2010-05-30

"量子コンピュータ" 竹内繁樹 著

チューリングマシンが登場して半世紀以上、その集積度と性能の向上には凄まじいものがある。なにしろ、最近のパソコンの性能でも十年前のスーパーコンピュータ並なのだから。だが、その勢いも陰りを見せる。もはやムーアの法則が崩れようとしているのか?それとも、構造的変革が求められているのか?
量子コンピュータという言葉は、電子工学を超越した何かを匂わせる。名称からして量子論と結びついているのは言うまでもないが、その実現で不確定性原理と対峙することが容易に想像できる。コンピュータ工学は電子工学によって発展してきた。そしていま、物理量はどこまで微小なのか?という問題を扱う量子論と結び付く。そして、電子工学の役割は終焉を迎えようとしているのか?

コンピュータの構造は、メモリやレジスタといった状態の保持によって実現される。その基本は、0か1の状態を持つビット構造にある。大きな数字を扱うにはビット列を対応させ、n次元を扱うには複数のビット列の組み合わせを対応させる。もともと、コンピュータは数値演算の道具であり、その主な用途はデータ解析であった。オイラーの解析学のように複素空間を扱う場合は、実数部と虚数部にそれぞれビット列を対応させて、三角関数に投射しながら位相関係を解析したりと、擬似的な座標空間を形成する。フーリエ変換は、まさしく三角関数の直交性質を利用した解析法である。
もし、位相状態をなんらかの方法で直接制御できるならば、扱える状態も無数となり、演算効率が格段に向上するだろう。直交関係だけでなく、位相による相殺の関係に持ち込むことができれば、演算を単純化できる。位相状態を持ったもの同士で演算ができるとなると、並列処理も可能となろう。
量子コンピュータの基本を成す「量子ビット」とは、0と1を「重ね合わせ」の状態で保持できるものらしい。従来のビットに位相を加えてセットにしたようなものか。その鍵となる素子が「アダマールゲート」である。これは、量子位相ゲートのようなもので、複素数演算が数式のイメージのまま計算できると言おうか。しかも、位相の制御を、原子レベルのスピンやエネルギー準位でやろうというのだから尋常ではない。原子や電子レベルともなれば、不確定性に支配された「ゆらぎ」の問題があり、重ね合わせ状態を破壊するだろう。光子の偏向をスプリッタで分離したところで、一つ一つの光子の動きを予測することは不可能である。本書は「重ね合わせ」の概念を中心に語られるわけだが、そうなると確率論に持ち込まれることになろう。半導体素子にしても、バンドギャップ内で生じるキャリア効果が、フェルミ準位近辺で電子が移動できるかどうかの確率で決定されるのだから、似たようなものかもしれない。
コンピュータは1ビットでも怪しい動きをすると、破綻するシステムである。とはいっても、現在のコンピュータには誤り率が存在する。磁気装置や半導体装置などシステムの性質によって、誤り訂正符号を駆使しながら実用レベルに誤り率を抑制しているに過ぎない。完璧なコンピュータシステムがあれば、バックアップ機能なんて必要ないわけだ。よく分からないのが、量子コンピュータは理論的には100%の正しい解答が得られるという。従来の誤り訂正の発想とは根本的に違うのだろうが、にわかには信じがたい。本書は、「量子誤り訂正符号」という補正の仕組みを紹介してくれる。それにしても、人間が不確定性原理を凌駕しようとは、神に近づこうとしているかのように映る。
本書は、入門書ということもあって、ひたすらイメージで捉えやすいように配慮される。その分、肝心なところがあやふやな気がしてならない。構造的な話が中心であるが、もう少し数学的な解説がほしい。難しいものを、あまり簡単に説明しようとすると、余計に混乱することがある。難しいものは、素直にある程度難しく説明してもいいような気がする。ただ、量子コンピュータに少し興味を持つきっかけになったのはありがたい。もやもやした気分にさせて興味をそそるのが、本書の思惑なのかもしれない。モザイク映像が興奮を掻き立てるように、見事にアダルト戦略にしてやられた感がある。

