読める。これも記憶領域の破壊されたアル中ハイマーの特権なのである。
本書は、岩波文庫で絶版となっているようだ。もったいない!原標題を「ナポレオンの不滅の頁」と言うらしい。そこには、手紙、布告、戦報、語録など厳選されたものが並び、ナポレオンの自筆によって残された生々しさがある。編集者オクターブ・オブリ氏によると、ナポレオンの文章には、イタリア風なところもあるという。ナポレオンは、フランス語とイタリア語を操り、フランス語に当てはまらない言葉をイタリア語に求めている。ただ、思想も文章もイタリア的ではなく、フランス的で省略や簡潔なところもあるが、これは、フランス語固有なものだという。軍人の布告の中にも詩人としての姿を現す。また、自らを解放者と呼び、その傲慢さには見事な独裁者振りがある。ナポレオンは新聞の重要性を理解していた。フランス革命も新聞が無ければ成り立たなかったかもしれない。彼は新聞を監視し鼓吹する。そして、世論を惹きつけるための論説も書いている。政治家が偉業を成し遂げるためには、詩的な風格と傲慢さの両方を具える必要があるのだろう。偉大な行動には、一種の興奮状態になることもある。詩的でなく、高揚のセンスを欠き、知識や視野の狭い政治家は、つまらない政治屋ということか。精神の詩人は多くの書物で見かけられるが、ナポレオンは政治や戦争を通しての行動の詩人と言える。
ヨーロッパのこの時代は、一時的とはいえ世論の支持がないと独裁者として君臨できないはずである。にも関わらず、ナポレオンという独裁者の出現を許したのはなぜか?フランス革命が起こりブルボン王朝は崩壊する。しかし、革命後の共和政はすぐに恐怖政治へと変貌する。こうなると、歴史の振り子は王政復古へと振れそうだが、そうはならなかった。それも、人民の王家に対する反感が根強いものだったのかもしれない。君主制を避けたからといって独裁者が出現しないわけではない。また、共和政と民主政を比べるべくもないが、現在においても、マスコミなどの世論扇動によって恐怖政治のような流れを感じることがある。大衆は感情に流されてきた歴史がある。こうした光景は、どんな政治体制であっても、人間に内在する本質なのかもしれない。民主主義を永続させるためには、民衆が世論扇動に惑わされないように思考するしかない。ところで、近代民主主義に独裁者が出現する可能性はないのだろうか?ゲーデルは合衆国憲法の条文で独裁者が現れる可能性を指摘したという話を読んだ覚えがある。人類の発明した言葉による条文によって、論理的矛盾を完全に解消できるとは信じていない。戦争放棄を謳ったところで、戦争を完全に回避できるわけではない。歴史には平和主義者によって戦争を招いた例も多い。そこで、条文を補完するための慣習が必要となる。人類は未だ恒常不変の善悪を知らないのだから。
1. ラブレター
やっぱり、妻ジョゼフィーヌへの手紙が多い。自らの名誉へ執着するのは、彼女が名誉へ執着しているからだとか、戦場で早く勝利しようとするのは、彼女に一日でも早く会うためだとか、手紙をくれないことを嘆いたり、まるで片思いかのような必死さが伝わる。本書で一番多く登場する単語は、「ジョゼフィーヌ」であろう。そこには、皇后のためなら二十万人を犠牲にしても構わないなどという傲慢さが表れる。ナポレオンは、妻ジョゼフィーヌとの間に子が生まれないのは、自分の能力のせいだと疑っていたようだ。家族会議でも、ジョゼフィーヌとの間に子ができないことを精神的苦痛であると語る。そして、愛人マリア・ヴァレフスカ伯爵夫人との間で子供ができて、離婚を決心したと言われている。ちなみに、ジョゼフィーヌは、ナポレオンとの結婚が再婚で連れ子もいた。不貞も多かったと言われる。離婚後、オーストリア大公の娘マリ=ルイーズと再婚し、ナポレオン二世が誕生する。当初、ルイーズはナポレオンとの結婚を望まなかったが、宰相メッテルニヒの策略で実現したという。そして、二人の皇后への書簡が続く。なかなかマメなおっさんである。もし、この時代にインターネットがあったら、戦争中に嫁さんとチャットしている光景が目に浮かぶ。
2. 皇帝としての立場
