2017-04-30

"ディケンズ短篇集" Charles Dickens 著

明るい作風をイメージしてしまうチャールズ・ディケンズ。だが、この短篇集では違った酒肴(趣向)を魅せつける。なんとも薄気味悪い復讐劇に幽霊劇、おまけに狂人的で自虐的なモノローグ。そこに、さりげないユーモアが混入されると、涙を誘う人間悲劇も皮肉めいた人間喜劇へと変貌し、生きる勇気のようなものを与えてくれる。

パスカルが言ったように、やはり人間は狂うものらしい。それを自覚できるかどうかが運命の分かれ目。真理を追求し、ついに自分自身が狂人だと知った時、人は何でもやれるし、殺人鬼にもなれるというのか。実直で率直であるがゆえに、死者の霊魂に耳を澄ますことができるというのか。世間では誠実と呼ばれ、善人と呼ばれる連中よりも、ずっと素直な情愛に富むがゆえに、心が傷つきやすいというのか。そうかもしれん。
そもそも人間の魂ってやつは、虚栄心の塊、嫉妬心の塊でしかない。歳を重ね、経験を十分に積み、何もかも分かったつもりで説教を垂れたところで、誰も耳を貸そうとはしない。
そして、人間の本来の姿が孤独であることを知れば、なお狂う。正義や道徳を憂さ晴らしの道具とし、正義の鬼となって、道徳の鬼となって、社会を呪うのだ。狂人の自由は、道理に合わないほど脆い。自由が果敢(はか)ないとなれば、この世を墓(はか)場にするしかない。自由の砦を死守せよ!この短篇集は、ディケンズの聖戦であったか...

尚、本書には、「墓掘り男をさらった鬼の話」、「旅商人の話」、「奇妙な依頼人の話」、「狂人の手記」、「グロッグツヴィッヒの男爵」、「チャールズ二世の時代に獄中で発見された告白書」、「ある自虐者の物語」、「追いつめられて」、「子守り女の話」、「信号手」、「ジョージ・シルヴァーマンの釈明」の十一篇が収録される。

1. 墓掘り男をさらった鬼の話
とかく葬儀屋というのは、仕事に反して陽気な人種のようだ。死の象徴に四六時中囲まれている男は、なにかと嫉妬深く、いつも陰険なしかめっ面をしてやがる。クリスマスイブだというのに朝まで墓掘りのお仕事。彼にとって墓地は聖地。明るく歌いながら通りかかる子供には、待ち伏せして薄気味悪い笑みを浮かべ、説教を垂れると泣いて逃げ出す。クリスマスイブに棺桶のプレゼント!イッヒヒヒ...
そして、一人でジンをやっていると、鬼たちが群れてくる。荒れ狂う風とともに、恐れおののく墓掘り男。そこに鬼の王様が現れ、声をかけてきた。今夜はやけに冷えるねぇ... 暖かい飲み物を... 鬼どもは火焔酒をやってはお祭り騒ぎ。鬼の王様は墓掘り男に、お蔵の中から二、三の映し絵を見せた。幸せそうな家族団欒の中、幼い子が死んでいく映像。苦労をともにしてきた老夫婦の傍ら、妻も安らぎの地へ追っていく映像。... これらをどう思うかね?と訊ねると、綺麗ですね!ぐらいしか感想が言えない情けない野郎。呆れた鬼の王様は、次から次へ教訓めいた映像を見せ続ける。子供を脅し、説教を垂れて弄ぶ墓掘り男は、今度は、鬼に説教され弄ばれるという寸法よ。
ついに男はなにやら学んだようである。... 働き詰めなのに僅かな食い扶持しか稼げない人でも幸せに暮らせる。無学な人でも自然な慈愛溢れる顔が慰めや喜びとなる。愛情深い環境にあれば貧乏でも明るく生きることができる。そのような心境は、幸福と満足と安らぎによってもたらされることを...
他人の幸福を見ては、ぶつくさ言う自分が最も情けないことを悟ると、鬼どもはいつのまにか目の前から去っていた。敵意と不機嫌に憑かれるほど、鬼に取り憑かれるというお話であった。

