2015-09-27

"魚道(さかなどう) 海の四季" 水谷修 + 鈴木一人 著

本屋を散歩していると、奇妙な組み合わせを見つけた。夜回り先生(水谷修) + 葉山「稲穂」の大将(鈴木一人)。二人は、海から命をいただく気持ちを大切にしたいと熱く語る。なるほど、鮨で語る人生論であったか...
「旬にきちんと食すことは、食されるいのちへの最低限の敬意!」
養殖や空輸など食の保存技術が進歩し、一年を通して好きなものが食べられるとは、なんと贅沢な時代であろう。その分、食材が回転寿司のように年中回り、季節を感じられなくなる。便利な世の中が、旬を味わうという贅沢な食感までも鈍らせるとは。おまけに、クロマグロがレッドリストに指定され、乱獲、乱食に警鐘を鳴らす。自然と向き合った食の在り方とは、いかなるものであろうか...

海の季節を感じたければ、寿司屋がうってつけであろう。寿司屋やバーに行付けの店をつくるのは、そこに技術屋魂を感じるからである。哲学をともなわない技術は、陳腐なものとなろう。彼らのこだわりは、同じ技術者として学ぶべきものが多い。寿司職人は、新鮮さと天然もので自然の味わい方を教え、バーテンダーは、カクテルを作る技よりも、酒の本来の姿を見極める目を養わせる。
どちらの職人も、食材の発酵や腐敗と戦っている。物理現象として眺めれば、微生物の作用で有機化合物を酸化させることでは同じだ。しかしながら、身体にとって有害か無害かの見極めは至難の業。ひらたく言えば、ほどよく腐らせる技術である。発酵技術をうまく利用すれば、野菜は漬物になり、身が柔らかくなり甘みが出るのも道理である。鮨ネタでは、少し寝かせることによって甘みを醸し出し、酒では、熟成の仕方によって酔い方を演出する。
「寿司屋と板前を作るのは、客だよ。江戸前の本当の鮨を知っている客が、カウンターに座れば、こっちも勝負したくなる。... でもな、鮨のことを何もわからず、ましてや勉強したいと思っていない客では、ただ、腹を一杯にするためだけに、酒のつまみにしたいだけに来る客では、こっちも気合も何も入らない。寿司屋と板前を、活かすも殺すも、客次第だよ!」

寿司屋に入ると、まずネタケースを見聞し、大将のお薦めに従って本日の戦略を練る。淡泊な白身から始まって、徐々に味の濃いものへ移り、そして、湯引きした穴子のタレと塩の両方を頂いて、お吸い物で締める。お吸い物の代わりに、茶碗蒸もなかなか。これがおいらのパターンだ。寿司屋だからといって、握りばかりを食べる場所だとは思わない。土瓶蒸し、アワビのバター焼き、アゲマキ焼き、白子をボイルしてポン酢、トロのあぶりなどがお気に入り。たまーに、天ぷら会食もいい。季節やその日のタイミングで作れないこともあるので、行く時は前もって宣言する。
ほとんどお任せだが、いつも言いなりになるのも癪だ。こんなもの作れるの?と挑発すると、なんでも作れるわい!と大将も負けん気が強いから思う壺よ。逆に、これ食ってみな!と、勝手に作り始めることもしばしば。在庫処分か?向こうも思う壺よ、と思っているかもしれん。ちなみに、行付けの寿司屋の大将のポリシーは、心を握ります!だそうな。聞いてるこっちの方が恥ずかしくなる...

