2014-06-08

"解読! アルキメデス写本" William Noel & Reviel Netz 著

TED.comを散歩していると、ウィリアム・ノエルという人物の講演を見かけた。それは、アルキメデスの写本に関するもの。アルキメデスの偉大な著作群は辛うじて三つの写本によって伝えられ、学術的に、A写本、B写本、C写本と呼ばれる。A写本とB写本は、ダ・ヴィンチやガリレオといったルネサンス時代の巨匠たちの目にも触れたようである。
しかし、この二冊は姿を消した。B写本は、1311年ローマ北のヴィテルボ市の教皇図書館で確認されたっきり、A写本は、1564年イタリアのとある人文主義者の蔵書として記載されていたのが最後だそうな。
そして、歴史の舞台に新たに登場したのが、C写本。1906年ヨハン・ルーズヴィー・ハイベアによって見出された。アルキメデスの「パリンプセスト」と呼ばれるヤツだ。ハイベアという名はユークリッドの「原論」でも見かけたが、ギリシア数学のほとんどの文献を校訂した人物。1988年、ニューヨークでクリスティーズの競売にかけられ時には、ハイベアがほぼ解読済で新たな発見はないだろうと目されていたようである。220万ドルで落札した匿名の人物は、引退しつつあるIT長者で「ミスター・B」という名で紹介される。ちなみに、ビル・ゲイツではないらしい。なぜかホッ!
早々、ウォルターズ美術館の学芸員ノエルが代理人を通じて接触すると、この大富豪も学術調査を依頼するつもりだったらしく、大乗り気だったという。しかも、惜しみなく資金を提供したとか。多くの偉大な著作が、政治的思惑や宗教的活動によって抹殺されてきたというのに、歴史の役割をよく心得た方の手元に渡るのは幸運この上ない。
ノエルは、まずスタンフォード大学のギリシア数学研究者リヴィエル・ネッツを迎え、世界中から様々な分野の専門家を動員し、解読プロジェクトを結成する。だが、20世紀の研究者たちは薬品を使いまくり、既に状態は最悪。21世紀の光学技術、情報工学、画像処理アルゴリズムなどを駆使することに。本書は、プロジェクトの視点からノエルが、数学の視点からネッツが、章ごとに交互に綴る冒険物語である。一つの目的のために結集する様子は、これぞプロ集団!ボランティアの真髄を感じずにはいられない...

尚、アルキメデスのパリンプセストについては、一年前にも記事にした。斎藤憲著「よみがえる天才アルキメデス」で。立ち読みしていると、飄々とした文面と妙に波長が合い、つい買ってしまったことを覚えている。本書でもケンと呼ばれ、当代きっての数学史家の一人として紹介される。これほどの権威者だったとは知らなんだ。改めて座り直し、心して読み直さなければ...
そもそも、世界中のギリシア数学研究者は20数人ぐらいしかいないそうな。業界で認められた人物という意味であろうが。この分野では、現代西洋語はもちろんギリシア語やラテン語といった古代語まで造詣の深さが求められる。おまけに、歴史の意義を知り、数学の専門知識を要するとなれば、数が絞られるのも当然であろう。斎藤氏は本書の解説も手がけており、照れくさそうに語る文面が、またいい...