2. 旅商人の話
退屈な文面の続く中、最後の1ページに遭遇した瞬間、慌てて最初から読み返す羽目に。キーフレーズはこれだ。
「たしかに風変わりで薄気味悪い家具ではあった。でも、椅子と老人が似ているなどと考える人間がいたとしたら、じつに驚くほど独創的で活溌な想像力の持主に違いない。」
さて、旅商人が宿屋に着くと、オーナーの未亡人にイチコロ!だが、強力なライバルがいた。背が高く感じのいい男でやはり未亡人を狙っていて、未亡人の方もまんざらではない。敵わないと見るや、ヤケ酒を煽って眠る。
目を覚ますと、椅子が老人に変身して未亡人の父親だと名乗る。パンチ酒を五杯も飲めば、椅子が老人に見えてきたり、壁と語り始めるなんて、まぁ、よくある話。バーに行けば、一人で氷と会話している素敵な女性を見かけるし。もちろん会話に割って入るなんて野暮なことはしない。
おまけに、このお爺ちゃんときたら、若い頃はプレイボーイで女をブイブイいわせた!などと武勇伝を語りはじめる。そして、ライバルの男は既婚者だから、未亡人にアタックしろ!とけしかけるのだった。父親のプレイボーイ振りの報いで、娘がプレイボーイにものにされようとしているのを、霊魂になって阻止しようってか。おかげで、旅商人は未亡人と結ばれたとさ。なんとも退屈な展開である。
ところが、だ。この椅子と老人の話は、どこまで信憑性があるのか?この謎が最後の1ページに集約される。この物語の語り手は泊まり合わせた旅商人で、主人公の旅商人とは別人。しかも、伯父さんから又聞きしたと言ってやがる。二重の、いや三重の間接物語となっているところに、主人公をけしかけた黒幕がどこかに隠れていそうな、なんとも歯切れの悪さが興味をそそる。いや、黒幕は主人公自身かもしれん。実に前置きのながーいお話ではあったが、おいらは前戯が大好きだ!

3. 奇妙な依頼人の話
舞台は、債務者監獄のマーシャルシー監獄。債務者監獄とは、1868年までイギリスの法制度の下で現存した施設だそうな。個人から借金して返済できない時、債権者の告発によって一般犯罪者とは別の特別な監獄に収監されたという。
主人公は物心ついた頃から、飢えと渇き、寒さと貧困の記憶しかなく、両親も不幸のうちに死んだ。債務者監獄に入れられた者の家族の悲劇は、なおも続く。仇敵は、親を債務者監獄に放り込んだ親戚の奴ら。玄関払いを喰らわせた奴ら。手助けの言葉は気前よく用いられる分、残酷な響きとなる。やがて裕福になり、恐ろしい復讐のチャンスが到来。悪魔の導きか。奇妙な依頼人の飽くなき執念は、訴訟の勝利だけでは収まらず、相手の破滅によって百倍にも強まる。
「法律の機構を総動員し、知恵の生み出し得る限り、辣腕の及び得る限りの策をめぐらし、公正不正の手段を尽し、最高の切れ者法律家の手練手管をうしろだてにして、法の公然たる圧力を働かせるのだ。あの男を苦しめ、じりじりと死なせてやりたいのだ。やつを破産させ、動産不動産を全部売り払わせ、家から追い出し、老残の身を乞食として引きまわし、監獄の中で死なせてやるのだ。」
尚、ディケンズの父は、気のいい呑気者で、経済観念や責任感を欠き、借金のために債務者監獄に放り込まれたそうな。まだ義務教育制度のない時代、ディケンズは12歳で小学校をやめさせられ、工場で働いたという。この物語は、債務者監獄が人の心を徹底的に打ちのめす悪魔のごとく、凄まじい復讐劇として描かれる。

