2013-03-17

"超マシン誕生" Tracy Kidder 著

なにやら忘れかけているものを思い出させてくれる...ようなヤツを、本棚の奥からもう一冊。こいつも純米酒と一緒に読み流すつもりでいたが、またもや朝日が眩しい。
本書には、かなり古いイメージがある。だが、PALを採用する話も飛び出すから、大して世代が変わらないのか?ちょっとショック!ちなみに、GALやらPALの話題で盛り上がっていると、夜の社交場の専門用語ですか?と若年どもが近寄ってきた...

原題 "The Soul of a New Machine" は、1982年ピューリッツアー賞を獲得した書。もう古典の部類に入るのだろうか。この物語は、データゼネラル社製 32bitミニコンピュータ、Eclipse MV/8000 の誕生秘話である。それは、「自己実現、達成感、自己充足」のための冒険であったとさ。
かつて技術大国と言われながら、コンピュータサイエンスがあまり評価されない我が国で、20年前から指摘されてきた空洞化が現実のものとなった。売上至上主義が蔓延し、技術者たちを道具の一部として売り飛ばしてきた。一方、金融主義や商業主義の猛烈なアメリカでさえ、設計開発の醍醐味を評価する風潮はいまだ衰えない。
「ヨーロッパの大伽藍を建てた石工たちは、金のためだけに働いたのではない。彼らは神のために寺院をつくったのだ。それは、人生を意義あるものにする仕事だった。ほかでもない、そういう仕事をウエストとその配下の技術者たちは求めていたのだと私は思う。
事実、彼ら自身、ことあるごとに金のために働いているのではないと言った。イーグル誕生の余波の中で、グループのある者は、働きに見合うだけの金も名誉も得ていないと思っていた。また、そのことでいささかむかっ肚を立てているのだと語った者もいる。だがそういう技術者たちでさえ、プロジェクトそのものについて語る時には、かつてと同様の熱っぽさで語り、その顔を紅潮させたものだった。」

プロジェクトが家畜小屋のような場所から始まる様子には、懐かしいものを感じる。地下倉庫のような所から生まれたベンチャー企業も多いことだろう。膝が触れるような人口密度の高い空間から。自由奔放な酸素とは、そんな薄暗い劣悪な環境から光合成されるものかもしれん。
しかし、事業が軌道に乗り、立派なオフィスを構えた途端に、銀行屋が押し寄せる。今まで見向きもしなかったくせに。融資のために奇妙な監査が出入りするようになると、組織は融通性を失う。外部から資金を入れて、優秀な技術者が出ていくのでは、何をやっているのやら?そりゃ、収入が多いに越したことはない。だが、技術屋が何より欲するものは、自由奔放な空気なのだ。
ボスのトム・ウエストは、メンバーたちを退屈させず、大概の自由裁量を認める。だが現実に、メンバーに自由裁量を与えると、無秩序になると恐れるマネージャが多い。縛り付けて、それでうまくいっているのか?などと自問しないのだろうか?技術屋たちの頑なな気持ちは妥協を許さない。それは、サービス残業などとは次元が違う。気違いじみた仕事のやり方で、数日だって徹夜する。魔物にでも憑かれたような集中力は、ある種の麻薬症状とでも言っておこうか。この快感がお偉方には分からない。事なかれ主義で出世してきた連中に分かるはずもないか。管理職にイエスマンたちが陣取れば、技術者も自らの責任範囲を宣言して自衛に走る。
また、日本には、コミュニケーションを図るために忘年会や親睦会といった行事を重視する組織が多い。欧米でもチームでパーティをやったりするが、ちと違って義務化しようとするのだ。不参加を査定対象にすると脅す組織もあると聞く。群れることをチームワークだと勘違いしているのか?哲学的な共通意識があれば、無理やり仲間意識を煽る必要もあるまいに。とはいえ、どうしても人間性で合わない者同士がいる。組織には、上司と部下が互いに選び合えるぐらいの緊張感があっていい。仲良しグループを募ってもうまくいかないであろうから。
ところで、飲みに行く時は断りやすい空気を漂わせておきたい。断る理由に、今日は気分じゃないぐらいでOK、観たい番組があるからぐらいでOK。自然に集う空間だから居心地がいい。しかーし、そろそろ帰ろうかなぁ...と席を立つと、飲みに行くぞ!と勝手に翻訳する奴らがいる。たまには断れよ!と、鏡の向こうで赤い顔をしたプロジェクトリーダが愚痴を漏らしていた。

