2016-05-15

"ユダの覚醒(上/下)" James Rollins 著

久しぶりに推理モノ... 久しぶりにジェームズ・ロリンズ... 歴史と科学を絡める手腕は相変わらず!事実とフィクションの按配が絶妙で、その境界を心地よくさまよわせてくれる。下手な歴史書よりも、下手な科学書よりも奥ゆかしい。
本書は、「マギの聖骨」、「ナチの亡霊」に続く、シグマフォースシリーズ第三作。ただ、このシリーズは十作を超え、もうついていけない。学生時分なら、間違いなく追尾していたであろう。社会人になると、このジャンルを読む機会がぐんと減った。一度手をつけると、一気に読み干さないと気が済まない。二、三日寝なくとも。まるで麻薬よ!そろそろ隠遁して本性を解放したい、と思う今日このごろであった...

今回のテーマは、歴史的にマルコ・ポーロの東方見聞録、科学的に遺伝子工学を題材にしながら、現在にも通ずる環境破壊や科学の暴走を暗示している。
驚いたのは、人間の DNA のうち、実際に機能しているのは 3% に過ぎないとのことである。残り 97% はジャンクDNAと見なされ、なんの意味もないのだそうな。ただ、その一部はウイルスの遺伝子コードと酷似しているという。現在の通説では、将来起こりうる病気から保護する役割を担っているとされるとか。
実のところ人間は、眠っている DNA から何かを覚醒させようとしている、ということはないだろうか?2015年、科学者はヒトの胚の遺伝子を編集し始めたと大々的に報じられ、今日、遺伝子工学のモラルハザードが問題視される。ついに、パンドラの匣を開けるか?人間の欲は計り知れず、病気だけでなくあらゆる方面で優位に立とうとする。なにしろ差別の好きな生き物なのだから。そして、遺伝子の格付けが始まる。価格競争も激化し、オークションも登場するだろう。長寿遺伝子、スポーツ遺伝子、学者遺伝子... 人々は流行遺伝子に群がるだろう。人間社会は、このまま人間の遺伝子組換えを許し、危険なバイオテクノロジーの道を進むのだろうか?いや、すでに人間が越えてはならぬ領域に足を踏み入れているやもしれん...
ところで、人間は、かつて人食い人種だったのだろうか?人間ってやつは、飢えると何をしでかすか分からない。理性に縋ったところで、これほど脆く崩壊しやすいものもない。大飢饉に襲われれば、屍体を貪るような異常行動も見られる。家畜同然に扱われた奴隷が、その対象にされたということも考えられなくはない。いずれにせよ、最新の遺伝子研究によると、人肉を食した場合にだけ感染の可能性がある病気に対抗するための特定の遺伝子が、すでに人体に組み込まれているそうな。
尚、飽くことのない食欲を伴うプラダー・ウィリー症候群という恐ろしい遺伝子異常は、食人とは一切関係ないとのことである。

物語の謎解きは、地理的にも、歴史的にも、アジアとヨーロッパの接点をなすイスタンブールから始まる。鍵をマルコ・ポーロのイタリアへの帰路に求め、時代を遡る。問題は、インド洋のクリスマス島で発生した疫病。科学者は、古代ウイルスの菌株が存在することを指摘する。各種の疫病を引き起こす原因となるバクテリアの祖先、その名は「ユダの菌株」。テロリストの手に落ちれば、生物兵器ともなる代物だ。昨今の世界情勢では、知識こそが真の武器となる。石油などの天然資源よりも、どんな最新兵器よりも。DARPA(米国国防省高等研究企画庁)の諜報機関シグマフォースとしては見逃せない。
ところで、こんなものがマルコ・ポーロと、どう結びつくというのか?彼は、自分の旅路について、語ろうとしなかったことが一つだけあったという。また、彼の遺体は埋葬されたサン・ロレンツォ教会から忽然と姿を消し、行方不明のままだとか。東方見聞録にも記されなかった事実とは?
推理小説の醍醐味は、緻密に組み立てられた論理性に支えられているが、さらに歴史の可能性ってやつを匂わせてやがる。それは、歴史や科学、はたまた考古学といった学問研究が、暗号解読のような推理思考と相性がいい証拠であろう...

