2008-09-14

"ポアンカレ予想を解いた数学者" Donal O'Shea 著

ポアンカレ予想を解いた数学者と言えば、グレゴリー・ペレルマン。彼を知ったのは、フィールズ賞を辞退した唯一の数学者として話題になった時である。彼は数学界からも去った。金銭にも名誉にも興味を示さなかった彼の残した言葉はこれである。
「有名でなかった頃は何を言っても大丈夫だが、有名になると何も言えなくなってしまう。だから、数学から離れざるを得なくなった。」
偉大な仕事を成し遂げるためには純粋な精神が必要なのだろう。科学者が科学以外に関わらなくてよければ、それは一つの理想像と言える。本書は、様々な書籍で見られるように、数学の難問の発端を古代ギリシャに求め、人類の遺産として残された歴史ロマンを語る。そこには、幾何学が非ユークリッド世界へと飛び出し、位相幾何学、微分幾何学へと発展した数学史が描かれる。アル中ハイマーには、トポロジーの世界は酔っ払った景色にしか見えないのだが、本書のおかげでなんとなく興味が持てるようになった。
本書は、地球儀と世界地図を対応させるように、二次元の折り紙の世界から説明してくれる。こうした初心者への配慮がうれしい。地図から再現される地球の形は、ドーナツ形にも、無限に伸びる円筒にもなる可能性がある。これは、北極と南極が地図という座標系における特異点と見ることもできる。二次元の地球表面は、三次元の視点からでしか観察できない。三次元の宇宙の形は、四次元の視点が必要であるが、四次元の世界は人間には体感できない。ところが、数学は四次元の世界どころかn次元の世界をも定義できる。ポアンカレ予想とは、宇宙を理解する上で中心的な役割を果たす物体の理論で、宇宙のあり得る形に関する大胆な推測である。

世界のあらゆる形について考察する上で、「二次元多様体」または「曲面」という概念がある。全ての二点について、関係を定義できなければ世界地図は成り立たない。つまり、二点間の関係は、二次元で示せる。物体を表現するのに、三次元は必要であるが、二次元多様体は何らかの立体の曲面として表現できる。
また、「境界」という概念がある。二次元多様体には境界を持つものと持たないものがある。平面状の円盤は境界を持つが、球面は境界を持たない。地球の表面を移動する生物が地球の果てを見つけることはできない。厳密に言えば、球に囲まれた球面そのものが境界なのだ。「境界」という概念は、次元をまたがる。ある物体が有限であるためには、境界を持っている必要がある、という考えはよくある勘違いということか。本書を読む時は、こうした考えは捨て去る必要がありそうだ。
いつも思うのだが、天才は特異点が登場するとブチきれた発想をする。宇宙の特異点を消してしまったホーキングしかり。ペレルマンもまた、特異点に立ち向かう。ここでは時間関数ではなく、空間スケールを変数にする。だが、酔っ払いにしてみれば、飲む時間も、夜の社交場の湾曲具合も同じように見える。また、次元の移り変わりも速い。いつのまにか、別の店に瞬間移動するのも、ブラックホール付近では空間多様体が多重連結されている証拠なのかもしれない。ちなみに、次元大介は早撃ち0.3秒、なんといっても、帽子がゾウアザラシのオス四歳の腹の皮製というのが鍵なのだ。

1. トポロジー(位相幾何学)の世界
二つの物体の形が同じであるかどうかは、見る人の観点によって違う。通常、形について語る時は、大きさや距離といった属性に着目する。ここで重要なのは、大きさや距離といった幾何学的な特性は無視することである。引き伸ばしたり、ちょっとした変形などは意味がない。一方の曲面上の点を、他方の曲面上の点に、一対一で対応することができれば、それらの二つの曲面は位相的に同じであると定義する。位相幾何学では、このような同相であるかどうかが議論の的となる。ドーナツのような形状をトーラスといい。多数穴は1穴トーラスの連結和と見なす。したがって、有限な二次元多様体のあり得る形は、平面か、球面か、トーラスのどれかになる。トーラスと球面の違いを区別する方法は、多様体の住人が周遊旅行することを想像する。出発点に糸を結び付け、その糸を垂らしながら旅行し、出発点に戻ると巨大なループが形成される。そこで糸を巻き上げると、住んでいる世界が球面または平面であれば巻き上げられるが、トーラスでは、引っかかって巻き上げられない。つまり、一点上に縮めることができるループがあるかどうかで判別する。これを三次元多様体に拡張することが、宇宙の形に近づく議論となる。現在の有力な説が正しければ、宇宙は有限である。宇宙全体の形を思い描くのが難しいのは、宇宙の外には出られないことだ。これが地球と宇宙の違いである。宇宙に境界がないと仮定しても、無限であるとは言えない。宇宙が無限ではなく、宇宙に壁がないとすれば、宇宙は湾曲しているということか?こうして、宇宙のあり得る三次元多様体とはどんなものかという議論が始まる。