1. 海の四季
海の中の四季は、地上の四季よりだいたい一ヶ月程度遅れて来るそうな。地上で春一番が吹き荒れ、三寒四温を繰り返し、桜の開花で春爛漫となる頃、海ではちょうど春が始まるという。ワカメ、カジメ、ヒジキなどの多くの海藻が温かい海水で一斉に成長を始め、鯛や鮃などが岸辺に集まって産卵を始める。季節風のごとく黒潮が日本列島沿岸を北上すると、それに乗って鰹がやってくる。磯では栄螺や鮑が成長し、海のギャングこと蛸が貝類を漁る。
梅雨から夏は、魚たちの成長期。雨が山からたくさんの有機物を川から海へ運ぶ。それを餌とする植物性プランクトンが増え、これを食べる動物性プランクトンが増え、それを餌とする小さな魚が増え、その魚を餌とする大きな魚が増え... などと食の連鎖。
秋風が立つ頃、黒潮の北上が止まり、魚たちは一斉に南へ戻り始める。冬の季節風のごとく親潮や千島海流が南下し、冷たい海で生きる鮭が海流に乗って、産卵のために河川へ向かう。これにともなって鱈や鰊、そして秋といえば秋刀魚、彼らも群れをなして南下する。
冬は地上同様、魚たちにとっても我慢の季節。温かい時期に脂肪を蓄え、じっと春を待つ。
海の幸は、島国にとって宝だ。縄文時代のゴミ捨て場は貝塚と呼ばれ、その地名は日本列島に点在する。昔は、家庭で魚を捌くのをよく見かけたものだが、今ではスーパーで切り身や刺し身がそのまま手に入る。きれいに切り揃え、骨抜きまでしてくれるのは、独身貴族にはありがたい。
それにしても、連鎖の下部にいる弱い生き物ほど数が多いとは、うまいことできている。自然界のバランス感覚に驚嘆せずにはいられない。このバランスの最大の破壊者として君臨するのが人間だ。彼らは食すだけでなく、海洋汚染まで仕掛けてくる。鯛、鮃、魬、鰤、鯵などがほとんど養殖されれば、天然モノがもてはやされる。人工的な社会は、ますます自然を懐かしくさせる。いや、懐かしもうにも、もはや自然の姿が思い出せない。いずれ遺伝子工学の発達によって、天然モノの人間が馬鹿にされるようになるのだろうか...

2. 鯛は本当に旨いのか?
鮨の世界では、王様が鮪なら、女王は鯛とされるそうな。腐っても鯛... 海老で鯛を釣る... などと言うし、めでたい... などと語呂合わせで縁起物にされる。桜鯛などと風流な名前をつければ、春の贅沢品の座を欲しいまま。しかし、鯛をそれほど旨いと思ったことがない。
本書も、真鯛は3月から6月に産卵の季節を迎え、産卵を終えた魚はガリガリに痩せていて、美味しいわけがないという。産卵の時期に乱獲することに問題があるらしい。鯛の旬は、厳しい冬を乗り切るために、たくさんの脂肪をつけた秋口から冬にかけてだという。

3. 夏の風物
京都では、夏の鱧(はも)が珍重されるそうな。梅雨の終わり、祗園で祭り囃子が街角に響き渡るころ、魚屋、寿司屋、割烹、料亭に鱧が並ぶという。鱧の湯引き、天ぷら、照り焼き、さらに、鱧しゃぶなんて聞くと、ヨダレがでてくる。
しかし、鱧もまた夏が産卵期で、味が落ちるのでは?鱧は生命力が強く、海から揚げても、相当長い時間生きているという。内陸部の京都で、魚の傷みやすい夏に、淡泊な魚を味わうには、鱧ぐらいしかなかったようである。
また、夏の白身は板前泣かせだそうな。くそ暑い夏はあっさりした物を欲し、白身が好まれる。なにしろ冷凍、冷蔵がきかない。鯛、鮃、鰈などは鮪や鰹と違って、冷凍したものは刺し身として使い物にならないという。しかも、活け締めで、きちんと血抜きをしないと、すぐに身に血が回ってしまい、身が緩み、血の匂いがついてしまうとか。
季節によって美味い不味いが、白身魚ほどはっきりするものはないという。特に春から夏、産卵前後の白身魚は、とても寿司屋では扱えるものではないらしい。この時期に、いかに美味い白身魚を出すかが、板前の腕の見せどころだそうな。
ただ、この時期にも、白身で淡泊な魚はきちんとある。鱚(キス)がその代表で、青物とか光物と呼ばれる。真子鰈も、夏の最高のネタの一つだという。鰶(このしろ)の子供の小鰭(こはだ)や新子は、まさにこの時期が旬だとか。んー... この時期の酢締めもたまらん。

4. 東西の食感の違い
河豚の出し方は、関西と関東で違うそうな。西では、活けからすぐに捌き、締めたばかりのコリコリ感を料理する。東では、捌いた後、甘みを引き出すために、一日から二日寝かせるという。江戸前職人のこだわりは、そのまま手をかけずに出すことはあまりないようである。鯵は塩で締めて、鮃は昆布で締めて、鯛は湯引きなど、何かと手間をかけるという。河豚に限らず、あらゆる魚で、なんらかの手を加えるのが関東風というわけか。西側の薄味と、東側の濃い味の違いも、このあたりからきているのかもしれん。
昔々、獲れたての魚を出すことができなかった地域では、食材を寝かせる技術を発達させてきたのだろう。とはいえ、地元の隣町、下関が河豚の名産であり、獲れたての感覚に慣れていると、寝かせるのはもったいない気もする。
また、肝を食べるなら河豚よりも、生なら皮剥の肝、煮付けなら鰈や鮟鱇の肝の方がはるかに旨いという。河豚の肝は命をかけるほどのものではないらしい。
鮃や鰈などの白身魚を、ポン酢に紅葉おろしで食べる。これもなかなかだと思うが、白身魚の味を殺しているという。新鮮な白身魚、特に河豚は、本山葵とむらさきで、是非楽しんでください!と。なるほど...
ちなみに、むらさきとは寿司用語で醤油のこと。行付けの店の名も「紫」だが、通称ディープ・パープルで親しんでいる。
醤油の味にも東西で好みが分かれ、時々出張で来る人と議論する。関西は甘め。著者のお二方も関東人で、特に九州の甘みが苦手だと語る。いずれにせよ、幼い頃が慣れ親しんできた地元の味というものは、忘れられるものではあるまい。それは、ラーメンやうどんのスープの味にも反映される。食感に限らず、五感には精神の落ち着く場所というものがありそうだ。