1. あらすじ
独立記念日、グレイ・ピアース隊長のもとに、かつて闘ったギルドの女工作員セイチャンが助けを求めてきた。彼女は組織のある計画に反発し、抜け出してきたという。その計画とは、マルコ・ポーロの謎にまつわるもの。
ギルドとは、各国の諜報機関が目を光らせるテロリスト集団。最新の科学技術の捜索と奪取を目的とする点で、シグマとライバル関係にある。ギルドのスパイは、各国政府や諜報機関、主要なシンクタンク、国際的な調査機関の内部にも潜り込んでいると噂される。かつてシグマも痛い目に合っており、ペインター・クロウ司令官はセイチャンを警戒する。
グレイは、ギルドの襲撃を受け、両親を人質にとられた。手がかりは、セイチャンが持っていたオベリスクの中に隠されていたアグレー修道士の十字架と「天使の文字」。アグレー修道士とは、マルコ・ポーロの聴罪司祭。グレイは、セイチャンとヴァチカンの考古学者ヴィゴーの協力のもと、「東方見聞録」から削除された章の調査に当たる。
一方、シグマのモンク・コッカリスとリサ・カミングズは、クリスマス島で発生した奇病を調査するため向かった先で、ギルドの襲撃を受けた。捕まったリサは、巨大クルーズ船に設けられた研究施設で病原菌「ユダの菌株」の解明に迫られる。こいつが生物兵器として用をなすには、解毒剤も必要というわけだ。リサは、発症した患者の中で、ただひとり生き残った女性スーザンに解明のヒントがあると確信する。
突如発生した人肉を欲するようになる奇病と、東方見聞録から削除された章が、どう結びつくのか?グレイたち歴史調査隊が「天使の文字」を解読しつつある中、リサたち科学調査隊は遺伝子工学から謎に迫り、歴史と科学の道筋はある場所で結びつく。ある場所とは、かつてマルコ・ポーロが訪れながらも秘密にしてきたというアンコール遺跡であった...

2. マルコ・ポーロの旅... すべての謎はここに始まる
1271年、17歳の青年マルコ・ポーロはアジアへ旅立ち、フビライ・ハンの宮殿を訪れた。彼は父親と叔父とともに賓客として20年間を中国で過ごす。そして、1295年、ヴェネツィアへ帰還。
フビライ・ハンは、マルコ・ポーロが帰国する際、14隻の船と600人の随行者を提供した。それは、ペルシアに嫁ぐコカチン王女を送り届けるための護衛である。
しかし、2年間の航海で帰国したのは、2隻と18人の随行者だけ。他の者たちの行方は謎である。ポーロは死に際して、「私が目にしたことの半分しか話していない。」との言葉を遺したと伝えられる。東方見聞録にも遠回しにしか触れられていない。
また、コカチン王女との恋の噂が残されているそうな。王女の髪飾りを死ぬまで大切に保管していたことから。
埋葬後の遺体がサン・ロレンツォ教会から姿を消し、いまだに所在が判明していないというのも事実だそうな。
そもそも、マルコ・ポーロの目的は何だったのか?ポーロ、父、叔父の3人は、法王グレゴリウス10世の命で派遣されたヴァチカンの最初のスパイとする説がある。強力なモンゴル帝国を偵察するための。そして、極秘の旅行記が機密公文書館に隠されているというのである。ヴァチカンの記録文書によると、2名のドミニコ会修道士が同行したが、数日後に2名とも帰国したと記されるという。
だが、旅行者に一人ずつ修道士が同行するのが当時の慣習であったと主張する人もいる。では、もう一人の修道士とは誰か?ポーロは自分の聴罪司祭を何かの理由で残してきたというのか?本物語では、アグレー修道士は法王グレゴリウス10世の甥に当たるとしているが、実在したかは知らん。
また、ペルシア湾の入り口にあるホルムズ島にはコカチン王女の墓があるらしい。おまけに、棺には二つの遺体が添い寝しているとか...