2. ユークリッドの「原論」
ユークリッドの「原論」は厳密性を極めた書物として有名である。となれば、どれほど厳密かという議論は絶えない。ユークリッドは、公理や定義のみに基づいて議論を展開したとされ、何世代にも渡って礼賛される。ただ、暗黙のうちに述べられているものもある。本書は、「原論」の合理的というよりいい加減なものに映る可能性を指摘している。一部の学生には数学離れを引き起こし、自らの理解力を嘆き、数学は高嶺の花だと結論付けてしまう恐れがあるという。特に、第五公準は他の公準に比べてもかなり複雑である。これは、平行線公準としても有名であるが、おいらには何度読み返しても理解が難しい。しかし、人類が示す論理的思考には、直感や暗黙の了解から得られる社会的文脈や、文化的文脈によって継承されるところがある。言語表現にも限界がある。多少の欠陥があるにせよ「原論」の寿命は恐るべきものを感じる。ただ、ユークリッドの著作の半分は残っていないのは残念である。アレキサンドリア図書館の火災がなければ、人類の歴史も違っていたかもしれない。

3. ベルンハルト・リーマン
ガウスは、「原論」の第五公準が成り立たなくても、成立する幾何学があることを確信していたという。そして、曲率をめぐった議論が始まる。平らな平面では、三角形の内角の和は180度である。ただ、空間が湾曲している場合は、これに限らない。180度より大きければ、その平面は、正の曲率を持ち、小さければ負の曲率を持つ。こうした議論が非ユークリッド幾何学を誕生させる。リーマンは微分幾何学を導く。彼は、n次元多様体を実数の配列で表した。点を数とみなし、一次元は一つの実数で数直線上に表れ、二次元は二つの実数で平面上に表れ、三次元は三つの実数で立体の中に表れる。四次元以上は想像できなくても、実数の並びと考えれば定義できる。リーマンは、無限次元多様体の存在までも認めている。数学では、直線を二点間を最短で結ぶ線と定義する。これは「測地線」と呼ばれ、その空間の住人にはまっすぐに見える。直線が定義できれば三角形を定義することができる。三角形は、三本の測地線分を境界とする図形である。三角形が定義できれば曲率を定義することができる。三次元多様体では、一つの点を通過する二次元平面が多く存在する。その点を通過する様々な平面の曲率は、それぞれ異なる可能性がある。二次元多様体で地球のような球面では、子午線と赤道のような大円が測地線である。球面上では三角形の内角の和は180度より大きくなり、曲率は正である。こうした整った形を相手にしているうちは気分がいい。だが、ゴツゴツしたジャガイモのような形に幾何構造があるかと言われると違和感がある。なんといっても、幾何構造の美しさは対称性にある。また、トーラスには、正の曲率と負の曲率が共存する。酔っ払いの神経では、空間のねじり曲がったリーマンの世界に慣れ親しむことができそうもない。よって、ここで芋焼酎をおかわりするとしよう。

4. アンリ・ポアンカレ
クラインとポアンカレは、二次元曲面での位相幾何学が、ユークリッド幾何学と深い関係があることを導いたという。それは、どんな曲面にも曲率が一定になる幾何構造を持たせることができるというのである。そして、曲面の分類が始まる。単位元の多様体の基本群が、三次元球面と同相でない可能性はあるのか?多様体の基本群を、多様体上の一点を基点とするループの集合と定義し、一方のループを変形させると、もう一方のループになれば、同じループと見なす。ループが一つの点にとどまるならば、それを単位元とする。つまり、単位元はループを縮めると一点になる。基本群が単位元になるということは、多様体上のすべてのループを一点に縮められるということで、これを単連結というらしい。そして、ポアンカレは問う。
「三次元球面と同相でない多様体で、その上のすべてのループを一点に縮めることができるものが存在するだろうか?」
境界を持たず、無限に広がることのないすべての単連結な三次元多様体は、三次元球面だけなのか?ポアンカレ予想は一般相対性理論との関わりも大きい。アインシュタインは、重力の正体を時空の曲率とした。アインシュタインは、リーマンの理論が自らの物理法則を説明するのに最適であると認識していたという。物質は時空を湾曲させ、光も曲がる。というより光は測地線に沿って通るだけである。