ナポレオンは、帝政時代、ヨーロッパにおける自らの地位について語る。そこには、戦争を持ちかける心理がうかがえる。当時ヨーロッパでは、五つか六つの名家が帝位や王位を分け合っていた。それぞれの名家は、一介のコルシカ人が帝位の一つについていることに我慢できない。これら名家に対抗するためには、ナポレオンの恐怖下に置くことのみが、彼らと同等の立場を維持できる。ナポレオンという皇帝が、恐れられる者でなければ、フランス帝国は滅ぼされると考えていた。ナポレオンは、他国の企てを監視し鎮圧せずにはいられない。他国から威嚇されれば反撃せずにはいられない。古い家柄の王にとっては些細な事でも、ナポレオンにとっては存亡をかけた重要な問題となる。もし、息子が同じ態度を取り続けなければ、簡単に帝位から失脚するであろう、と語るあたりは、一つの君主制を固めるためには一人の人間では成しえないことを理解していたとも言える。ルイ14世にしても、長く続いた王家の継承者でなければ、簡単に王位を失っていたかもしれない。ナポレオンにとって、自身の存続やフランス帝国の存亡が、侵略戦争にかかっていた。
3. フランス革命を回想
イギリスは、数々の植民地の喪失、特に北アメリカの独立について、ルイ16世を赦していなかったという。ルイ16世は、高慢な政策によって、フランス海軍を世界第一の列に押し上げた。もし、フランス革命が起こらなかったら、ルイ16世によって英仏両国で通商貿易を独占し、両国民の恩人となるはずだったという。フランス革命は、初期においてルイ16世の庇護の下に進行した。ところが、民衆が宮殿を囲み、王が侮辱された事件が起こる。これは、フランス人によってのみ惹き起こされたのではなく、イギリスの悪しき助言があったという。その後、ルイ16世はヴァレンヌへ逃亡。これは裏切りとされ、王位を転覆させようとした少数派の餌食とされた。コブレンツにおける亡命軍の集結、ピルニッツの会議、滑稽なプロイセンとの戦争、更に滑稽なのが組織されていないフランス軍を前に退却したプロイセン軍、これらが、革命熱を最高潮にした。そして、立法議会から、国民公会の時代へと移り、革命を恐怖政治へと変貌させた。イギリスは、こうしたフランスの破壊的徴候を見て喜んだ。しかし、イギリスは敵を見誤ったがために、革命の気運が飛び火した。ルイ16世の処刑という暴挙を傍観していると、共和国という恐ろしい力が起こる。イギリスはフランスを圧殺しようと、ヨーロッパに莫大な軍援助金をばらまいたが、その負債を各国は冷ややかに見ていた。プロイセンはイギリスから離れ、ロシアは遠く見守っていた。ただ、オーストリアだけが復讐すべき侮辱を受けていた。エスパニアは、おのが利益のためなら血縁関係をも犠牲にする。イギリス首相ピットの反革命戦略は、オーストリアと神聖ローマ帝国といったゲルマン諸国のみがささえていた。キブロンでは、ブルターニュ海岸から身を投げた亡命者や銃殺された亡命者を、イギリス艦隊は傍観した。ピットはイギリス議会で、こうした政策の犠牲になった者たちを持ち出されると、イギリス人の血が流されなくて良かったと答えたという。キブロンの出来事は、フランスにとってのみ不幸をもたらし、イギリスにしてみれば金がかかっただけであると語る。
4. ナポレオンの理想
ナポレオンは、ヨーロッパを一つの世界帝国として再構築する理想を掲げていたようだ。アウステルリッツで勝利した時、アレクサンドルを捕虜にもできたが自由の身にした。イエナで勝利した時、プロイセンの王家に王位を残した。ヴァグラムで勝利した時、オーストリアの君主国を分割することを怠った。これらを、寛大処置として非難されても仕方が無いと振り返る。それは、もっと高い思想に憧れ、ヨーロッパ諸国の利害の融和を夢見ていたという。人民と王たちを和解させようという野心を抱いていた。そのために、王たちの支持も必要とした。人民による非難も覚悟の上だったが、自らを全能だと信じていた。エスパニアについては、後方に放置した事で、イエナでの対戦中、宣戦布告された。この侮辱を罰するべきだった。勝利の疑いもなかった。しかし、この勝利の容易さが逆に迷わせた。エスパニア国民は政府を軽蔑していたので、平和裡に改革ができると信じていた。そこで、自由主義的な憲法を与え、ナポレオンの兄弟を王に据えた。これはエスパニア国民から反感を買う。彼らの王朝を変えるべきだと思ったのは軽率だったと語る。ポーランドについては、再建しなければ、オーストリアとプロイセンは、依然として世界最大のロシア帝国に立ち向かわなければならない。1812年には、オーストリア、プロイセン、ドイツ、スイス、イタリアはフランス軍旗の下に進軍していた。もし、ロシア遠征で勝利していたら、ヨーロッパにおける百年の平和問題は解決されていたと主張する。しかし、そこにはフランス帝国が第一であるという前提がある。あらゆる独裁者たちは、ことごとく同じ論理に辿り着くようだ。自らが中心となって...という論理である。
