2010-05-09

"リーマンのゼータ関数" 松本耕二 著

序章に「リーマンのゼータ関数の理論への入門書」とあるので、自らの能力を顧みず誘われてしまった。ちなみに、必要な予備知識は、微積分と複素関数論のみだという。確かにその通りだが、ε-δ論法で数学をとっくに挫折したアル中ハイマーにとっては不等式を見るだけで蕁麻疹がでる。本書にも、重要な場面でビッグオー記法を用いた近似の概念が盛り込まれる。原理の推論には、不等式を使った限界点を探る方法が有効だからである。
本書は、リーマン予想の動向を述べたもので、基本的な理論を中心に、そのエッセンスを紹介してくれる。

「ゼータ関数の自明でない零点の実数部はすべて1/2である。」
リーマン予想は数学上の有名な未解決問題の一つで、ゼータ関数は無限級数で定義された一種の複素有理関数である。この関数が注目される理由は、素数分布に関する本質を内包しているからである。素数といえば、直感的にまばらに存在し、数が大きくなるにつれて減少していき、やがて無くなるような気がする。しかし、永遠に存在することをユークリッドがエレガントに証明した。
では、次の疑問は、まばらに存在する様子に法則性があるのか?ということになる。リーマン予想では、ゼータ関数の解が複素平面上で実数1/2の直線上に無限に現れることを唱えているが、虚数値の分布状況については言及していない。ところが、虚数値の分布が素数の分布状況と重なる可能性があるとされる。その気配に最初に気づいたのが巨匠オイラーと言われる。おまけに、素数分布がランダム行列理論と重なるというから神秘と言わざるを得ない。もし、純粋ランダム性が宇宙法則に従った何らかの体系で説明できるとすれば、あらゆる複雑系の現象を数学で説明できるかもしれない。
更に、アル中ハイマーはリーマン予想を泥酔性と結びつける。「自明でない零点」を「記憶のない例の店」と置き換えれば、ゼータ関数の正体が見えてくる。例の行付けの店で、実際にコップ半分しか飲んだ記憶がないのに、虚空間では無限に飲んでいる可能性がある。そして、夜の社交場をまっすぐ歩いているつもりでも、いつのまにか例の店に何度も立ち寄る現象は、実空間で体感する直線運動が虚空間では螺旋運動をしている可能性を示唆する。この足取りこそ臨界線である。たとえベロンベロンに酔っ払った(発散した)としても、別の人格(定義域)では俺は酔ってないぜ!(収束している)と主張するのも、ゼータ関数が都合よく定義域によって変形する様を表している。そして、純粋ランダム性は、純米酒のまろやかさが体内に広がる様子とエントロピー増大の法則とで重なる。なるほど、泥酔者のランダム・ウォークをゼータ関数で説明できそうだ。
はたして、ゼータ関数 = 素数分布 = 純粋ランダム性 = 泥酔性という神秘の法則が成立するだろうか?

1. ゼータ関数とオイラー積
ゼータ関数を下記に示す。
ζ(s) = 1 + 1/2^s + 1/3^s + 1/4^s + ... = Σ 1/n^s
ζ(2) = (π^2)/6 は、オイラーの解いたバーゼル問題で、解にπが出現するところに神秘を感じる。
ζ(4) = (π^4)/90
ζ(6) = (π^6)/945
sは、今日では複素変数として扱うのが通例であるが、当初は実数で扱われた。
sを実数とすると、s > 1 の時、1 + 1/(s-1) で収束し、s = 1 の時、発散する。
オイラーは、ゼータ関数をオイラー積で表した。
Σ 1/n^s = Π 1/(1-p^-s), ただし、pは素数。
この式の興味深いところは、実数を成分とする無限和が、素数全体を成分とする無限積で表されることである。ここにゼータ関数が、素数と何らかのかかわりを持つと考えるのは自然であろう。

2. 素数定理
素数分布の漸近的挙動をルジャンドルとガウスが示している。両者の予想は、どちらも第一近似が次のようになる。
π(N) ~ N/log(N) : ~(チルダ)は近似の意味。
これが素数定理である。ちなみに、π(N)は素数個数関数であり円周率とは関係ない。
素数定理をビッグオー記法で表したものに、次の定理があるという。
x → ∞ の時、π(x) = li(x) + O(x・exp(-c√log(x)))
となるような、定数c > 0 が存在する。
ちなみに、li(x) = x/log(x) + x/(log(x))^2 + ... (n-1)!・x/(log(x))^n + O{ x/(log(x))^(n+1) }
O()がビッグオーで、引数が無限大に向かう時の関数の大きさに制限をかけている。つまり、O()は誤差項である。この誤差項の探求が、ゼータ関数の研究と結びつくようだ。
ところで、リーマン予想を仮定して、実数部を1/2にすると、
π(x) = li(x) + O(√x・log(x)) ...こんな風になるのかな???