4. 狂人の手記
今まで恐れていた「狂気」という名が好きになりそう。精神病バンザイ!
周りのみんなを気違いと思い、奴らが敵わないほど頭が良いと自画自賛。天才もまた一種の狂気。この狂気を子孫末代まで伝える暗い運命を背負った子を産むかもしれない、と思うと妻を殺そうと決意する。
さて、どうやって殺すか?毒殺、溺死、火事... 邸宅が炎につつまれて黒焦げになるのも絶景!犯人逮捕に莫大な懸賞金がかけられ、無実の人間が絞首台にぶらんと風に揺られる、と考えただけで愉快!
ある夜、眠っている妻の前で剃刀を持って耳元で囁いていると、悲鳴をあげて目を覚ました。妻にじっと見つめられると、金縛りになる。妻が大声で助けを呼ぶと、家中の人が目をさまして部屋へ集まってきた。そして医者を呼ぶと、奥さんは気が狂いました!と狂人の俺に言うのさ。奥さんを監禁して見張りをつけなければならないと。この俺が見張りだとさ。目的を果たし、妻は翌日死んだ。葬式で、白いハンカチの陰で涙が出るほど笑った。狂暴な喜びと有頂天を隠すために、歯を食いしばり、足で地団駄を踏んで、手に爪を立ててこらえるも...
「おれは憶えている... もっともこれはおれが憶えていることができる最後の情景の一つなのだ。なにしろ、いまここでは夢と現実がごっちゃになってしまって、やる仕事がどっさりあるうえに、いつも急がされているので、その二つをごっちゃになっている混沌から切り離している暇がないからだ... おれは憶えている、おれがどのようにしてとうとうそれをばらしてしまったかを。あっはっは!」

5. グロッグツヴィッヒの男爵
グロッグツヴィッヒの男爵の名は、フォン・コエルトヴェトウト。古城に住み、魅力的で若く、是非一度逢ってみたい人物だというから、人物紹介物語とでもしておこうか。しかし、血気盛んな男爵は子供を多く授かったために財産が尽き、借金を抱えてしまう。社交界で見栄を張って生きていかねばならぬ身の上では、チャラにするなら死ぬしかない、と自殺を覚悟する。
尚、Grogzwig(グロッグツヴィッヒ)は、grog(グロッグ酒 = ラムの水割り)と、swig(がぶ飲み)を合わせた名。Koëldwethout(コエルトヴェトウト)は、cold-without のもじりを思わせる。それは砂糖を入れないジンの水割りでのことで、warm-without で砂糖を入れないお湯割りとなる。また、フォン・シュヴィーレンハウゼン(Swillenhausen)男爵という人物も登場し、swill(鯨飲)の家という意味になる。
なぁーんだ。大酒飲みたちの駄洒落物語であったか。酒は百薬の長と言うが、自殺の決意までまろやかにしてくれるとは。命の重みをアルコール度数で相殺するなら、人生なんてまさにスピリタス!
「それでもまだ、みだりにこの世から引退したくなるようなら、まず最初に大きなパイプを一服やり、そして酒壜一本まるまる空にして、グロッグツヴィッヒの男爵のあっぱれなお手本から学んでみたらどうかな。」

6. チャールズ二世の時代に獄中で発見された告白書
獄中の最後を語る独白。生涯の最後の夜だから、包み隠さず赤裸の真実を綴ることができるというもの。無論、勇敢な人間でもなければ、子供の頃から疑い深いムッツリした性格であった。いつも出来のいい兄と比べられ、しかも同じ姉妹と結婚し、絶えず劣等感に苛んできた。兄は先に逝ってしまい、心を見透かしたような目で見る兄嫁も息子を残して死去。その息子も兄嫁と同じような目で見やがる。おまけに、姉の息子を可愛がる妻にいたたまれない。ついに胸中に悪魔を抱き、兄の子供を殺してしまった。そして、明日死ぬ運命にあると、恐怖心の表白を綴る。