3. 東方見聞録... この原典は存在しない
何度も写本を重ねており、それらの複製版や翻訳版を比較すると、記述の食い違いが随所に見られるそうな。あまりにも食い違いが多いので、マルコ・ポーロという人物が実在したのか?という疑問すら投げかける研究者もいるとか。この旅行記は、フランスの作家ルスティケロが物語として書き留めたが、創作ではないか?という疑惑まであるらしい。
実際、中国の記述では、重大な欠陥があると批判されている。お茶を飲む習慣や、纏足の習慣や、箸の使用についても一切触れられず、万里の長城の記述もまったくないという。
一方で、正しい記述も数多くある。磁器の独特な製法や石炭の燃焼法、さらに世界で初めて使用された紙幣についても記されているという。
ただ、ルスティケロは、序文で東南アジアの島々で何らかの悲劇が起こったことを匂わせているとか。
分かっていることは、一行はインドネシアで5ヶ月もさまよった末、無事に脱出できたのは、ごく一部であったこと。多くの歴史学者は、船団に疫病が発生したか、海賊の襲撃に遭遇したのではないか、と推測しているようである。しかし、そんな重要な出来事があれば、むしろ記述を残しそうなもので、死の床に就いた時ですら話すことを拒んだとされる。
さて、東方見聞録の初版はフランス語で書かれたが、本物語では、彼の存命中にイタリア語で出版する動きがあったとしている。それを後押しをしたのが、あのダンテとしているから面白い。その失われた章というのがこれ。
「第六十ニ章 語られることのなかった旅路、および禁じられた地図」
そこには、密林の奥地での出来事が記される。石段や広場に散乱する死体に大型アリが無数にたかる。生きている者ですら、死体と同じく四肢の皮膚は腐食し肉が剥き出しになっている。膿んだみみず腫れや出来物で全身が覆われた者や、腹部が異様に膨張した者や、目が見えない者や、全身を掻き毟る者や、切断された手や脚を手にした者たちが野獣のように向かってきたという。人が人を食らう衝撃にただ佇むのみ。まさに「死の都」の様子が記述されていたというのである。そして、最後に遺された言葉が、これだ。
「これを読む者よ、心して覚悟を決めよ。地獄への門は、あの都に開かれた。その門が閉ざされたのか否か、私にはわからない。」

4. 天使の文字... 人類の誕生以前に遡る文字!?
天使の文字とは、ヨハネス・トリテミウスとハインリッヒ・アグリッパの二人が考案したもの。彼らによると、これらの文字を研究することによって天使との交信が可能になるという。それは古代ヘブライ文字に基づいており、同様にユダヤ教のカバラの信奉者たちは、ヘブライ文字の形や曲線を研究することで、内なる知識への道が開かれると信じている。トリテミウスは、自分の考案した天使の文字がヘブライ文字の最も純粋な最終形だと主張したという。彼の著作「ステガノグラフィア」は、オカルトを扱った書だと見なされ、禁書目録に記載された。
しかし実は、天使研究と暗号解読を複雑に絡ませながら論じた書だったのか?恐ろしい真理を伝えるためには、天使の文字で記述して封じ込めることこそが、俗人の目に触れさせずに、危険を回避する最良の方法というわけか。では、トリテミウスが瞑想によって辿り着いた内なる知識とは?
本物語では、天使の文字が羅列される模様が、DNAの二重螺旋構造に似ているとしている。実際、DNAコードのパターンと、人間の言語の中に見られるパターンを比較するという科学研究がある。統計学で用いられる「ジップの法則」によると、すべての言語には繰り返し使用される単語に特定のパターンがあるとされる。単語の出現頻度の順位と出現率との関係をグラフにすると、一直線を示すというものだ。その関係は、世界中の言語で共通だという。英語も、ロシア語も、中国語も... そして、DNAコードもまったく同じパターンを示すという。言語記号が魂の投影だとすれば、そこには人間の目的という潜在意識でも記述されているのだろうか?死を恐れるがために生に執着し、そこに意義を求めずにはいられない。遺伝子はそのようにプログラムされているのだろうか?
尚、現代科学では、遺伝子コードに言語が隠されているとされるが、どんな内容が記されているかは明らかになっていない。

