2016-12-04

"サイバネティックスはいかにして生まれたか" Norbert Wiener 著

"Cybernetics" という言葉に出会ったのは、三十年ぐらい前であろうか。通信工学や制御工学を学べば、どこかで見かけるだろう。今日では仮想社会と結びついて、Cyber という語が一人歩きを始めた感がある。そう、サイバー空間やサイバー攻撃の類いだ。
計算機工学の先駆者フォン・ノイマンが自動増殖オートマトンの理論を提唱した頃、ノーバート・ウィーナーは情報工学に生理学や心理学を融合したシステム工学の新たな分野を切り開いた。原題 "I Am a Mathematician." は、数学者の自叙伝という性格を帯びる。ここに「ウィーナー過程」という用語は登場しないが、ブラウン運動の好奇心から発した確率過程に至る思考経路を披露し、数学や統計力学と電気工学の相性の良さを物語ってくれる。
「私に課せられた問題は、概して科学に対してあまり深い関心を抱いておらず、もちろん専門的な科学知識を持ってはいない大衆に対して、或る根本的に科学的な観念の発展過程を説明することであった。できるだけ科学上の専門用語を避け、私の考えを日常語に直して言い表わさねばならなかった。これは著者たるものにとってすばらしい訓練であるが、それはまた完全な成功には至らないという危険を冒す訓練でもある。科学用語を使うと、とかく話がちんぷんかんぷんになるが、科学の歴史が用語に与えた緻密な意味内容を利用せずに、科学的な観念の重要部分をいくらかなりとも表現することは極めて困難であり、完全な成功を得る見込は文芸評論家が考えるよりはるかに少ない。」

数学という学問は、風変わりなところがある。他の学問分野が、社会における具体的な問題解決を目的としているのに対して、これといったものがない。ひたすら数の法則を求め、不可思議な性質を持った数式を探求し、そのために無味乾燥と蔑まれることもしばしば。だからといって、純粋な好奇心から発しているかといえば、そうでもなく、賞金稼ぎのごとく有名な未解決問題に群がるような脂ぎった動機も覗かせる。
数学の定理が社会的地位を獲得するには、数千年の月日を要すことも珍しくない。例えば、素数の歴史は紀元前の数千年に遡り、ユークリッドの「原論」にも素数に関する証明を見つけることができる。まさか素数の発見者が、今日の暗号システムで大活躍するなどとは思いもしなかっただろう。真理が役に立たないということが、人間社会にとって本当にありうるのか。もしあるとすれば、人間社会は真理から外れた存在ということになろうか。
社会システムを根底から支えている技術は、数学という客観性に頼っている部分が大きい。感情や感覚に流されやすい社会では尚更だ。市場原理しかり、社会制度しかり、戦争またしかり。数学には、定理を導いた者の意に反して利用されてきた歴史がある。新兵器が開発される背景には、必ず天才数学者たちがいる。数学の実用性に注目した古代数学者にアルキメデスがいるが、彼の発明した投石機の原理はまさに戦争のための道具だ。そして、二つの大戦をまたいで、チューリング、ノイマン、シャノン、ウィーナーなどの天才数学者を輩出し、彼らのおかげで計算機工学を開花させたのである。こうした技術が、核兵器や化学兵器といった大量破壊兵器を生み出したことも事実で、天才たちの功績が、まずもって悪魔の手先とされてきた。本書にもその苦悩が伺える。
工学という学問分野は、実用性をもって評価される。無味乾燥な法則を意味あるものにするということは、解釈を施すことに他ならない。それが自然に適った解釈であるかを常に自問すれば、数学は哲学となり、数学者は真理の探求者となるであろう...

