2016-12-18

"地球の歴史を読みとく - ライエル「地質学原理」抄訳" 大久保雅弘 著

学ぼうとすれば誰にでも、入門の段階で古典の恩恵にあずかった経験があろう。後継者は、大なり小なり先人たちの遺産を学ぶ機会が与えられる。地質学の場合は、チャールズ・ライエルであろうか...
原題 "Principles of Geology." は、「地質家の書いた最初の地質学史」とも言われ、ここに紹介される文献の量は夥しい。地質時代とは有史以前の時代であり、現在では地球年齢が約46億年とされ、99.99... % を占めることになる。人間の知的能力からすると、ほぼ無限に近い世界。本書は、空間的無限に天文学を、時間的無限に地質学を位置づける。そして、ア・プリオリな思考において、互いの学問分野が相補関係となるのは想像に易い。
尚、原書は三巻からなり、千二百ページにも及ぶ大著だそうな。この抄録は約 1/4 の縮小版で、ライエルの思考原理である斉一主義を中心に、地質家の科学者たる執念を物語ってくれる。

地質学には「現在は過去の鍵である」という名言があるそうな。地球の歴史を読み解くには、現在から遡るしか道はない。とはいえ、過去に遡るほど情報が極端に少なくなり、お粗末な抽象論に陥るのは人間の歴史と同じ。抽象化という言葉の捉え方も立場によって様々で、科学者や数学者、あるいは芸術家は真理に近づけるという意味で用いるが、政治屋や金融屋は、曖昧やら空論やらで片付けがち。いつの時代も、人間社会には、目先の利益に結びつかない知識は意味がないとする風潮があり、実益との関連性が見えてくると、途端にもてはやされ、そこに人々が群がる。実際、地質学の発展は、産業革命で高度化した鉱山開発や土木事業から派生した。
一方で、科学の基本的な立場に、「条件が変わらなければ現象は繰り返されると仮定してみる」というのがある。そう、斉一性原理ってやつだ。
当時、天地創造やノアの方舟、あるいはモーゼ物語といった宗教的伝説がヨーロッパ社会を席巻していた。科学の使命は、中世の神秘主義を打倒すること。ライエルは、まずもってドグマの排除にかかる。そして、あのピュタゴラスの言葉からとっかかるのであった...
「この世で死滅するものはなにもなく、ただ万物は変化し、姿を変えるだけである。生まれるということは、以前にあったものとは違った何かになり始めるということにすぎず、死というものは同じ状態であることを止めることである。さらに、同じ姿を長い間保つものは何もないが、全体の総和は不変である。」

しかしながら、あまりに斉一的すぎると、時代の流れに緩急があることを見落とすばかりか、画一的な思考に陥りやすい。それも致し方ないかもしれない。まだ造山運動論や大陸移動説などの理論体系の確立していない時代で、プレートテクトニクスといった概念もずっと後のことだ。
人間社会には、空間的に言えばブラックホールのような、力学的に言えばアトラクターのような、社会的機能を失うような状態が突然訪れる。それは地球規模とて同じで、数学的な特異点のような状態が現実に生じる。生物種が爆発的に発生した時代を、ライエルはどう説明してくれるのか?種は、ただ一つの祖先から派生したのか?原子論まで遡れば、そういうことになろう。生物もまた機械的な分子構造を持っているのだから。
では、精神という存在をどう説明するのか?古来、自然哲学者を悩ませてきた難題を。本書は、ラマルクの進化学説を引用しながら、曲解されていることが残念だと指摘している。ただ、斉一主義といっても、単なる繰り返し現象を重んじるだけでなく、なんらかの定向的な変化をも含みにしている。それは、生物種が環境に適応する能力についてである。
概して生物には、生きたいという強い意志のようなものを感じる。人間だって思考を重ねるうちに、突然、理解したり、悟ったりする。そう、開眼ってやつだ。持続的な生存願望が進化を生み出すのか?と問えば、ダーウィンの自然淘汰説にも通ずるものがある。そして、永劫回帰には、なんらかの意志をともなうのか?その意志の根源とは?と問えば、結局、神に帰するというのか...
「われわれが星空を調べても、顕微鏡でやっと分かる微小動物の世界を調べても、空間における創造の仕事に限界を決めようとしているが、それは無駄である。したがって、時間についても、われわれは、宇宙の果ては人知のおよばない彼方にあることを認める用意はある。しかし、時間にせよ空間にせよ、どの方向へわれわれの探求が進んでも、どこにおいても創造の英知、および、神の先見性、分別、および威光の明白な証拠をみいだすのである。」