さて、アルキメデスの功績は枚挙にいとまがない。
まずは、重心の意義について綴ってみよう...
長らく古代人たちを悩ませてきた問題に、重力の謎がある。地上の物体が地面に落ちるのに、星々は落ちてこない。それどころか、天空で永遠に円軌道を描いてやがる。大地には、何か隠れ住んでいるヤツがいて、落ちるものを選りすぐっているとでも?哲学は大地と対話し、天文学は天空に問いかけ、数学は神の仕業を説明する道具とされた。
しかしながら、アルキメデスの数学は異質だ。神の仕業を問うどころか、人間の実用的な道具とした。アルキメデスがシラクサの戦いで用いた投石機は、ローマ軍の度肝を抜いた。投石機の原理はもっと古くからあったが、ローマ軍が面食らったのは、正確な照準と射程調整にあったという。まさに応用数学の威力というわけだ。人間が地上で実用的な科学をもたらすには、重力と対話しなければならない。アルキメデスの功績の中心は、重力をめぐってのものと言ってもいいだろう。
そこで、三角形の重心が基本的な思考を組み立てる。あらゆる図形は、三角形で分割できる。曲線も、底辺と高さという属性を持った丸みと捉えれば、永遠に三角形で埋め尽くせる。そして、一つの三角形の重心が求まれば、これらの総和によってどんな図形でも、重力と釣り合う点が得られるという寸法よ。ここには造船技術の基礎がある。有限総和の思考こそが無限数学の扉を開き、無限数学こそが実世界を記述する応用数学へと導く。
さらに、円錐の意義についても綴ってみよう...
円錐に魔力を感じる人も少なくないだろう。一点から全世界を見下ろす、神の視界のようなものを感じないではない。ここにはすべての世界が内包されている。切り口次第で、真円にも、楕円にも、放物線にもなり、円も、円柱も、球もすべて円錐からの派生形という見方ができよう。やはり、宇宙は曲率に支配されているようだ。アルキメデスもまた、この魔力に憑かれた一人だったに違いない。その証拠に、あらゆる曲線を含んだ図形の求積を試みている。アルキメデス以前の数学者たちは、あまりに真円を崇め過ぎたために実世界を記述することが苦手だった。だが、世界はちょっと歪んでいるとした方が人間には居心地がよい。アルキメデスは、数学を信仰から解放し、科学の道を切り開いた、究極の現実主義者と言えるかもしれない。円周率をπなどと理想化するより、3.1415... とした方がずっと現実的なのだ。
それにしても、科学や数学の偉大な古典が、科学の光学技術と数学のアルゴリズムで甦るとは。アルゴリズムとは、コンピューティングによって定式化した算法を繰り返して解を求めることであり、まさにアルキメデスのやった可能な限り三角形を詰めて近似するのと同じ思考法だ。アルキメデスの知識もまたアルキメデスの知識によって甦る。すべては、アルキメデスによって仕組まれていたのだろうか。人類は、自ら編み出した謎掛けを自ら解き明かすような、いわば、自己循環の宿命を背負わされているのだろうか...

1. 失われてきた偉大な書群
アテネ大主教の弟ニキタス・ホニアテスは、1204年に起きた大虐殺の光景を書き残しているという。エルサレム解放へ向かうはずの第4回十字軍は、その使命を忘れ、栄華を誇る都市コンスタンティノープルを襲った。聖地パレスチナへ向かうはずだったが、問題はどうやってエジプトへ渡るか?船団はヴェネチア総督が用意したが、十字軍は資金不足。ヴェネチアのために属領を略奪したり、行きがかり上コンスタンティノープルのカトリック教への改宗を約束したりで、余計な残虐行為に及ぶ。コンスタンティヌス帝によって築かれた町は、古代知識の最後の砦であったのだが...
こうした光景は、女性数学者ヒュパティアの運命を思い浮かべる。映画「アレクサンドリア」の主人公だ。アレクサンドリア図書館といえば、古代知識の中心。彼女もまたアルキメデスの知識に触れる幸運に恵まれたことだろう。しかし415年、八つ裂きにされた。彼女の書き記した知識は、現代人の目に触れることはできない。ギリシアの叡智は、ローマ・カトリックにとって異教徒の知識。その古典の多くは不適切とされた。
とはいえ、修辞学のためのホメロスや幾何学のためのユークリッドなどの価値は認めた。アルキメデスの数学は実践的な科学であって、神を記述しようとしたものではない。そのために興味も薄かったのだろう。写字生たちはキリスト教典を書き写すのに大忙し。満遍なく古典を書き写したのが、唯一コンスタンティノープルだったという。
真の価値を見出せる権威者が一人いると、その時代は救われる。アルキメデスの知識がどういう経緯で生き残ってきたかは分からない。A写本とB写本は、ヴァチカンに流れ着く。ダ・ヴィンチもガリレオも、はるか昔、自分を超えた数学者がいたことに驚かされたことだろう。
一方、パリンプセストが発見された地は、、コンスタンティノープル(現イスタンブール)の修道院だった。ただ誤解がないように、こいつは祈祷書だ。なんの祈祷書かは、この際どうでもええ。尚、パリンプセストとは、ギリシア語のpalin(再び)と、psan(こする)から派生した語だという。文字を上書きするために羊皮の表面が削られ、何度も再利用される。当時、パピルスよりも長持ちする山羊皮紙が用いられる。現在でも、長期間残したい証明書や表彰状などは、羊皮紙が使われることがあると聞く。アルキメデスの知識を見るということは、この祈祷書の下に眠るインクを叩き起こすということである。
ちなみに、羊皮紙は、小アジアのペルガモンで発明されたと言われている。国王エウメネス2世がアレクサンドリアに比肩する図書館を作ろうとしたために、紀元前2世紀の初め、プトレマイオス朝はエジプトからのパピルスの輸出を禁止したという。辛うじて、山羊皮によって偉大な知識が伝播されたということらしい。
そして、結果的に一個人の手元へ渡ることに。ノエルは、落札者の考えを代弁している。
「アルキメデスのパリンプセストが落札されたとき、写本が個人の所有物に返ることに憤慨する研究者もいた。しかし、アルキメデスが公のものとして価値があるなら、公の学術研究機関が競り落としたはずだ。そこまでの価値があるとは見なされなかったのである。公の機関は実際に競売で落札された額よりも低い価格を提示し、弾かれた。それが恥ずべきことだと考える人は、あまんじて恥を受け入れるほかない。わたしたちは価値を金額で量る世界に暮らしている。世界的遺産の行く末を案じて政治的にどうこう言いたいのなら、申し訳ないがそれなりの金を出すつもりでどうぞ、というわけだ。」