5. 高次元への展開
ジョン・ミルナーは三次元空間内の閉曲線に関する問題を解決した。どの次元にもユークリッド空間はある。同じように、どの空間にも球面がある。例えば、二次元球面は、三次元空間内である原点から一定の距離だけ離れた点集合である。三次元球面は、四次元空間内である原点から一定の距離だけ離れた点集合である。ただ、ここでいう四次元空間は、四個で一組の実数集合で単なる数学的表現に過ぎない。これはn次元球面に拡張できる。ユークリッド空間内では微積分ができる。微分可能構造とするには、一貫性のある変化率を定義できればいい。つまり、線形ということである。ミルナーは、二つの七次元球面が同相であるにも関わらず、微積分の方法が多く存在し、その値はすべて異なるという衝撃的な発見をしたという。
スティーブン・スメールは、一つ高い次元の多様体の境界にある二つの多様体の性質に関する重要な結果を証明した。そして、3を上回る次元のすべての多様体は、実際には球面であることがわかったという。
ウィリアム・サーストンは、幾何学の流れを根底から変えた。二次元には三種類(平面、球面、トーラス)ある幾何構造が、三次元では八種類あり、それ以外にはないことを示した。
リチャード・ハミルトンは、熱が温かい部分から冷たい部分へ流れるように、多様体では湾曲のきつい部分からゆるい部分へ曲率が流れるという考え方を提唱した。曲率がもっとも大きくなる方向で距離が最も速く縮むように空間上の計量を変えるのである。といっても、温度よりも曲率ははるかに想像が難しい。温かい部分から冷たい部分へ流れる熱法則を定量化するには、ある点を中心とする平均温度へ向かうことを想像すればいい。だが、曲率では、次元が高くなれば変数が増える。また、熱方程式に相当する曲率を表す式を求めなければならない。曲率の変化を表す式、これこそがアインシュタインの直面した問題である。
ここで、自然な変化を表現する解析の道具にラプラシアン演算子がある。これを、ある点を中心とする小さい球面上の数量を平均化することに使う。熱伝導の場合、時間に対する温度の変化率は、ラプラシアンの符号を負にしたものに比例する。ちなみに、金融市場のオプションの値を決めるのに使われるブラック=シュールズ方程式の基盤となるメカニズムは、これと同じである。曲率の場合、これをリッチ・フローと呼ぶらしい。ハミルトンが提案したリッチ・フロー方程式は偏微分方程式である。すべての点のすべての方向で目的の変化率を求めるように、様々な方向の変化率を指定できる意味で、偏微分は有効である。ちなみに、マクスウェルの方程式は、電場と磁場を統一した偏微分方程式である。アインシュタインの方程式は、物質、空間の曲率、重力を結びつける意味で偏微分方程式で表す。流体の流れや熱伝導を支配する方程式も、量子力学のシュレディンガー方程式も、偏微分方程式である。ただ、偏微分方程式にはしばしば特異点が現れる。ハミルトンもこの悲劇からは逃れられない。三次元多様体では、リッチ・フローが特異点を与えることを証明してしまったのだ。ポアンカレ予想への証明は絶望かと思われた。

9. ペレルマン
ペレルマンは計量の階層という概念を持ち出す。大距離スケールでは互いに遠く離れているように見える領域どうしが、小距離スケールでは互いに近づいている可能性があるという。なんと、リッチ・フローが特異点に到達すると、大距離スケールでは別々の連結された部分の領域が隣接する可能性もあるというのだ。ここでは、時間の関数ではなく、スケールをパラメータとしている。数学者は、なるべくなら特異点を避けたいと考えるだろう。ペレルマンはリッチ・フローの特異点について徹底的に追求したという。そして、多様体内の空間が崩壊する寸前まで曲率が大きくなった時、予想外の規則性が生じることを発見した。なんと、特異点が発生した時点で、元の多様体から切り取って、同種の幾何構造を持たせることができるというのだ。特異点では、別の空間を連結させてフローを継続できるとでも言うのか?もしかしたら、これがブラックホールの姿で、この付近で多重連結でもされるのか?都合が悪くなったら多様体を自由に分割したり、合体したりして、なんとも幼稚園で積み木遊びでもしているように見える。ペレルマンは、その多様体が単連結ならば、リッチ・フローが曲率の極限を平坦にならしてくれて、元の多様体と同相な一定の正の曲率を持つ多様体が形成されることを証明したという。んー!ますます酔っ払いの見える空間はねじれていく。
ところで、肝心の宇宙の形はどうなるというのか?現在、多くの天文学者の観察が、宇宙の平均曲率がきわめてゼロに近いことを示唆している。宇宙物理学者の間では宇宙は平坦であるという意見が支配的だが、宇宙はわずかに正の曲率を持っているというのも否定できない。ただ、負の曲率を持っている可能性は、実験的証拠によって否定されているらしい。

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