3. 非臨界領域と「自明な零点」
sを複素数に拡張して、s = σ + it (ただし、i = √-1) と表す。
変数を実数と限定する限り、σ > 1 の時、ζ(s)は収束するので零点を持たないが、σ = 1 の時、無限大となる。ところが、複素平面に展開した途端に、その無限大の障壁が破れるという。つまり、実数での定義域が、複素数に拡張された途端に、未知なる次元の宇宙へと飛び出すというのだ。
更に、ガンマ関数で表すと、以下の式が成り立つという。
π^(-s/2)・Γ(s/2)・ζ(s) = π^(-(1-s)/2)・Γ((1-s)/2)・ζ(1-s)
ここで、s = 1/2 は特別な意味がありそうだ。1/2 = 1 - 1/2 で、両辺でζ(s) = ζ(1-s)となるからである。これは、1/2 を軸とした対称性を示している。
ガンマ関数は、実数部が正の時、Γ(s)は絶対収束する積分で表わされる。
そして、Γ(s+1) = sΓ(s) が成り立つが、これを実数部が負の領域でも定義できれば、複素数全体で有理型の関数として拡張することができる。その極は、s = 0, -1, -2, -3, ... のみで全て1位の極であり、また零点を持たないという。
変形すると、
ζ(s) = π^(s-1)・Γ((1-s)/2) / Γ(s/2)・ζ(1-s)
これは、右辺のζ(0)の値が定まれば、ζ(1)が求まることを意味している。
右辺の商Γ((1-s)/2) / Γ(s/2)は、s = 0,-2,-4,-6...で1位の零点を持つ。したがって、s = -2, -4, -6, ... の時、ζ(s)は零点を持つことになる。これが「自明な零点」である。
こうして、s > 1 と s < 0 の領域での考察を見ていったわけだが、逆に、0 ≦ s ≦ 1 の解明が困難であることが分かる。これが臨界領域である。リーマンは、臨界領域の中で、1/2を臨界線(クリティカルライン)として、非自明な零点はすべて臨界線上にあると予想を立てたことになる。
ちなみに、ガンマ関数の公式に、Γ(s)Γ(1-s) = π/sin(πs) というものがあるという。
ジョン・ダービーシャー著の「素数に憑かれた人たち」には、下記の式が記載されていた。
ζ(1-s) = 2^(1-s)・π^-s・sin((1-s)π/2)・(s-1)!・ζ(s)
なるほど、変形すると同じような形になりそうだ。ここで、1-s = -2, -4, -6, ... の時、sin成分が0となるので、ζ(-2) = 0, ζ(-4) = 0, ζ(-6) = 0, .... となる。

4. 臨界領域
リーマン予想を証明するためには、臨界線 s = 1/2 において左右対称性を示すので、1/2 < s ≦ 1 の範囲において、ζ(s) ≠ 0 を証明すればいい。しかし、臨界領域におけるζ(s)の挙動を定式化することは極めて困難!ここに値分布を解析しようと試みてきた数学の歴史を感じる。
ここで、次の定理があるという。
「任意の固定した 1/2 < σ ≦ 1 に対し、集合{ζ(σ + it)|t ∈ R}は、Cで稠密である。」
これを基に、有限和による様々な近似式や、ζ(s)の絶対値の大きさを求めるオーダー評価を紹介してくれる。
ディリクレ級数表示すると、こんな感じになる。
ζ(s)^2 = Σ{ d(n)/n^s }, ただし、σ > 1
d(n)は、自然数nの正の約数の個数で、約数関数のこと。これは、ζ(s)^2の平均値である二乗平均値は、約数関数d(n)と密接に関係することを示す。また、ディリクレの漸近式から誤差項を求めている様子も紹介してくれる。
リーマン予想は、誤差を定式化するという最も難易度の高い分野と言えそうだ。
ところで、リーマン予想は、実数部が1/2と言ってるだけで、虚数部については言及していない。本書は、虚数部が正の零点を、p1, p2, ...とし、pn = βn + iΓn とすると、次のように近似できるという。
Γn ~ 2πn/log(n), n → ∞
Γnの挙動は、臨海領域において、1を法とした一様分布であることが分かっているそうな。

5. リーマン予想を前提とした研究
「零点密度理論」という研究分野があるという。あくまでも、リーマン予想が正しいという前提で存在する分野だそうな。歴史的にも、定理が正しいという前提で進められる様々な研究がある。定理が反証されれば、すべて無駄に終わるわけだが、数学者たちはこうしたものに人生をかける。純粋な探究心がなければ持続できるものではなかろう。自然科学は、こうした研究者の地道な努力によって成り立っている。中にはフィールズ賞やノーベル賞といった輝かしい表舞台に立つことのできる偉人もいれば、世間から認識すらされない偉人もいることだろう。たとえ無駄な研究に終わっても、科学への貢献という意味で差別できるものではない。名声や賞金目当てに、政治的にうまく振る舞える人ほど有利であるのは、どの世界でも同じだろうが、偉人はそうした偶然性で得た名声をそれほど意識はしないものらしい。巨匠オイラーは、真理が覗けるのであれば、その功績が誰のものであってもええ!というようなことを述べたという。

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