2010-12-19

"星界の報告 他一編" ガリレオ・ガリレイ 著

エラトステネスは、太陽からの光は地球のどの地点でも平行になると仮定し、異なる地点で棒の影の長さを測定して、ほぼ正確に地球の全周を割り出した。ミクロネシアの人々は、アメリカ大陸が発見される遥か昔から、日の出の方角と星座の位置という単純な天文知識を利用してハワイ諸島からニュージーランドに至る太平洋諸島の各地に移住した。しかもカヌーで。そして今、位置を特定する最新技術は古代の天文知識を基礎にしている。今後も古代の天文知識は科学技術を進化させるであろう。天文学には、なんとなく人類の知能の根源的なものを感じる。
ガリレオは、自らの手で完成させた望遠鏡で30倍に拡大された星界と初対面をはたす。「星界の報告」は、月面を観測し、銀河や星雲の正体を暴き、そして木星の4つの衛星を発見した観測記録である。尚、本書にはマルクス・ヴェルザー氏へ宛てた「太陽黒点にかんする第二書簡」が併収される。

ガリレオの望遠鏡による天文学的発見は、近代科学の序幕を飾るにふさわしい出来事と言っていいだろう。その精緻な観察力や想像力には感動させられる。まさしく「百聞は一見に如かず」を実践したわけだ。
ガリレオは、自ら綴るように望遠鏡の最初の発明者ではなかった。だが、屈折理論に基づいた工夫を熱く語り、自らの独創性を強調する。そして、観測対象が地上ではなく天空に向けられた時、それが科学の道具となった。「観測する」とは、「人間が知覚する」という哲学的意義を証明してみせたと言ってもいい。今日この型の望遠鏡がガリレオ式と呼ばれるのもうなずけるわけだ。
しかし、ガリレオは、古い世界像に新たな視点を与えたがために、後に宗教裁判へと導かれることになる。「星界の報告」は、世界を揺るがせた最初の報告であった。そして、「太陽黒点にかんする第二書簡」で伝統的論者を論駁する。
ガリレオは、まもなく土星はピッタリとくっついた三つの星であると主張した。当時の望遠鏡の性能では、土星の環は両側に小さな星がくっついているようにしか見えなかったようだ。
やがて禍をもたらすのは、イエズス会のローマ学院の数学者たちで、ガリレオの評判が高まるにつれ中傷と非難の攻撃を浴びせかける。だが、ガリレオにも少なからず味方がいた。ケプラーは「星界の報告論」を書いてその功績を讃えた。「星界の報告」は、第4代トスカーナ大公メディチ家のコジモ2世にささげられたことが序文に記される。

天動説が優勢であった時代、キリスト教的宇宙像やアリストテレス的世界観では、天空の物質は完全でなければならなかった。アリストテレスは、世界を月下界と月上界の二つの領域に分けた。月下界では、地、水、空気、火の四つの元素からなる不完全な地上の領域で、あらゆるものが生成しては消滅するとした。月上界では、完全な天空の領域で、第五の元素エーテルからできいて永遠に不変とした。地動説を受け入れれば、二つの世界は同質となり、天空の完全なる領域、すなわち神の領域を否定することになる。
しかし、ガリレオは、月の観測では地球と同じように地表に起伏がある不完全な球体であることを証明した。おまけに、明るい空でも月が薄らと白く光る現象を二次光で説明した。つまり、月には固有の光は存在せず、地球が太陽光を反射して月に浴びせた結果の反射光だとした。アリストテレス的世界観では、地球を中心に、地球だけが光を発しない受動的な天体に添える。だが、月もまた地球と同じように、太陽光に照らされるだけの存在でしかないことを示したわけだ。
更に、木星の衛星の発見は、地球と同じ衛星を持つ球体が、他にも存在することを意味する。太陽にいたっては、黒点などという不純物の存在は絶対に認められない。ガリレオは、こうした宇宙観を宗教的にも哲学的にも論駁したわけだ。
ここで注意したいのは、本書は地動説を唱えているわけではないということだ。それを匂わせるには十分な証拠であるが、宇宙の中の地球は特別な存在ではないことを示したに過ぎない。既にコペルニクスが地動説を唱えていたが、ガリレオは観測的事実によって地動説的思考を推し進めたことになる。
では現在、神の住む領域はどこへ行ったのか?異次元空間か?天文学とは、神の住みかを永遠に探し求める学問というわけか。