コンピュータが解ける範囲は限られる。それは、計算によって導けるようにうまいこと問題設定がなされた場合のみである。コンピュータが哲学的問題を解決することはないだろう。すべての実数演算ができると信じるのは狂信的である。解けないものの方が多いのだから。コンピュータ工学を学んだ人は、実数演算をいかに近似で誤魔化しているかを知っている。たまーに、浮動小数点演算で答えが合わないと騒ぐ新人君を見かければ、IEEE754の意義を匂わせてやればいい。アラン・チューリングは、プログラムが停止するかどうかを決定する機械的方法が発見できれば、あらゆる実数演算が計算できると主張した。いわゆる、対角線論法によって証明された「停止問題」である。また、計算が可能であっても、計算量が莫大でスーパーコンピュータを使っても宇宙年齢を超える時間を要するような問題がある。本書は、数学で有名な「ナップサック問題」と「巡回セールスマン問題」を紹介している。こうした数学的問題で必ず登場するのが因数分解である。だから、暗号アルゴリズムに利用される。その有名な古くからの解法に、小さな素数で順に割っていく「エラトステネスのふるい」がある。とはいっても、500桁の素数をベースにすれば、たちまち限界に達する。
ところが、シェア博士は、量子コンピュータを使えば、計算量が桁数に比例する程度の時間で因数分解が解けることを発見したという。ここには、動作周波数を超えた発想がある。従来のコンピュータが論理的思考だとすると、量子コンピュータは直観的思考とでも言おうか。直観には、なんとなく並列的な発想があるように思える。もしかして、「量子並列性」とは直観のことか?

ところで、量子とは不思議なものである。かつて、光は粒子説と波動説で論争が繰り返され、やがて二重性で落ち着いた。アインシュタインは、光のエネルギーの最小単位を仮定した。光子とは、エネルギーの固まりを持った波といったところだろうか。光は電磁波の一種であり、電子や原子にも二重性がある。電流が流れると、原子の中で回転する電子は常に運動の向きを変える。電子からは電磁波が放射され、その分エネルギーは失われるはず。となれば、電子はだんだん原子核に近い軌道を描きながら、ついには原子核に吸収されはしないか?人工衛星が、大気との摩擦でエネルギーを失いながら徐々に地球に近づき、ついには大気圏に突入するように。だが、うまい具合に、電子波の波長で軌道が安定するから摩訶不思議!ここに宇宙の真理があるとすれば、すべての物体は、個体性と波動性の二重性があるのではないか?と考えてしまう。個々の人間が群衆エネルギーと化せば、もはや個人の性質を解析したところで全体像を把握することはできない。どんなに規制を強化したところで、悪事は干渉現象のように、ちょっとした隙間から回り込んでくる。これは、まさしく波動現象ではないか。もはや、一部の人間の政治力では、民衆の波を制御することはできないだろう。そのうち、人間社会を不確定性原理で説明する社会学者が登場するかもしれない。そして、社会学も物理学に吸収されるかもしれない。

1. 量子コンピュータは万能ではない!
おもしろいことに、量子コンピュータは、どんな問題でも速く解けるわけではないようだ。1 + 1 といった単純な計算でも、量子コンピュータを使うと、家庭用パソコンに遠く及ばないという。となれば、論理コンピュータと量子コンピュータが共存するような時代が来るのだろうか?人間の思考が客観性と主観性でバランスされるように。
量子コンピュータの得意分野は、因数分解やデータ検索などだそうな。インターネットなどの情報検索では、時間をかけて完璧な結果を得るよりも、だいたい正しいだろうという結果を高速に得られる方が有用である。検索キーが明確でも、検索しようとする思惑は検索者の主観に委ねられる。そもそも、検索結果が正しいかなんて検索者の満足度でしか計れない。こうした分野では確率分布が重要となる。高速性を求めると確率的なリスクを背負うことになる。そこで、ランダムアルゴリズムが効果を発揮する。とはいっても、擬似ランダム性に頼るしかないのだが...量子コンピュータが実現すれば、純粋ランダム性なるものが見えてくるのかもしれない。その先にリーマン予想も見えてきそうだ。様々な要素がでたらめに存在する複雑な社会では、正確性よりも高速性からある程度の実用性を求めるケースが多い。ただ、真理が多数決によって支配されると悲劇であるが...
アインシュタインは、不確定性原理を受け入れられずに「神はサイコロを振らない!」と言った。アル中ハイマーは、社会泥酔論を受け入れて「神の博奕好きには、困ったものだ!」と呟く。