5. 黒死病の襲来
ペストが最初に襲ったのは、黒海沿岸に位置するカッファの町であったという。強大なモンゴル帝国のタタール族が、ジェノヴァ人の商人や貿易商の住むこの町を包囲した。やがてモンゴル軍の兵士たちに、燃えるような傷みを伴う腫れ物と激しい出血という疫病が蔓延し始めた。長引く包囲に業を煮やし、疫病で死んだ兵士の死体を投石器で城壁内へ投げ込み、たちまち疫病は広まったという。
1347年、ジェノヴァ人は12隻のガレー船でイタリアのメッシーナ港へと逃げ帰った。この時、黒死病がヨーロッパの地に足を踏み入れたと言われる。
また、17世紀に黒死病が席巻した時、イングランドのイーム村では、他の地域と比べて非常に高い生存率を示したという。その理由は、村人の多くが「デルタ32」という突然変異した遺伝子を保有していたからだとか。小さな村では村人同志の結婚が普通で、村人のほとんどがその遺伝子を受け継いでいた。
尚、中世に鼠径腺ペストが突然ゴビ砂漠で発生し、世界人口の三分の一を死に至らしめた原因は、未だ明らかになっていない。そればかりか、ここ百年を振り返っても、SARS や鳥インフルエンザなど数多くの疫病がアジアを起源として世界的に流行しているが、その原因も完全に解明されたわけではない。
さて、本物語では、14世紀に黒死病がヨーロッパを席巻した後に、ポーロ家の子孫が秘密の書をローマ法王に寄贈したらしい事実が浮かび上がる。しかも、この時期にポーロ家の記録がすべて消され、マルコ・ポーロの遺体までもがサン・ロレンツォ教会から姿を消したとか。何かの陰謀の力が、ポーロ家の痕跡を抹殺にかかったのか?

6. シアノバクテリア... こいつを殺人鬼に変貌させるもの
「乳海」と呼ばれるインド洋における乳白色の発光現象がある。それは、赤潮とはちょっと違うようだ。赤潮は藻類が大量発生したもので、光は発光性バクテリアが原因だという。また、世界各地で、乳白色に輝く藻が大量発生するケースは珍しくないとか。海には、古代の変性菌、毒クラゲ、ファイヤーウィードなどが蘇りつつあり、藻類が大量発生した箇所からは有毒ガスが検出されているとのこと。ファイアーウィードとは、藻類とシアノバクテリアの合いの子のような生物で、毒性を放出するという。
シアノバクテリアは、バクテリアの中でも最古の種類の一つに数えられ、世界最古の化石の中にも発見されているそうな。四十億年前から生存する地球で最初に生まれた生命体の一つで、植物のように光合成を行い、太陽の光から食糧を生成することもできるという。しかも環境への適合性が極めて高く、地上のあらゆる場所に生息するとか。海水中にも、淡水中にも、土壌中にも、岩石の中にも。ただ、シアノバクテリアそのものに害はない。
例えば、致死性の高いものに炭疽菌がある。学名「バシラス・アンスラシス」と呼ばれ、反芻動物に感染する事例がほとんど。ウシ、ヤギ、ヒツジなど、人間に感染する場合もある。だが、バラシス属は世界各地の土壌に存在し、まったく無害だという。
セレウス菌も良性の一つで、世界中の庭に生息している。
遺伝子構造がほとんど同じでありながら、一方が殺傷力を持ち、もう一方がほとんど無害となるのは、プラスミドという二つの遺伝子コードの環だけにあるという。プラスミドとは、染色体 DNA から独立した環状の DNA のことで、自由に浮遊するこの遺伝子コードを持つバクテリアは珍しいとのこと。
では、このプラスミドは、どこからやってきたのか?プラスミドの進化上の起源は、謎だそうな。最新の理論ではウィルス起源説が有力視されているという。それは、バクテリオファージとかいうバクテリアだけに感染するウィルスが起源ではないかという説。ペスト菌もまた同じプロセスで、プラスミドによって毒性が倍増された変質バクテリアということであろうか?
さらに、人間の体内にある細胞は 10% だけで、残りの 90% がバクテリアから成るという事実も見逃せない。現代科学は、恐竜の絶滅を完全に説明できたわけではあるまい。
さて、本物語では、クリスマス島に生息する陸生のアカガニの異常行動によって問題が発覚する。この大型カニは、毎年、産卵期に数百万匹もの数で海に向かって大移動することで知られる。その爪は、車のタイヤをパンクさせるほど強力。こいつらが凶暴になって人間を襲う。しかも、時期に関係なく、どこかを目指してやがる。カニの神経系を操っているものとは?ただ不思議なことに、こいつらには二つのタイプのウイルスが共存するという。それは、トランス型とシス型と呼ばれるもので、前者がバクテリアを凶暴化させ、後者が治癒効果を持つのだとか...

