2010-12-12

"新科学対話(上/下)" ガリレオ・ガリレイ 著

前記事でニュートンを扱っているうちに、なんとなくガリレオに立ち返りたくなった。それにしても「新科学対話」が絶版中なのは惜しい!「天文対話」の方は復刊したようなので注文中。ということで図書館を漁った。本書は岩波文庫から1937年に刊行されたものである。

ガリレイが、ニュートンに先だって近代力学を切り開いたのは誰もが認めるところであろう。彼は、天文学の先駆者としても知られ、望遠鏡で木星の4つの衛星を発見し、銀河の正体を暴き、あるいは、太陽の黒点、月の表面、金星の三日月、彗星などの観測で功績を上げた。土星については、三つの星で構成される三重性を説いた。しかし、当時の望遠鏡の性能では、土星の環は両側に小さな星がくっついているようにしか見えなかったそうな。
ガリレオは偉大な科学者で有名だが、同時に優れた教師でもあったという。教説的なものを嫌い、学者振らない性格が手伝って、このような親しみやすい対話形式を生んだのであろうか?あるいは、異端的な意見に対する厳しい社会風潮への皮肉的企画であろうか?後に宗教裁判に嵌められる予感でもあったのだろうか?などと思うのは、当時勢いのあったアリストテレス学派の批判書になっているからである。逆に言えば、アリストテレス哲学に精通した理解者でもあるのだが...

本書は、「自然界において、運動より古い根源的なものはない」と主張する。そして、自由落下運動が、連続的に加速されるといった表面的なことは観察されていても、その加速度がいかなる大きさのものかについては誰も言及していないと指摘している。ここには、古くから哲学者たちが運動の原理を実験で確かめることを怠ってきたことへの批判が込められる。
科学者たちは、根本原理を明らかにする最も重要な実験を「アルファ実験」と呼ぶ。ガリレオの試みは、まさしく「アルファ実験」と呼ぶに相応しい。本書は、現象に対する仮説を立てながら、数学的演繹法によって理論を構築し、実験的帰納法によって実証して見せる。その流れは芸術の域に達していると言っていい。これぞ物理学の原点というものではなかろうか。

登場人物は、ベネチア市民サグレド、新興科学者サルヴィヤチ、アリストテレス学派の学者シムプリチオの三人。対話は四日に渡って行われる。前半の二日では、構造力学や材料工学の面から問題が提示され、アリストテレスの機械学に対する疑問が議論される。後半の二日では、物体の運動の幾何学的原理に踏み込み、等速直線運動、等加速度運動、放物線運動について考察される。

1. 機械学
最初の題材として、材料の強度や密度といった構造的原理を扱っている点に注目したい。客観的な世界観では幾何学が最高位にあった時代、物体の運動はほとんど表面的な軌道が考察されてきたが、ここでは物体そのものへの構造的観点を与えている。まず材質の抵抗力について語られるのは、後述される自由落下運動で空間における媒体、つまりは空気や水といった物体に対する比重を持ち出すための布石であろうか。構造力学や材料工学という分野がまだ登場していない時代では、科学者の数学的客観性よりも職人たちの経験的直観の方が優っていたのであろう。科学的知識は理論に実践が結びつかなければものの役には立たない。それは、思想観念と似たような事情にあって、あまりに理想に偏り過ぎると、とんでもない事態を引き起こすであろう。
現実に、小さな船がうまく製造できたからといって、大きな船を製造するとなると単純にはいかない。生物の構造にも似たような事情がある。昆虫が体の何十倍もの高さから落ちても平気なのに(多分?)、人間は体の数倍の高さから落ちると骨折したりする。幾何学的には大小で相似形なのに、同じように設計してもうまくいかないのは、材料の選別や具体的な補強が必要となるからである。逆に、大きいほど製造誤差を相対的に小さくできるというメリットがあり、時計などの精密機械は小さく製造することの方が難しい。当時は、不完全な材料を微妙に感じ取る職人の方が、理論家よりも合理的だったのだろう。
また、同じように機械を設計して製造しても微妙に違いが生じる。同じ造船所で作られた同型船といえども完全に同じものはなく、同型の潜水艦でも音紋の違いが生じる。必ず機械には癖があって壊れ方に傾向があっても微妙に違う。その原因は、加工誤差の蓄積から生じると簡単に片づけられるのか?それとも物体の本質的な何かがあるのか?全く同じ物体なんてものは数学上の抽象概念であって、厳密には存在しないのかもしれない。

2. 自由落下運動と真空
アリストテレスは、落下速度は物体の質量に比例すると考えた。金の球は銀の球よりも二倍速く落下するということである。その根底には、真空の存在を否定する思想がある。アリストテレス学説では、あらゆる物体の運動はなんらかの媒体が相互に干渉して連動すると考える。だから、真空状態では互いに干渉する要素がないことになり、エーテル説を登場させることになる。
本書は、物体の運動を落下するものだけで論じるから、こうした誤謬を犯すと指摘している。空間になんらかの媒体が存在すると比重が問題になる。現実に、空気中で落下しても、水中では浮かび上がるものがある。重力に対して空気抵抗が問題となり、純粋な落下運動を観測することはできない。アリストテレスの時代、水に重さがあると分かっていても、よもや空気に重さがあるなどとは考えもしなかっただろう。
本書は、重さの異なる物体が真空中では同じ速度で落下することを説明する。その実験ではピサの斜塔伝説が有名であるが、それはヴィヴィアーニによる宣伝であって、実際には行われなかったというのが通説となっている。本書には大砲と銃の弾を使った実験が語られる。最も空気抵抗を受けにくいものとして火器を用いるのが適切だと語られるが、時代からしてマスケット銃が手っ取り早かったということであろう。そして、重力の概念を加速度という概念に発展させる。
そういえば、むかーし理科の先生が、真空ポンプで情熱的にデモンストレーションをやっていたのを思い出す。先生には悪いが、おいらは懐疑的に眺めていた。ガリレオが正しいと分かっていても、酔っ払いの感覚はアリストテレスの世界で生活している。したがって、アルコール濃度の高い方が沈むのも速い。

3. 運動の法則と斜面実験
基本運動として等速直線運動、等加速度運動、放物線運動について言及している。等速運動は、運動の始まりを無視すれば永続的でなんの変哲もない。だが、等加速度運動となるとなんらかの外的な要因が必要となる。まさしく自由落下運動は重力の存在があって初めて説明がつく。等加速度運動は、速度のモーメントが時間に比例して増加するという単純な法則に従う。放物線運動は、等速運動と等加速度運動の合成と考えることができる。
水平方向の等速運動と垂直方向の加速度運動が合成されると、大砲の弾道のような放物線を描くわけだが、重力の正体が分からないとしても、重力によって及ぼされる運動の変化をドラマティックに綴っている。特に、あの有名な斜面実験で自然加速度運動の性質を述べるあたりは圧巻だ!実際に物体の落下運動を観察するには人間の目では速すぎる。水中を使えば現象を複雑化してしまう。そこで、斜面で自由落下を近似するというわけだ。
今日、物体の運動を時間の関数で扱うのは当り前であるが、改めて時間の観点が加わる様子に感動してしまう。斜面を三角形で図示すれば視覚的に分かりやすく、移動距離と辺や角度の関係から数学的に証明される。放物線の軌道を考察する時は、放物線求積法なるものを仮定して幾何学的に図示される。なるほど、ピタゴラス風の定理が満載され、運動法則の源泉はまさしく幾何学にあることを味あわせてくれる。

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