2. アルキメデスの人物像
古代における第二次ポエニ戦争は、現代における第二次世界大戦になぞらえられる。科学の進化は、皮肉にも歴史に深い傷跡を残してきた。第二次大戦でアインシュタインの科学が原爆を生んだように、第二次ポエニ戦争ではアルキメデスの応用数学が強力な兵器を生んだ、という見方もできるかもしれない。一時、ハンニバルがローマを征服したかに見えたが、ローマは危機を乗り越え、終戦時には地中海全体を制圧する。シラクサの戦いではアルキメデスの知識が活躍するものの、カルタゴと手を結んだために陥落し、ギリシアの都市国家群は自治を奪われる。アルキメデスは、そんな時代を生きた。
さて、アルキメデスという名は非常に珍しく、しかも、奇妙なほど相応しい名だという。ギリシャ語で、原理、規則、最高を意味する「arche (アルケー)」と、知性、英知、機知を意味する「medos(メードス)」からなる。似たような系統に、デイオメデスという名もあるらしい。「dio(ディオ)」はゼウスの異形だとか。
アルキメデスの人物像は、著作「螺旋について」の序文に顕れるという。その序文は数学者仲間ドシテオスに宛てた手紙になっているとか。しかも、アレクサンドリア図書館宛てに、わざと間違った定理を送っているらしい。そのことから、本書は、温厚な人柄でもなければ生真面目でもなく、いたずら好きで狡猾だったと評している。糞真面目な科学者らしくないというわけだ。
しかし、シラクサはアレクサンドリアから見ればド田舎。研究者の熱意は、孤独と矜持によって支えられるところがある。あるいは、少しぐらい妬みもあったかもしれない。なによりも、科学では子供心が大切だ。これを狡猾と言うのはどうだろうか?
また、著作のなかで、エウドクソスに二度の賛辞を送っているという。エウドクソスを最も偉大な先達と考えていたようだ。ユークリッドの方は主に基礎数学を扱っていたので、それほど高く評価していなかったようである。アルキメデスの哲学には、実践してなんぼ... というのがあるのかもしれん。

3. 史上初の組合せ論?
アルキメデスの遊び心がよく顕れている著作といえば、「ストマキオン」であろう。ストマキオンとは腹痛の意味で、腹が痛くなるほど難しい問題というわけだ。彼は、このパズルで何をしようとしたのか?
本書の解釈はこうだ。決められた十四片で何通りの正方形が作れるかを計算しようとしたのではないか。つまり、人類史上初の「組み合せ論」というわけである。組み合わせという概念は、直感的に分かりやすいが、要素数がちょっと増えるだけで指数関数的にパターンが増える。しかも答えを求める近道があまりない。確率論の先駆けという見方もできそうか。しかし、数字の組み合わせだけならまだしも、図形の組み合わせとなると反転や回転といった作用まで加わり、極端に複雑化する。そして、群論的な思考が求められる。実際、この組み合わせは、17,152通りにもなるという。
「ニュートン科学はきまじめだ。アルキメデスの科学はちがう。アルキメデスは、引っかけや謎掛けやまわり道で知られていた。これは表面的な論述の特徴ではなく、アルキメデス自身の科学的な個性を表している。科学は... 数学は... 人間味のない無味乾燥なものではない。想像力を自由にめぐらせることのできる場だ。アルキメデスも想像力をめぐらせて、ストマキオンと呼ばれる子供の遊びを思いついた。ストマキオンとは、"腹痛"の意味で、十四片を並べ換えて正方形にするタングラム(知恵の板)を言う。アルキメデスは、このパズルにどんな数学が隠されているだろうと考えた。」
同じく遊び心を誘うものに、ホメロス著「オデュッセイア」に因んだ「ヘリオスの牛の問題」がある。オデュッセウスの部下たちは、ヘリオス神に捧げられたトリナキエ島に上陸する。彼らは、オデュッセウスの忠告を聞かず、ヘリオスの牛を殺して七日間も派手に食いまくったために、恐ろしい罰を受ける。この島は昔からシケリア島とされ、ちょっかいをかけない方がいいという警告の物語にも作り換えられたとか。
ちなみに、現在のシチリア島はマフィアの町というイメージがあるが、映画の見過ぎであろうか?
それはさておき、アルキメデスは、計算問題に詩を綴る。黒、白、黄、まだらの四つの群れを、それぞれ牡牛と牝牛に分け、8つの未知数からなる7つの方程式と、2つの追加方程式からなる算術問題をこしらえた。最小の解でも、20万桁を超える。無限数学を思考できるほどの知識があれば、組合せ論ぐらい編み出すことができるかもしれんが...