1.  Eagle vs. Fountainhead
今は、ミニコンピュータなんて死語であろうか。IBMメインフレームが主流の時代、DECはミニコンピュータ市場を開拓する。DEC社はとっくにお亡くなりになったが、80年代末から90年代にかけて、この会社に憧れる電子工学科の学生で溢れていた。本物語には、あの懐かしいVAXも登場する。
データゼネラル社は、DECの退職組を中心に組織され、世界第2位のミニコンピュータメーカにまで成長する。当初16bit戦争であったが、VAXシリーズの登場が32bit戦争の引き金となる。
プロジェクトリーダのウエストは、せっかちを絵に描いたような人物だという。いちいち説明する暇もなければ、波長が合わないとすぐに失望するのだそうな。そんな彼がターゲットとしたのは、VAX 11/780。
1976年、Fountainhead Project(FHP)を開始。ところが、開発部隊が本拠地マサチューセッツからノースカロライナへ移転することになると、士気は低下する。従業員たちは家族ごと大移動しなければならないことに反発。そして、残ったエンジニアたちがエレガントなマシンを作る決意をする。彼らは新しいマシン名をEGOと名付けた。FHPのアルファベットを一文字ずつ遡ると、EGOとなる。FHPよりも先んずるという意味か。ちなみに、「2001年宇宙の旅」中で猛り狂うコンピュータHALの名は、IBMの文字を同じように遡ったところからきているそうな。狂乱を先んずるという意味かは知らん。
会社の本気度はチーム編成に見て取れる。FHPの50人体制に対して、EGOの5人。だが、得てして少数精鋭という自負が士気を高める。もし成功すれば英雄になれるし。
1978年、FHPが成果を上げられずにいる中、Eagle Projectを開始。Eagleという言葉は、略すとEGOに近い。白紙のようで白紙でないようなプロジェクト。そして、非公式的で迅速に事を成す。会社とは無関係にやっているような奴ら、と漏らす古株もいる。チーム固有の空気を醸し出すのは、縄張り意識の顕れであろう。好転したプロジェクトにありがちな現象で、優秀なチームという誇りが、そうさせる。
しかし、大成功を収めたとはいえ、プロジェクト解散前に醜態を見せる場面もある。特許申請のための会合で、誰が何に寄与したか非難の応酬。やはり人の子か。これらのプロジェクトには、最終的に約300人が携わったという。大所帯ともなると、何かと揉めるものらしい。

2. 設計開発の醍醐味
プロジェクトリーダのウエストはアーキテクチャの専門家を必要としていた。コンピュータ構造を知り尽くしたスチーブ・ワラックに白刃の矢を立てる。だが、ワラックは、会社が Eagle Project に本腰なのか疑っていた。そして、社長エドソン・デ・カストロに直接聞きに行く。社長室のドアは、意見のある技術者に常に開放されていたという。社長の答えはただ一つ、32bit Eclipseの実現!それは、Fountainhead でも、Eagle でもいいはず。ワラックにとって、想像しうる最高の仕事とは、完全無欠の夢のコンピュータを作ることだったという。最低の仕事とはガラクタを作らされること、これが技術者の本音であろう。プロジェクトリーダが最も気を使うところである。
アーキテクチャにとって、とりわけ命令セットの設計が要で、適切な命令セットの選択はコンピュータの性能を決定づける。ワラックは、VAXの命令セットをスーパー命令セットと呼んでいる。これは互換性を犠牲にしていた。だが、データゼネラルは、Eclipse の古い技術との完全互換を目指していた。
マイクロコードの利点は融通性にある。とはいえ、今の融通性とはかなり抽象度が違う。これをソフトウェアというかは微妙か。カットアンドトライ宗教は、ハードウェアとマイクロコードの双方を熟知した技術者へと進化させる。今時、マイクロコードを書くプログラマなんて、とんと見かけない。マイクロコードという用語も通じないか。スクラッチパッドという用語は、逆に携帯端末で耳にするようになった。巨大マシンが小型化しただけといえば、そうなんだけど。物理的な構造が大して変わらなければ、用語も受け継がれるところがある。だが、媒体や手段の違いでニュアンスも変化する。社内であってもグループ間で専門用語の使い方が違ったり、通信制御や画像処理といった分野の違いでも用語のニュアンスが違ったりする。自然言語と同様、専門用語も文化の影響を受けやすい。
さて、最先端のマシン設計では、その時代の最高周波数との戦いを余儀なくされる。それは、時間の征服に他ならず、周波数、スケジュール、リリース...すべてがトラブルの根元にある。時間は人々を殺気立たせ、ナノ秒単位で押し寄せてきやがる。周波数との戦いはノイズとの戦いに転化され、極めてアナログ的なところがある。いや、山勘的か。ハードウェアは、今ほどソフトウェアの言いなりになってはくれない。電圧レベルを全体的に下げると、ノイズレベルが相対的に下がり、スレッシュホールドとの比で、特定の電圧範囲だけ正常動作するとか...プローブを当てると正常動作するが、離すとノイズに埋没するとか...実験室ではうまくいっても、展示会場に持っていくと、たちまち誤動作するとか...その原因は、実験机は古びた年季の入った木製だが、展示会場はスチール製の机で反射でノイズが拡散されるとか...むかーしの思い出が蘇る。汚い配線、汚いコード、汚い設計は、すべて誤動作の要因となる。マシンの性能を損なう手段なんて事欠かん!
設計で最も恐ろしいのは、地雷を踏むこと、いや、知らぬうちに自ら地雷を埋めることか。したがって、熟練者の設計は、恐ろしく几帳面で配線や配置が美しく、匠の域を感じる。また、技術の根幹には、スリリングを楽しむことがある。時間に余裕ができれば、面白半分にトラップを作る衝動に駆られる。これを冒険心というかは知らん。

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