2. 「重ね合わせ」と「もつれ合い」
本書は、重ね合わせを半透鏡で説明している。明るい部屋と暗い部屋を半透鏡で仕切った場合、暗い部屋では自分の部屋の光が鏡に反射する光よりも、明るい部屋から通過してくる光の方が強いので、明るい部屋の様子が見える。一方、明るい部屋では、自分の部屋の反射する光の方が強いために鏡のように見える。これがマジックミラーの原理である。
ところで、半透鏡で光を分離した後、再び重ね合わせようとすると、奇妙な現象が起こるという。それは、光の波長と経路によって、微妙な違いを見せる。二つの経路があったとして、最初に一つの半透鏡で二つに分離し、二段目の鏡でそれぞれを反射させて三段目の半透鏡で合わせる。そこで、二つの経路をまったく同じにすれば、位相差はゼロになるので完全に透過する。だが、経路差を波長の半分にすると、位相は逆転して完全に反射するという。つまり、経路差を微妙に調整することで、光の分離量を変えることができるというわけだ。波長と経路の関係は、マクスウェルの電磁気学で説明できる。光子を一つ一つ観察すると、でたらめに透過したり反射したりするのだが、全体としては、光子自体が分離されるのではなく、光量を分離していることになる。光が一定方向にしか進まなければ単純化できるが、現実には、光子や電子は様々な経路を辿るから厄介である。だが、波長に対して、微妙に経路差を調整することによって、確率的に考察することは可能である。これはトンネル効果における電子の透過確率に似ているような気がする。
本書は、「確率波」という考え方を紹介している。光子が存在する確率は、確率波の振幅の二乗で表されるという。これは、波のエネルギーが振幅の二乗に比例することに対応している。光子の経路確率だけとっても、安定した範囲はかなり絞られるだろう。ただ、安定位相を0, 90, 180, 270度の4つだけだとしても、演算効率は格段と増す。位相を反転するだけでnotも表現できる。コンピュータの構成要素として用いるためには、量子メモリや量子レジスタとして位相を保持できる仕組みが必要となる。となれば、量子コンピュータの実現には、この位相状態を、どこまで明確に予測できるかが鍵となりそうだ。従来のビット列は、ビット毎に独立した状態を保持する。だが、量子ビットでは、重ね合わせ状態を分離して、複数の量子ビットの関係を独立には扱えないという。となれば、量子演算素子は、量子ビットと重ね合わせ状態をセットにしたものになるのだろう。これが、「量子もつれ合い状態」というらしい。この「重ね合わせ」と「もつれ合い」が超並列処理を可能にするという。

3. 量子暗号
量子コンピュータで問題となる不確定性原理だが、量子暗号では、むしろこの性質を利用しているという。光子の偏光状態は様々な位相状態を持つために、一個の光子を観測しただけでは特定することができない。つまり、同じ偏光を持つ光子の複製は不可能ということらしい。光伝送経路において、途中で中継して光子発生装置で再送信したとしても、正確に情報が複製できないために、途中経路で盗聴されたかどうか容易に判別できるという。しかも、盗聴者の追跡調査も可能だそうな。これは、重ね合わせの状態をどのように設定するかは可能でも、どのように設定されているかは、不確定性原理によって第三者の解読は不可能という原理に基づいている。盗聴者から秘密鍵を解析することが、不確定原理によって不可能となれば安全性は高い。しかし、送信側の設定を何らかの方法で受信側に伝えなければならない。結局、どんなに優れた通信システムであれ、内部の人為的ミスや悪意からは逃れられないだろう。

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