5. 巻物のこだわり
干瓢巻きは、板前にとって一番むずかしい巻物だという。そして、二通りの食べ方があるとか。きちんと簀巻きで巻いてもらって、まずは半分そのまま海苔のパリッとした食感を味わう。そして、もう半分は20分ぐらい置いて食べる。すると、海苔がしゃりと溶け合って、違った風味が出るとか。板前は、この二つの食べ方を考えながら作っているという。
そういえば、干瓢巻きではないが、行付けの寿司屋で手巻きを出す時、寿司下駄に置いてくれればいいものを、直接手渡される。すぐ食べろ!と言わんばかりに。何かこだわりでもあるのか?今度、干瓢巻きと合わせて、大将を挑発してみよう...

6. 玉子焼きのこだわり
玉子焼きには二種類あるという。一つは本焼きと呼ばれ、卵に芝海老や白身のすり身を入れて、砂糖や塩、酒で味付けして焼き上げる。厚さが薄くなることから薄焼きとも呼ばれる。もう一つは、卵に出汁を入れ、味をつけてやきあげた、だし巻き。ほとんどの寿司屋で、だし巻きが出されるようだ。本焼きが廃れたのは、手間がかかりすぎるからだそうな。
行付けの寿司屋も、だし巻きがあるが、これがなかなか旨く、家庭では出せない味である。薦められることはないのだが、ちょっと一服のタイミングで、つまみに頂くのが習慣になっている。

7. しゃりのこだわり
目の前に座る客を見て、しゃりの握り方を変えるのが本物だそうな。客は、つい寿司ネタに目がいく。しかし、一番多く食べているのは、しゃりだ。いつも握る姿を見ては、その優しい手つきに感心するのだけど...
箸で食べる客には、むらさきにつけて口に運ぶときに壊れないように、少し強く握るという。手で食べる客には、その客の鮨の持ち方で握り方を変えるという。また、女性男性、年齢や入れ歯、出身や仕事、口の大きさや空腹かどうかでも、握り方を変えるのだとか。ネタを切る大きさも合わせて。
すべての握りは、しゃりで決まる!とはよく聞くが、しゃりに手を加えれば騙すこともできる。不味いネタを美味いと思わせるのが板前の技術だとすれば、バーテンダーが不味い酒をカクテルで誤魔化すようなものか。
所詮、しゃりは裏方。だが、米ほど一年を通じて、味が変わるものはないという。鮨には、水分が多い米質は合わない。新米が旨いとはいえ、やや水分が多く、鮨にはちと向かない。日本では、コシヒカリが米の王様のように言われるが、こうした含有水分の多い米では鮨に向かないそうな。含有水分の少ないササニシキが、鮨の王道だという。だが、ササニシキは背の高く成長する米で、すぐに台風で倒れてしまい、手に入れることが難しいらしい。
しゃりの味を安定させるために、いかに板前が苦労しているかを客は知らない。これも、大将の挑発ネタとして使えそうだ...

8. 店のこだわり
「あるお客様が、自慢そうに言っていたのですが、そのお客様が東京の有名な寿司屋に入ると、出される魚は、ネタケースの中のものではなくて、冷蔵庫の中のものを特別に引いてくれる。自分は、その寿司屋に大切にされているんだと言いたくて、このような話をされたのでしょうが、これは言語道断です。これをやってしまったら、その寿司屋の信用はなくなってしまいます。」
常連客を大切にしたい気持ちは分かるが、店の客は平等に扱うべきだという。客を大切にすることは難しい。客を選べる立場でもなかろうし。そのために、グルメ雑誌などに掲載されることを嫌う店も見かける。個人的には、行付けの店はいつまでも隠れ家のような存在であってほしい...

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