客観的、論理的に説明できない事柄に対して、人間ができることと言えば、崇めるか、信じることぐらい。ここに科学の限界がある。そして、得体の知れぬ存在に対しては、恐れつつも興味を抱かずにはいられない。接触してくるものに対しては、無視できない性分なのだ。おまけに刺激はエスカレートする一方で、この方面でエントロピーの法則は絶大ときた。そして、自我をますますカオスへ導く。生物種の適応力と柔軟性、あるいは自然の復元力と調和力、こうした自然の力対して、地上の生命体は地球依存症にならざるをえない。
だが近代社会は、その偉大な自然を排除した価値観に邁進し、いまだ神を人間だけのための存在だと信じている。偉大な知識ってやつは、学校で教われば常識とされるが、すべては偉い学者たちが論じたに過ぎない。地球は丸い!なんていうのも、誰かがこしらえた映像で見ることができるぐらいなもの。しかも、それを知らないと、常識がない!などと言われ、馬鹿にされるのだ。何一つ自分で確認した知識はなく、確かめようがないとすれば、専門家の言葉を信じるしかない。となれば、科学と迷信の違いとは何であろう...

1. 三枚の巻頭図は物語る...
第一巻の口絵「セラピス寺院の円柱」...
ライエルの根本思想を象徴する有名な図だそうな。ナポリ西方のポッツォーリ海岸に面した寺院の円柱に刻まれた海水の浸食跡が、地盤の上下変動を物語る。この巻では、地質学時代の気候変化と、その原因に関連して水陸分布が変化したこと、あるいは河川や海流の作用、火山作用と地震現象を中心に地質学概論が語られる。

第二巻の口絵「エトナ火山とバル・デル・ボヴ」...
生物に関する議論が展開されるが、なぜか火山?半円形の大きな凹地をボブ渓谷といい、単なる浸食谷だが、人によっては噴火口とも言うらしい。この巻では、生物界に踏み込み、地層と火山との関係から堆積作用と化石化作用との関連性を考察し、ラマルクの「動物哲学」を引き合いに出しながら生物界の変化を論じている。ついで、種の分布や生息区の変化、無機界の生物への影響、さらに珊瑚礁の成因にも触れられる。

第三巻の口絵「スペイン・カタロニア地方の火山」...
またもや火山?遠景のピレネー山脈と手前の第二紀層、さらに近景の火山岩を色分ける。この巻では、地殻構成要素の配置や、第一紀、第二紀、第三紀の区分について考察され、特に第三紀に注目する。動植物の化石が第三紀層に集中しているからである。
ライエルは、年代区分の尺度に貝化石を用いて、第三紀を現世から近い順に、後期鮮新層、前期鮮新層、中新世、始新世の四つに区分している。尚、始新世は、現代式の区分では、ほぼ古第三紀に相当する。
当初、「地質学原理」は二巻で構成する予定だったらしく、第三紀層を詳しく知るために追加した要旨が語られる。そして、「百分率法」を提唱し、現生種と絶滅種の比率から生物界の傾向を読み取り、時代によっては脊髄動物の方が腕足動物よりも絶滅種が高いことから、環境依存性を論じている。また、最古の第一紀という用語は適切ではないとして、代わる用語に内成岩という概念を提案している。尚、第三巻は、現代では層位学や地史学に相当する。

2. 学者たちのドグマ放棄宣言
1680年、数学者ライプニッツは「プロトガイア(地球生成論)」を著したという。彼は、かつて地表は火の海に見舞われていたが、徐々に冷却の道を辿り水蒸気に包まれ、さらに外核が冷えて海になった、と考えたと。
18世紀になると、イタリアの地質学者ジョヴァンニ・アルドゥイノは、地質時代を第一紀、第二紀、第三紀で区分したという。後に第四紀が加わることになるが。
さらに、アブラハム・ゴットロープ・ヴェルナーやジェームズ・ハットンらが、ライプニッツの意志を継ぐ。ヴェルナーは、鉱物分類法の基礎を築き、構造地質学の分野を開拓したという。彼は、地球の知識という意味の「geognosy(ゲオグノジー)」という言葉を用いたとか。
1788年、ハットンは「地球の理論」を著したという。この論文は、地殻の変化をすべて自然要因で説明を試みた最初の書であったとか。そして、こう語ったという。
「古い世界の名残は地球の現在の構造にみられるし、いまわれわれの大陸をつくっている地層は、かつては海の下にあって、既存の陸地の削剥物からつくられたものである。おなじ営力は、化学的分解とか機械的破壊力によって最も固い石でさえも破壊しつつあり、そしてその分解物は海に運ばれて広がり、ずっと古い時代の地層と類似した地層を形成している。それらは、海底では締まりなく堆積したが、あとから火山熱のために変質して固化し、ついで上昇し、断裂をうけてひどくもめたのである。」
ライプニッツからの流れは、過去のドグマを全面放棄することを宣言したもので、「地理学原理」にも彼らの意志を受け継いでいることが語られる。