7. ある自虐者の物語
幼き日は、祖母と過ごした。いや、そう名乗る人と過ごした。やがて孤児と思い知らされる。皆の優越感と傲慢な憐れみで優しくされ、破廉恥な芝居にも見えてくる。これが馬鹿でない最初の不幸。親切、保護、その他もろもろの美名の下で自己満足に浸る慈善家。彼らは気の毒な子供を見つけては、見返りの奴隷とする。人の不幸をだしにして憐憫、同情などという方法で、自尊心や優越感を誇示するわけだ。
主人公は美貌にも恵まれた才女で、孤児のコンプレックスを反骨精神に生きてきた女性。見下した親切心に失望が加わると自立心を養ってきた。道徳的タブーに凝り固まった世間の無知と偽善には、条件反射的な道徳批判で対抗し、同情は蔑視の裏返しとして断じて拒む。
しかしながら、才ある人間はとかく誤解されやすい。ましてや気の強そうな女性ともなると、狡猾かつ滑稽な皮肉屋に見られる。「狂人の手記」のごとく、最初から狂気を自覚し、世間からもそう思われる方が、まだしも楽であろうに...
道徳的な人間にせよ、非道徳的な人間にせよ、自動的に身に付けた価値観に支配されるのは同じ。それに気づくから不幸なのかもしれん。ただ、彼女もまた自虐の法則に自動的に従っているだけではないか...
「私は馬鹿でないという不運に生まれついている。まだほんとに小さい頃から、まわりの人たちが私に隠しおおせたと思っていることを見破ってしまった。いつも真実を見破るのではなくて、いつも騙されていることができたなら、私も大多数の馬鹿者と同じように平穏な人生を送ることができたであろうに...」

8. 追いつめられて
ある生命保険会社の総支配人の告白。
「生命保険会社というのは、人間の中でも最も狡猾、残忍な連中にいつ何時乗じられるかわからないということ、これだけ言っておけば十分だろう。」
保険金を支払うには、まずもって客観的に判断する材料が求められる。それは、まずもって人の言い分を疑ってかかること。会社の資産を守るために保険金支払いの義務から免れたいと考える。裁判沙汰に追いつめられても。主観性の入り込む余地のない事細かな契約書は、いわば、自分の身を守るため。それゆえ、小さな文字で、これでもか!これでもか!と読み手が嫌になるほどに注意書きを羅列する。まるで暗号解読。
対して、生命保険に入ろうという人は、今の生活よりも楽になりたいと考えて保険に入るぐらいだから、困窮しているわけではない。そこそこ余裕のある人間でなければ、保険金も払えない。現在の生活水準を保つばかりでは飽き足らず、あわよくば裕福になりたいと。
したがって、ここにはグロテスクな人間模様が露わになる。人間の容貌を読破するのは事だ。人間を支えている希望や目的を失った時、人はどんな正体を見せるであろうか...
「態度と結びつけて考察した場合の人間の容貌、これにまさる真理というものはこの世にない。永遠の知恵が各人一人一人に命じて、それぞれ固有の文字を使ってそれぞれ固有の一ページを寄稿させた本、これが人間の容貌である。」
尚、この物語のモデルは、実在した毒殺魔トマス・グリフィス・ウェインライトという人物だそうな。彼は良家の出で、インテリで文才画才にも恵まれ、社交界の寵児だったという。贅沢な生活がたたれば、祖父を毒殺して遺産をせしめる。その後も、妻の妹など何人もの女性に保険をかけて毒殺。仕舞には金目的では飽き足らず、快楽のために殺人を犯したとか。ある女は足首が太くて目障りだった、という証言もあるとか。そして、終身刑を宣告され、流刑の地タスマニアで死んだという。

9. 子守り女の話
少年時代の思い出話。おばあちゃんが怪奇物語を語ってくれれば、幼児期の思い出がいつまでもこびりつく。神話や童話も同じようなもので、それが教訓となって蘇る。殺人鬼大尉というサイコパスに、わが身を悪魔に売り渡した船大工が登場すれば、少年にはトラウマとなる。とはいえ、子守り女の話芸が見事だからこその物語。子供ってやつは何でも信じられるし、脅すのに筋書きなんてなんでもありだ。とはいえ、大人も大きな子供に過ぎない...