7. ユダの菌株... 三つの宿主に寄生する!?
吸虫類の多くは、三つの宿主に寄生する。ヒト肝吸虫の産んだ卵は糞便として体外に排出され、下水を流れ、巻貝などの腹足類の体内に入る。卵からかえった幼虫は、貝の体外に出て、次の宿主を探す。幼虫は魚に飲まれ、その捕獲された魚を人間が食べる。人体に入った幼虫は肝臓まで移動し、成虫のヒト肝吸虫となり、あとは肝臓内で幸せな生涯を過ごす。
では、ユダの菌株も似たような生涯を送るというのか?槍形吸虫も、牛、腹足類、蟻の三つの宿主に寄生するという。注目すべきは、蟻に住み着いた時で、槍形吸虫は蟻の神経中枢を支配し、行動パターンまでも変えてしまうとか。ユダの菌株が、なんからの方法で人間に寄生し、その中枢神経を支配しようとしているというのか?生物界の掟は、これだ。
「悪影響を与えることだけしか考えていない有機体は存在しない... どんな生命体も、生き延びて、繁殖して、繁栄することを望む。」

8. アンコール遺跡
アンコールの歴史は、各寺院に彫られたレリーフの研究を継ぎはぎにした程度にしか分かっていないという。住民の運命も不明のまま。古代クメール文明がタイに侵略されて消滅したのは事実だが、多くの研究者はそれは二次的な影響に過ぎないと考えているという。実際、侵略したタイ人が、この地に留まっていない。クメール族が仏教のより穏健な宗派へと改宗した結果、軍事力が弱まったとする説もあれば、国を支えていた広大な灌漑設備と運河がシルトの堆積などで老朽化したために衰えたとする説もある。さらには、この地域が定期的な疫病の発生に悩まされていたとする歴史的証拠も見つかっているそうな。
さて、本物語では、グレイの一行とリサの一行が、アンコール・トムで自然に引き合うように合流し、その本山であるバイヨン寺院に迫る。人類が誰も住んでいなかった地域へ足を踏み入れた時、病原菌が世界にばらまかれた事例はいくらでもある。黄熱病、マラリア、眠り病... AIDS だってそうだ。それまで動物にしか感染しなかったものが。クメール族がこの地域を開拓した時、何かが住民の間に放たれたのだろうか?

9. 乳海攪拌
ヒンドゥー教の天地創造神話に「乳海攪拌」というのがある。これを表す彫刻には、二つの勢力が描かれる。神々と阿修羅の一団で、互いに大蛇の両端を持って綱引きをしている。蛇神ヴァスキを綱の代わりにして、大いなる魔法の山を回転させようと。山を回転させると、海は白く泡立ち始め、泡の中から「アムリタ」と呼ばれる不死の霊薬が生成されたとさ。山の下にいる巨大亀はヴィシュヌ神の化身で、山が沈まないによう支えながら神と阿修羅に手を貸している。蛇神ヴァスキは、引っ張られた挙句に気分が悪くなり、強い毒を吐く。そのせいで神々と阿修羅も具合が悪くなるが、ヴィシュヌ神が毒を飲み干してくれたおかげで命は救われた。さらに攪拌を続行すると、不死の霊薬だけでなく、「アプサラ」と呼ばれる天女も誕生したとさ。めでたしめでたし!
そういえばギリシア神話でも、美女神アプロディテは不死の肉から白い泡が湧き立って誕生したとされる。もっともこちらは男根から泡立つのだけど、なんとなく重なって映る。
古代人が自然現象を科学的に説明できるわけもなく、神話ってやつは暗喩めいたところがある。海で遭難しやすい地域には、怪物伝説が多く伝えられる。
さて、本物語では、乳海攪拌に乳白色の発光現象を重ねている。海の中で泡立ちながら、光る物質とは何か?バイヨン寺院の地下の洞窟にある池には大量のバクテリアが眠っており、まさにパンドラの匣が開かれようとしていた。
しかしながら、毒性を持つはずのバクテリアが、ある人物にだけ神から授かった薬となる。一度ウイルスに感染した身体に免疫ができ、さらに二度目の感染によって悪玉菌を善玉菌に変貌させるだけでなく、ウイルスを完全に退治してしまうということは、ありえそうな話である。どんな自然現象も、どんな科学技術も、神にも、悪魔にもなる。いずれも人間の解釈というだけのことかもしれん...

0 コメント:

コメントを投稿