2015-02-15

もしも、泥酔した反社会分子が「おもてなし論」を語ったら...

もしものコーナー... だめだこりゃ!

文化とは、どこの国でも押し付けがましいところがある。特に日本文化は、型や様式に嵌める傾向が強い。ある外人さんが、こんな指摘をしてくれた。欧米式は働きかける文化で、日本式は恵む文化であると。恵むというよりは、与えると言った方がいいだろう。西洋レストランでは、メニューに書き出して選択肢を与えるよう配慮され、懐石料理では、出されたものをそのまま楽しめるよう配慮される。能動的な意志と受動的な意志の違いは、意外と大きい。サービスを受ける側にとって、選択の自由が束縛されるとすれば、息苦しくも感じよう。おもてなし!は、能動的な文化に慣れ親しんだ人々にとっては、余計なおせっかいになりかねない。幸せの押し売りの類いか。
一方で、郷に入っては郷に従え、と言うように、まずは相手の出方をじっくりと見聞する態度は、積極的に文化を受け入れるという見方もできる。自由に対する意識の違いとでも言おうか。
そもそも、お客人をもてなす風土のない地域が、どこにあろう。あまり日本固有の文化だと強調すれば、自惚れが酷いと思われるのがオチだ。

たまーに、外国人お断り!という旅館を見かける。外国語が喋れる従業員が一人もいなくて対応できず、迷惑をかけるという善意からの発言であるが、異民族で交流するのが当たり前の国では、差別意識が強い国と勘違いされる。
お客さんを迎えるために、完璧な対応や準備が必要だという考え方は、プロ意識として確かにある。だが、あまりにも閉鎖的な態度は、交流以前に摩擦を招くだろう。もてなす側がすべてを抱え込むか、あるいは、お客が自発的に溶け込むかの違いもある。わざわざ遠くから日本文化を嗜みに来た連中が、欧米式のおもてなしを期待するはずもあるまい。

こうした感覚は、言語に対する態度にも見て取れる。外国語を話す時、あまりにも文法を気にし、完璧に喋ろうとするために、日本人は完全主義者か?と指摘されることがある。いや、そんなことはない。面倒なことは、ついイエスと答えてしまう。
ただ、いい加減な事でも自信満々に喋ってくれば、萎縮してしまいがち。それは相手が日本人であっても同じ。外人さんが皆そういうタイプというわけではないし、意思表示やコミュニケーションの苦手な人もいる。ダーティハリーがお喋りじゃ、様にならんよ。
とはいえ、わざわざ極東の異文化を求めるほどのツワモノたちが機関銃のように喋ってくれば、圧倒されるのも仕方あるまい。もともと日本の慣習では、傲慢な態度は好まれないし、自信満々な態度に照れくささも感じる。だが、控え目に見せながらも、心の底では反対の意志を燃やしているところがある。プレゼンテーションやアピールが苦手と指摘されるのも、そうした慣習からであろう。
しかし、だ。客に有無も言わさず、隙を見せないという意味では、おもてなし!こそ、完全主義の象徴かもしれん。達人ともなれば、お客人に自由を与えていると思い込ませながら、選択肢を完全に支配し、おもてなしの奴隷とさせる。
ちなみに、行付けのバーに行けば、オーダーもしていないのに、これを飲んでみてください!と、極上の酒が出される。おかげで、おいらはオーダーの仕方がすっかり分からなくなってしまった。これも、M性の定めなのさ!

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