10. 信号手
信号手は、列車の安全確保のために常に正確と緊張が要求される。信号燈の手入れをし、時々ハンドルを動かすだけで、労働と呼べるほどの労働ではない。労働といえば、身体を動かすことが主流だった時代、プロレタリアートの象徴はやはりブルーカラーか。
しかしながら、いつベルで呼び出されるか分からず、常に耳をすまし、見かけほどのんびりでもなければ、けして気が休まることがない。通過列車に旗を振り、念入りに機関手に口頭で何かを伝える。少しでも怠れば、大事故になりかねない。
そこに、幽霊の声が....おうい!そこの下の人!気をつけろ!気をつけろ!その十時間も経たぬうちに、歴史的な大事故が発生。偶然か。幻か。そして、またもや危険信号燈のところで幽霊の声。すると、またも死人が... これが何度か続き、妄想に憑かれる。
さて、予兆ともいえる声は、いったい誰の声か?信号手の心の声か?実はいつも無意識に予兆が聞こえていて、事故が発生した時だけ、自意識として明確に浮かび上がってくるということはないだろうか。人間の危険予知能力とは、案外そんなものかもしれない。超自然現象をどう説明するか?これを幻覚として片付けてしまえば、合理的な解釈はできない。まずは、グロッグツヴィッヒの男爵を見習って、酒を飲んでから幻聴に耳を傾けるとしよう...
尚、この物語は、「世界階段名作集」のようなアンソロジーにもよく選ばれる有名な作品だそうな。ちなみに、1865年、この物語が書かれる前の年の6月9日、ディケンズは愛人とのフランス旅行からの帰途、ロンドン行の列車が大事故を起こし、多数の死傷者を出したという。二人とも怪我はなかったようだが、精神的後遺症からは抜けられなかったとか。そして、5年後の1870年6月9日、ディケンズは亡くなった...

11. ジョージ・シルヴァーマンの釈明
「ある自虐者の物語」は、孤独で内気でありながら攻撃的な性格を持つ女性の独白劇であった。この物語は、その男性版でありながら、性格は極めて忍従的で受動的という対称性を担っている。
主人公は貧乏な家で生まれ、地下室に閉じこもって暮らす。母親からも世故いガキと呼ばれ、偏狭な性格になったと告白。世故に長けた者の世故い人生とはいかなるものか。それは、地下室への階段が急だったことが物語っている。両親は二人とも地下室で寝たきりになり、笑い、唄って、死んでいった。
やがて、そんな地下室にも変化が訪れる。世間の変化が、こんな低いところまで舞い降りてきたのか。世故いガキは牧師に拾われ、大学にまで行かせてもらう。だが、気難し屋で不愛想なムッツリ屋の性格は変わりようがない。こんな性格にしたのは、地下室のせいか?貧乏のせいか?救いを哲学に求めたところで自問という拷問に晒され、内気で自己主張できないがゆえに自我を破滅させていく...
とはいえ、墓場に片足を突っ込みながら、すごく世故に長けている。なにしろ皮肉な独白劇を披露しているのだから。そして、この一文に宗教的道徳観への反骨精神を感じる。相手は英国国教会ということになろうか...
「ずきずき痛む心と疲れきった精神を引きずって、この修羅場から退却した。こういった偏狭な人間たちを神の威厳と英知の解釈者と見なしてしまうほど、ぼくが弱い人間だったからではなく、ぼくの中のまったく世故にたけた心がわずかでも頭をもたげかかるのを抑えようとしたやさき、そして懸命の努力によって、成功したと精一杯思い込んでいたやさき、事実を歪めて述べられ、また意味を取り違えられてしまったのは、ぼくのよくよく不運であるかのように感じるほど、ぼくが弱い人間だったからだ。」

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