3. すべては火成作用が原因か?
地質学は、生物界や無生物界に起きた変化の要因を研究する科学である。ライエルは、火成作用を自然現象の根源的要因とし、地震は不発の火山活動として捉えている。以前は水成説と火成説で論争があったようである。水成説とは、すべての岩石が海水から沈殿してできたという説で、現在ではほとんど聞かれない。
尚、ヴェルナーは花崗岩や玄武岩を水成岩としたようで、ハットンは火成岩と認めたようである。
また、人口論的な議論も見られる。人口増加が自然に悪影響を与えることが。地上のすべての現象を熱機関として捉えれば、生命の進化も熱エネルギーを原因とすることができるだろうか?意志の力も、思考の力も、集団の力も。このまま人口増加を許すならば、外的エネルギーへの転換に迫られ、人間は地球外生命に進化するしかないのか?人類の歩みとは、空間移動の歴史でもあった。大陸を移動し、海を渡り、新天地に夢を託す。そして、地球という天体から追い出される羽目になるのか?
すると、無重力空間を生活圏とする生命体にとって、二足歩行は合理的な体型なのか?酸素吸気の構造は?身体組織の改良から求められそうだ。四足獣を下等動物としてきた人間が、今度は宇宙生命体に二足獣と馬鹿にされ、人間もまた絶滅種に追いやられるのか?宇宙空間ではゾウリムシのような単純構造の方が適応しそうだし、ひょっとしたら、こちらの方が高等なのかもしれない。人間社会でも、Simpe is the best. といった単純化思想が崇められるし、宇宙法則でも単純な数式ほど高級とされるし...

4. 珊瑚礁が意味するものとは...
地上の各営力の相互作用の中で、生物が地殻に積極的に作用する好例として、珊瑚礁の形成を紹介してくれる。珊瑚礁が形成されるのは、地殻が再構築されつつある場所、あるいは新たな岩石形成が進行中の場所だという。ふつうはラグーンを形成している場所で、太平洋におけるラグーンの形態に言及される。それは、鉱泉からの無機塩類供給による現象だという。そして、海洋中の植虫類の作業を、植物が泥炭をつくりながら地上に生命を見せる様子と比較しながら説明してくれる。
例えば、ミズコケの場合、上部は生育しているのに下部は岩層中にあり、水面下で有機組織の痕が残ったまま、生活はまったく停止している。同じように珊瑚礁では、過去の世代の丈夫な物質が基礎固めとなって、現在の世代の生息に役立っている。太平洋の調査に同行したシャミッソという博物学者は、干潮時に礁がほぼ干上がった高さの時には、珊瑚は造営をやめる、と言ったとか。そして、調査隊のビーチィ船長は、こう言ったとか。
「波のとどかないところにある帯状部は、それをきずいた動物がもはや住めなくて、それらの細胞には固い石灰質がつまって、褐色でざらざらの外観を呈している。まだ水中にある部分、あるいは干潮時だけ干上がる部分には、小さな水路が切られているし、また凹地が多いので潮がひくとそこに小さい湖水をのこす。われわれが観察した島では、平地の幅、すなわち死んだ珊瑚の帯状部の幅は、波打ちぎわからラグーンの端まで半マイルをこえる例はなく、ふつうはわずか 300 ヤードないし 400 ヤードぐらいしかなかった。」
知識の土台と叡智の継承という意味では、珊瑚礁が人間に教えるものは大きい。尚、この文献の出版の11年後、ダーウィンは珊瑚礁の研究についての文献を残したそうな。彼もまたライエルの影響を受けているようである...

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