4. 異質な「方法」の命題14
「方法」の序文には、挑戦的な言葉が綴られるという。
「偉大な数学者のあなたなら、わたしの方法に真の評価をくだせるでしょう...」
ギリシア数学は、厳密性を崇めるがゆえに、パラドックスを避け、無限の落とし穴までも避けてきた。そもそも無理数を忌み嫌う。円周率が無理数だというのに。
本書は、数を好きなだけ大きくしたり小さくしたりすることを「可能無限」と呼び、実無限と区別している。無限の抽象化は、ガリレオやニュートンらによって進められた。だが、代償もある。無限にはパラドックスがつきもの。数学は、強力にはなったが、昔ほど厳密ではなくなった。
古代ギリシア数学は、都合のよい範囲で、無限と戯れていたと考えられてきた。命題1から13には無限個の線分の足しあわせが記述されるが、物理イメージできるような実世界的な思考が見られる。
対して、命題14は違うようである。物理学との組み合わせに頼るのではなく、無限和だけを拠り所にしているという。純粋数学だけで無限を扱っているらしい。尚、ハイベアは命題14を解読できなかったという。
命題14では、円柱の切片の体積を求めようとしている。その図形は奇妙な爪形をしている。正方形を底面とする角柱とこれに内接する円柱において、下底面の直径と上底面の一辺を通る斜めの平面で円柱を切断する。すると、その切片は、半円、半楕円、円柱の側面に囲まれた爪形に切り取られる。しかも、この問題を一般化して、あらゆる平行六面体に当てはめているという。


ここで紹介される思考方法は、実に興味深い。まず、立方体の垂直面に平行な任意の平面を考え、この爪形の図形に対して、縦にスライスする。まるでCTスキャンのように。そして、任意の切り口でスライスした平面を足し合わせるという考え方だ。結論は、円柱の切片の体積が、それを囲む立法体の 1/6 になるとしている。どうやって、この結論に達したのだろうか?ただの直感であろうか?
爪形の図形を縦にスライスすると、底辺と高さが連続に変化していく三角形の集合となる。この様子を上から眺めると、放物線、すなわち半円の内接する長方形を横切る線分でスキャンするように見える。三角形の断面は、点かだんだん大きくなり円柱の高さまでくると、そこをピークにしてだんだん小さくなって点に戻る。ここで重要となるのが、スライスされた三角形と、垂直に長方形上をスキャンする線分との比だ。アルキメデスは、こう書いているという。
「三角柱の三角形の面積が円柱の三角形に対するように、長方形の線分は放物線の線分に対する。」
なんと、二次元図形の比が一次元図形の比と同じになるという比例関係を述べているではないか!これは、幾何学的な直角を数学的な直交性に応用していると解釈するのは、行き過ぎであろうか?何かの正体を知ろうとすれば、その構成要素を探る。分解とは、解析学の基本思考であり、近代数学は直交性を重視する。直交性とは、幾何学の直角を代数学で抽象化した概念だ。例えば、フーリエ変換は正弦波と余弦波の直交性を利用して、現象の成分を分解しようとする。こうした直交性を持った成分によって限りなく分解しようとする試みは、微積分学とすこぶる相性がいい。
さらに、こう書いているという。
「三角柱の体積が円柱の切片の体積に対するように、長方形全体の面積は放物線の切片全体の面積に対する。」
つまり、三次元の図形同士の比が二次元の図形同士の比と同じになると言っている。これは、放物線の求積に対する拡張版という見方もできそうだ。
ところで、科学界の有名な醜い功績争いの一つに、ニュートンとライプニッツによる微積分学をめぐってのものがある。彼らはアルキメデスの「方法」に触れることはできなかった。ここにアルキメデスが割って入れば、二人を黙らせたかもしれん。いくらなんでも二千年前の功績にケチはつけられまい...

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