「星界の報告」
1. 望遠鏡の製作
「およそ10カ月ほど前、あるオランダ人が一種の眼鏡を製作した、という噂を耳にした。それを使えば、対象が観測者の眼からずっと離れているのに近くにあるようにはっきりみえる、ということだった。...そこで、ついに自分でも思いたって、同種の器械を発明できるように、原理をみつけだし手段を工夫することに没頭した。それからほどなく、屈折理論にもとづいてそれを発見したのである。」
あるオランダ人とは、ミッデルブルグの眼鏡屋ヤンセンとリッペルスハイという人だそうな。
本書は、望遠鏡の製作方法にも言及している。
...
まず、鉛の筒を用意し、その両端に2枚のレンズを取り付ける。レンズの片面は2枚とも平らで、他の面は1枚は凸、もう1枚は凹とする。そして、凹面に眼を近づけると、対象は9倍の大きさで3倍の近い距離に見える。更に改良を続け、1000倍の大きさで30倍以上も近い距離に見えるようになった。器械の倍率を簡単に決定するために、筒の長さと円の大きさを決め、誤差の少ない望遠鏡を製作した。
...
さっそく月を眺めると、地球半径のほとんど2倍しか離れていないように見えたと、その喜びを回想する。
ところが、おもしろいことにあらゆる星が、月と同じように拡大率が得られるわけではない。恒星では、はるかに拡大率が小さく4、5倍にしか拡大されない。それはなぜか?天体をなんの助けもかりずに自然の視力だけで見た場合、それは単純なむきだしの大きさにおいてではないという。夜がふけるといっそう輝いて見えるのは、視角は星の本体によるのではなく、それを取り囲む光彩の大きさによって決まることを示している。日没後まもない時に現れる星は、一等星であっても小さく見えたり、金星も最下等級の小さい星に見える。だが、月は真昼でも夜空でも同じ大きさに見える。それは、天体が放つ光が、真昼の光ですら凌駕するほど強く、それをもみ消すことができないからだという。
こうした現象は望遠鏡でも同じだという。天体が放つ光が、周辺の光彩を凌駕することができなければ、あらゆる光彩を取り去った上で拡大することになる。実際に、5、6等級の小星は望遠鏡で見ても1等級ぐらいにしか見えない。つまり、拡大率は、周辺の光彩と、天体自身が放つ光線との相対的な割合で決まることになる。これは、肉眼で見た時の集光力を暗示しているのかもしれない。

2. 月の観測
本書は、月面の暗い影のラインが微妙に凸凹に見えることから、月にも地球と同じように山脈や谷があることを示す。そして、太陽光の方向と影の長さから山の高さを算出する。ちなみに、今日の月面地図の作成に使われる方法は、原理的にはガリレオの観察と同じである。
また、明るい空でも薄らと見える月は、地球が太陽から受ける反射光によって写しだされることを説明している。光を放つのは恒星だけの特権ではなく、惑星ですら反射光を発するというわけだ。
更に、もう一つ興味深い発見がある。月のほぼ中央付近にある最も大きなくぼみは、ほぼ完全な球形を残している。ちなみに、クレータという言葉は登場しない。地球ですらほとんど原形をとどめているクレータを発見することは難しいのに、天体望遠鏡のレベルで月のクレータがはっきりと観測できる。これはいったい何を意味するのか?気候が安定しているということか?海のようなものは存在しないということか?生命体がいないということか?ここでは明確な結論が導き出されるわけではないが、少なくとも山脈や谷を削るような自然現象は存在しないように思えたであろう。

3. メディチ惑星の観測
ガリレオが木星の4つの衛星にメディチ惑星と名付けたところからも、メディチ家に対する敬意がうかがえる。伝統的に星や星座には、古代から伝えられる英雄たちの名が刻まれてきた。木星はローマ神話の主神ユピテル(Jupiter)で、ギリシャ神話ではゼウス。火星はローマ神話の神マルス(Mars)で、ギリシア神話では軍神アレス。水星はローマ神話の商業神メルクリウス(Mercury)。ヘルクレス座はギリシア神話の勇者ヘラクレスといった具合に...
ちなみに、あの敬虔なアウグストゥスも、ユリウス・カエサルを星座の英雄たちに加えようとして失敗に終わったという。当時出現した星にユリウス星と名付けようとしたが、ギリシャ人がそれを彗星と呼んで、まもなく消滅したそうな。そして、4つの惑星は、イオ、エウロパ、ガニメデ、カリストと呼ばる。それぞれ、ギリシア神話に登場する人物イーオー、ゼウスが恋に落ちたテュロスの王女エウローペー、オリュンポス十二神の給仕として近侍する美少年ガニュメデス、ニュンペー(女精)のカリストーに由来し、いずれもゼウスを取り囲む者たちである。ただ、メディチ惑星という名が普及しなかったのは、政治色を弱めたという意味で歓迎したい。
本書では、木星の衛星を発見するまでの物語が緻密に綴られる。木星の東に現れたり西に現れたり、あるいは木星の影に隠れたりする星があることが時刻とともに詳細に記される。東に二つ見えたり一つ見えたり、全部西に見えたり、あるいは等級が変わったり、星の配列が変わったり、黄道の方向に同一直線上に配列されたりと...
また、4つの星が、木星の順行運動や逆行運動に関係なく、すなわち地球から見える外惑星の動きにかかわらず、木星を中心に運動する。そして、これらの星が木星とともに12年の周期で太陽の周りを回転することから、木星の周りを回っていると結論付ける。この結果は、なにも惑星がすべて太陽の周りを回るというコペルニクス体系の崩壊とは言えないだろう。木星とともに太陽を回っているのだから。だが、当時は、月の動きですらコペルニクス体系に反すると攻撃されたそうな。