5. 自画像
ナポレオンは、自己防衛のためにしか、決して征服を行ったことはないと主張する。そして、フランスは、無政府状態にあり、共和国を救うために独裁者が必要であったと語る。ヨーロッパはフランスの諸原理のためにフランスと戦うことを止めなかった。打倒されないためには、打倒するしかなかった。平和な時であれば、独裁は行わず憲法による統治を進めていたという。また、自らの行動を、当時のヨーロッパで最も自由主義的なものであったと主張する。無政府状態の溝を埋め、革命の汚れをすすぎ、民衆を栄光へ導き、王たちの地位を固めた。もはや、歴史家は、自分を批判することなどできないと語る。更に、ナポレオンは自問する。自分がどこから来たのか?どういうものか?どこへ行くのか?この神秘的な疑問が宗教へと走らせる。そこで、教育が待ったをかける。宗教にとって教育と歴史は大敵であり、宗教は人間の不完全さによってゆがめられる。ナポレオンでさえも信仰には逆らえない。盲目的に信じられれば幸せであろう。ナポレオンは言う。イエスが神になれたのは十字架の上で死んだからである。世界平和のために、ナポレオンもルソーも生まれてこなかった方がよかったのだろうか?それは未来が教えてくれるだろうと。
6. ナポレオンの戦争論
本書には、あちこちにナポレオンの戦争論がちりばめられる。それは、クラウゼヴィッツの「戦争論」を思わせるところがあって興味深い。その言葉を拾ってみよう。
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避けられない戦争は常に正戦である。あらゆる攻撃的戦争は侵略戦争である。作戦計画は前提や状況に応じて無限に変化する。軍学とは、戦地にどれくらい兵力を投入できるかを計算することである。軍学は、好機を計算し、次に偶然を数学的に考慮することにある。しかし、こうした科学と精神の働きを一緒に持っているのは天才だけである。創造のあるところには、常に科学と精神の働きが必要である。偶然を評価できる人物が優れた指揮官である。指揮をする術を知るためには服従する術を知らなければならないというが、40年間服従することしか知らない人間は、もはや指揮能力はない。60歳を過ぎた将軍があってはならない。名誉ではあるが、何もすることのない地位を与えるべきだ。作戦会議を重ね過ぎると、最悪の策が採られる。最悪な策とは最も臆病な策である。戦闘の翌日に備えて新鮮な部隊を温存しておく将軍は敗れる。将軍は常にその場に居るべきである。ガリアを征服したのはローマ軍ではなくカエサルである。ローマを恐れさせたのはカルタゴ軍ではなくハンニバルである。ヨーロッパ最強の三大国から、プロイセンを7年間防衛したのはプロイセン軍ではなくフリードリヒ大王である。フランス軍が最強なのは下士官が引っ張るからである。対等な立場だから、下士官は兵卒を傷つけない。仕官たちが亡命し、下士官が将軍や元帥になったから無敵なのである。フランスの兵隊は他の国の兵隊よりも統率が難しい。それは機械ではなく分別ある連中だからである。フランスの兵隊が議論好きなのは、頭がいいからである。彼らは作戦計画と機動演習とを議論する。そして、作戦行動を是認し、指揮官を尊敬していれば、どんなことでもできる。だが、その逆の時は失敗する。退却の術はフランス軍には難しい。敗北は隊長の信頼を失い、命令に反抗する。ロシアや、プロイセンや、ドイツの兵隊は、義務観念から持ち場を守るが、フランスの兵隊は名誉観念から持ち場を守る。前者は敗戦に無関心だが、後者は敗戦に屈辱を感じる。国民的栄光と戦友の尊敬よりも、生命を大切にする者はフランス軍の一員になるべきではない。
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2008-09-28
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