2019-02-03

"ロマネ・コンティ・一九三五年 六つの短篇小説" 開高健 著

本書には、「玉、砕ける」、「飽満の種子」、「貝塚をつくる」、「黄昏の力」、「渚にて」、「ロマネ・コンティ・一九三五年」の六作品が収録され、捉えどころの難しい作品群は主義や思想などという枠組みでは規定できそうにない。美酒、美食、阿片、魚釣への好奇心は、単なるエピキュリアニズムか。それとも、もっと深い何かが。政治的な出来事や歴史的な背景を盛り込み、求道的な陰翳を語っているようにも映る。いや、そう感じさせるだけで、読者に意地悪をしているのかも。いずれにせよ、文体の黄昏感に癒やされるのであった...
ちなみに、北京官話の語感で「開高健」の反語は、「閉低患」となるらしい。発音は、カイ・カオ・チェンがピー・ティー・ファンに...

人生論に縋りはじめたら、そろそろ終わりが見えてきたということか。郷愁に誘われながら、性懲りもなく繰り返す愚行論。歳を重ねると感動が薄れていき、憂鬱に浸ったまま無気力になっていく。もう未来に高揚感も湧かない。頭が朦朧とした中で青春の映像をセピア色に染め、自己陶酔に耽る。このビンテージ感ときたら。そして、夕焼けに染まる時刻になると、飲まずにはいられない。
ちなみに、二十年来の馴染みに「BARは5時から...」というキャッチフレーズを掲げるバーがある。「いくつものドラマがはじまるバーの扉は午後5時に開きます...」だとさ。それにしちゃ、バーの扉は重い。紳士淑女でなければ、開ける資格がないと言わんばかりに。心身ともにくつろごうとする場で、緊張感を煽ってどうする。扉の重厚感の前で、客は怯んで引き返すか、バーテンダーに勝負を挑むか、選択肢は二つ。まさに人生は、選択の中で進行していく。それも後戻りのできない選択だ。
そして、物語が迫ってくる。「白か黒か、右か左か、有か無か、あれかこれか。どちらか一つを選べ。選ばなければ殺す!」と。しかも、選択の余地がありそうで、相手は最初からどちらを選ぶか決めている気配。どう答えても幸せにはなれそうにない...

ちょっと待ってくれ!考える時間をくれ!まずは、スパでリラクゼーション!アカスリでもして人生の垢を落とそう。その垢ときたら、固く固く固まってウズラの卵ぐらいの玉に。フルチンじゃ、「玉、砕ける」。垢を落とし、爪を切り、排泄物を流し、ろ過作用を促すも、体内の不純物を蒸留し、すかさず蒸留酒を補給。ん~... 気分転換しても答えが出そうにない。コインでも投げて、どちらか選べば楽になれそうだが、選択しないという選択肢も欲しいところ。人生のドラマは、軽々しく選択できるものではなさそうだ。一九三五年モノともなれば、扉の重々しさはさらに増す...
「馬でもないが虎でもないというやつですな。昔の中国人の挨拶にはマーマーフーフーというのがあった。字で書くと馬々虎々です。なかなかうまい表現で、馬虎主義と呼ばれたりしたもんですが、どうもそう答えたんではやられてしまいそうですね...」

1. 飽満な魔力... 阿片
禁断療法がどれほどの苦しみかは知らんが、阿片を「飽満の種子」と書き残した者もいるらしい。この魔力は、温和で爽快な疲労回復剤にとどまることはないようである。阿片中毒者ジャン・コクトォは著作「阿片」の中で、こう書いたそうな。
「永続的快感の状態にある阿片喫煙者を見て堕落だと責めるのは、例えば大理石を見て、これはミケランジェロにそこなわれた結果だと言い張り、画布を見て、これはラファエルに汚されたのだと叫び、紙を見て、これはシェークスピアにけがされたのだとあわれみ、沈黙を見て、これはバッハに破られたのだと云うのと同じことになる。阿片喫煙者、これほど不純でない傑作はまたと他にはない。だがすべてに分配を求めてやまない社会が、この傑作を、目に見えない美、切売りの出来ない美だと認めて、排斥するのも、また極めて当然だ。」

2. 聞きしにまさる官能酒... ロマネ・コンティ
「小説家は耳を澄ませながら深紅に輝く、若い酒の暗部に見とれたり、一口、二口すすって噛んだりした。いい酒だよ。よく成熟している。肌理がこまかく、すべすべしていて、くちびるや舌に羽毛のように乗ってくれる。ころがしても、漉しても、砕いても、崩れるところがない。さいごに咽喉へごくりとやるときも、滴が崖をころがりおちる瞬間に見せるものをすかさず眺めようとするが、のびのびしていて、まったく乱れない。若くて、どこもかしこも張りきって、潑剌としているのに、艷やかな豊満がある。円熟しているのに清淡で爽やかである。つつましやかに微笑しつつ、ときどきそれと気づかずに奔放さを閃かすようでもある。咽喉へ送って消えてしまったあとでふとそれと気がつくような展開もある。」
これが、酒についてのくだりであろうか。思えば、美酒への欲望も、美女への欲望も同類、官能的な酒が官能小説を際立てる。人生にくたびれた老人をボトルのくびれが癒やし、ワインがグラス越しにエクスタシーを物語る。
ちなみに、VSOP には二つの意味があるそうな。通説の Very Superior Old Pale. と、もう一つは、Vieux Sans Opinion Politique(政治的意見に関係なく古い).
政治家ってやつは、あまりに脂ぎっているために、ビンテージもののようにまろやかにはなれないものらしい...

3. あの荘子と恵子の論争... 魚の気持ちなんか知らんがね
「昔、中国に哲学者がいた。その哲学者が、ある日、弟子をつれて散歩にでた。河岸へくると、魚が泳いでいるのが見えた。それを見て、哲学者は、魚が楽しんでいるといった。弟子は、あなたは魚ではないのにどうして魚が楽しんでいるとわかるのですと、たずねた。すると哲学者は、おまえはおれではない。それならば、おれが魚の楽しみをわかってはいないと、どうしておまえにわかるのだといった。すると弟子は、私はあなたではないのだからもちろんあなたのことはわからない。あなたはもちろん魚ではないのだから、あなたに魚の楽しみはわからない。これはたしかだ...」

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