「太陽黒点にかんする第二書簡」
1. 慣性の法則のような...
本書には、後にデカルトによって体系化された慣性の法則のようなものが述べられる。
「わたしの観測するところでは、自然的物体は、重い物体が下方へ向うように、ある運動への自然的傾向をもっています。こうした運動は、なにか隠れた障害にさまたげられないかぎり、特殊な外的起動者を必要とせず、内在的原理にもとづき、自然的傾向によってなされます。自然的物体は、重い物体が上方への運動にたいしてもっているように、ほかのある運動にたいして反感をもっています。ですから、外的起動者から暴力的に一撃されないかぎり、そういうふうには決して運動しません。
また、自然的物体は、重い物体が水平運動にたいして示すように、ある種の運動にたいしては無関心を示します。地球の中心へ向わず、地球の中心から遠ざかりもしないから、重い物体には水平運動への傾向も反感もないのです。それゆえに、一切の外的障害をとりされば、地球にたいして同心的な球面上にある重い物体は、静止、および水平部分への運動にたいしては無関心なはずです。...」

2. 太陽の黒点観測
当時の宇宙像では、黒点は太陽の周りを回転する小さな星と考えられていた。神聖なる太陽の表面に不純物があっては都合が悪い。
しかし、ガリレオは、幾何学的な考察から黒点が太陽の表面に附着していると結論づけた。もし、離れているとしても、まったく感知できないほどわずかな間隔に過ぎないと。黒点の厚さもわずかだと。ガリレオは、太陽もまた地球と同じぐらい可変的な物体であることを主張したわけだ。
...
黒点の大部分は不規則な形をして連続的に変化する。すぐに変化するものもあれば、ゆっくりとほとんど変わらないものもある。暗さにも増減があり、時には濃密で、時には拡散し希薄になる。一つの黒点が三つや四つに分離し、また多くの黒点が一つに結合することもしばしば。その数たるや20個から30個にも達する。これらの現象は、太陽面の周辺よりも中心附近でよく起こる。
...
無秩序な個別運動のほかに、全体に共通する普遍的運動があるという。一様な運動によって、相互に平行線を描きながら、太陽の本体を通過していくという。
これらの現象から、...太陽の本体は球体である。太陽は自らその中心の周りを回転する。そのために黒点は平行な円にそって動く。...といったことが分かる。
太陽は、惑星の球体と同じように、西から東へ回転しながら、およそ一太陰月で一回自転する。黒点は多様な形をするが、細長い帯状の領域に出現する。それは赤緯の限界を示す円に対応する二つの円の間にあるという。その境界内を超えるところには一つも黒点を見つけることができない。その限界は、緯度にして南北に28度から29度だという。この帯状の領域とは、太陽の赤道近辺を流れるプラズマの動き、つまりは帯状流のことを暗示しているのかもしれない。少なくとも、黒点が太陽の自転に大きなかかわりがあることは明らかである。

3. けして肉眼では見ないでください!
太陽を直接見ずに観測する方法は、ガリレオの弟子でブレシアの貴族カステリ家のD.ベネデットという人が発明したという。望遠鏡の凹レンズの側に、4、5寸離して平らな白紙を置けば、太陽面が投影されるという極めて簡単な仕掛けである。紙を遠ざければ映像は大きくなり、極めて小さいものまで観測できる。明瞭な輪郭の黒点をみるには室内を暗くして、筒をと通ってくる光に外部の光が混ざらないように注意する。
本書は、太陽を直接見ると眼を傷つけると忠告しながら、黒点は肉眼でも見えるとも言っている。その大きさゆえに、水星が介在しているという誤った思考が生じるわけか。しかし、水星が太陽と6時間も重なって見えるはずがないと指摘している。6時間も見つめれば失明するかも...

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