1. 無秩序な世界におけるルベーグ積分の役割
ライプニッツは、物理的世界の連続性を主張し、原子論に正面から反対した。時間と空間が無限に分割可能とすれば、時間と空間に分布する量もまた、あらゆる次元に渡って変化率を持っていることになる。実際、時間と空間に関係して分布する物理量は、工学的に意味をなすものが多い。
そこで、存在の概念では、離散的な個を対象とするのではなく、連続的なエネルギースペクトルを対象としてみてはどうだろう。そのスペクトルを微分方程式の群として眺め、一つの偏微分方程式として再構築する。エネルギー準位が離散的に存在するのは、連続で働く意志に対して、落ち着きの場を求めた結果であろうか。実は、離散性と連続性は、意志のもとで調和した存在なのかもしれない。尚、意志とは誰の意志かは知らん...
思えば、電気回路技術者は、電子の個々を制御できているわけではない。電流や電圧といった値は統計的な物理量であって、極めて確率的である。トランジスタがある条件下で多数決的にスイッチング制御されるという意味では、民主主義的ですらある。それは、市場原理、社会現象、気象現象などと似た状況にあり、製造工程における半導体素子の歩留まり率が顕著に示している。
こうした不確定性の渦巻く世界を、統計力学なしに説明できそうにない。ウィーナーは、このような複雑で曲線的な過程を記述する道具としてルベーグ積分に役割を与えた。ルベーグ積分の概念をつかむことは、数学オンチのおいらにとって容易ではないが、これを知ることが本書の基本となりそうだ。積分とは、まさに精度の高い近似法と言えよう。測度の概念を、長さや大きさを拡張して抽象化し、さらに極限に近づける。極めて不規則な領域を測ろうとすれば、確率論や統計力学を拝借したい。この二つの理論学問は、物理学と数学の間に位置し、この中間領域こそがウィーナーの仕事場であった。
本書には、コルモゴロフの確率論、ギッブスの統計力学、シャノンの情報理論、バーコフのエルゴード定理、マクスウェルの電磁ポテンシャル、プランクの輻射理論、あるいは、当初「バナッハ = ウィーナー空間」と呼ばれたベクトル空間論などが登場する。これらの理論の融合によって無秩序の離散性が、ある種の系列を持った連続性にも見えてくる。なるほど、概念の調和こそが、異次元に配置されるものまでも同一空間に魅せてくれるというわけか...
「線に沿ったある区間の長さや円その他の滑らかな閉じた曲線内の面積を測ることは実に容易である。だが、無数の線分とか曲線でかこまれた無数の領域とかにまき散らされた点の集合、または、この複雑な表現でもまだ十分でないほどに不規則に分布している点の集合の大きさを測ろうとすれば、面積とか体積とかいう極めて単純な概念でさえも、それを定義するためには程度の高い思考を必要とする。ルベーグ積分はこのような複雑な現象を測る一つの道具である。」

2. サイバネティクスな世界
サイバネティクスは、主としてコミュニケーションの科学だという。それ故に、社会学、人類学、言語学もこの分野に属すと。この用語は、「舵手」を意味するギリシア語「キュベルネテス」から思いついたそうな。制御の技術と学理という意味をこめた言葉だとか。そして、神経生理学者や心理学者が用いる「記憶」「フィードバック」という言葉を借用するに至った経緯を語ってくれる。いまや、コンピュータ工学で欠かせない用語である。
チューリングマシンを具現化したノイマン型アーキテクチャは、読み書きできる記憶空間と制御系の内部状態で構成され、電子計算機は人体の神経系モデルとして見ることができる。こうした世界では、知識はその本質において知る過程であるという。そして、生命とは、永遠の形相のもとでの存在ではなく、むしろ個体とその環境との相互作用であると。知識とは、生命のある一面ということか。生命とは、説明されるべきものではもなく、少なくとも、人間が生きている間に説明できるものではなさそうだ。未来の結果よりも現在の過程が重要だとすれば、宇宙の終局に関する知識を求めても無益なのかもしれん。終局の状態は、おそらく時間を持たず、知識も持たず、意味もまったく持たない状態であろうから...
「サイバネティクスの立場からみれば、世界は一種の有機体(organism)であり、そのある面を変化させるためには、あらゆる面の同一性をすっかり破ってしまわなければならないというほどぴっちり結合されたものでもなければ、任意の一つのことが他のどんなこととも同じくらいやすやすと起るというほどゆるく結ばれたものでもない。それは、ニュートン的物理学像の剛性を欠くとともに、真に新しいものは何も起こり得ない熱の死滅、すなわちエントロピー極大状態の全く筋目のない流動性をも欠く世界である。それは過程の世界である。しかも、過程が到達する終局の死の平衡のそれでもなく、ライプニッツのそれのような予め定められた調和によってあらゆることが前もって決定された過程の世界でもない。」

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