2010-03-14

"ルイ・ボナパルトとブリュメール18日[初版]" Karl Marx 著

「歴史は二度繰り返す。最初は悲劇として、二度目は喜劇として。」
とは、よく耳にする言葉である。その源泉がこんなところにあろうとは!立ち読みしていて、偶然出会えたことに感激している。本書が「資本論」と並んでカール・マルクスの歴史的名著であることを、今日知った。

「ブリュメール18日」とは、ナポレオンの起したクーデターである。しかし、ここではその甥ルイ・ボナパルトが起したクーデターを題材にしている。それは、クーデターに至るまでのフランス第二共和制を物語るドキュメンタリーといったところか。ちなみに、ブリュメールはフランス革命暦の霧月のこと。
マルクスは、この小規模なクーデターを英雄の偉業の猿真似と皮肉る。そして、ボナパルトをナポレオンの甥という名声だけで権力を掌握した人物と評している。ボナパルトは、ルンペンプロレタリアートを支持基盤として、皇帝ナポレオン三世となって独裁を確立した。ルンペンプロレタリアートとは、労働者階級でも下級の小作農や貧困層のことで、いわば階級をなしていない階級である。本書は、底辺層から巻き起こる滑稽な世論が独裁者を後押しするという民主主義の弱点を露呈する。これは、甥の事業を英雄の偉業と重ねたパロディと言っていい。マルクスは、ボナパルトをナポレオンの仮面を付けてナポレオンを演じた道化人、あるいはイカサマ師と蔑む。
それにしても、本書に登場する政党名から団体名が、どこぞの国の政治情勢とほとんど一致し、今現在を物語っているかのように錯覚するのはどういうわけか。偉大な歴史は繰り返さなくても、くだらない歴史は繰り返すのか?

90年代初頭、ソ連をはじめとする共産主義体制が崩壊し、マルクス主義は葬り去られたかに思われた。ところが、近年マルクスが見直される動きがある。当時、共産主義や社会主義の存在が、民主主義や自由主義の暴走を防ぐ役割を担っていたと見ることもできるかもしれない。だとすれば、いまやその抑制を自己解決に求めるしかない。そこで、マルクスが注目されるのだろうか?歴史的にみて社会主義という言葉はあまり良い印象を与えない。平等という名の元で合法的に搾取が行われ、自由を迫害するイメージがある。単に労働者の自由を訴えただけで、反体制論者や政治犯として裁かれるといったことは、多くの国々で経験している。未だに、社会主義的な政策を「アカ」と叫び、共産主義化するのではないかという懸念が根強くある。
一方、資本主義経済は、資本をフィードバックしながら、その反復原理によって自己増殖するシステムである。言い換えれば、投資循環が経済の生命線と言えよう。物を作り続け、革新的精神を休ませることは許されない。そう、まさしく自転車操業システムを強迫観念まで押し上げている。いや、資本主義に限らず、人間が生きること自体が、自転車操業に象徴されるのかもしれない。本来、人間にとって必要なものは物品である。なのに、貨幣という流通のための代替物が発明されてから、存在を無へ、無を存在へと価値観を変えた。まさしく資本主義は空虚な証券価値によって構成される。証券価値は、巨大インフレによって瞬時に百倍にも千倍にも暴落させた例がある。人間社会は、存在の社会から無形化社会へと歩みを続け、更に技術革新によって証券すら電子化され、ますます仮想化へと突き進むかのように映る。人間は、幻想化の過程で無形化の本質へ迫り、ついには精神の虚しさを悟るのであろうか?
マルクスは「資本論」で、貨幣で構成される幻想システムを解明しようと試みた。「資本論」が経済の観点から空虚に迫ったと解するならば、「ルイ・ボナパルトとブリュメール18日」は、政治の観点から空虚に迫ったと解することができそうだ。マキャヴェリは「君主論」で、君主は善人である必要はないが、善人に見えなければならないと述べたという。現実に、改革派と自称する輩が、狂人的な保護主義者だったりする。政治家が、自ら歴史上の偉人になぞらえ、行動を美化する滑稽な姿をよく見かける。彼らは、歴史ロマンを夢見ながら幻想を追いかけているわけか。

本書には、初版でありながら、最後に「第二版への序文」という珍しい項がある。そこには、「たんに誤植を訂正し、いまではもう理解できない当てこすりを削除するだけにしておいた」と記される。第二版では、かなりの形容が削られニュアンスも違うらしい。その簡潔ぶりは、かえって奇怪な解釈を生むかもしれないという。初版の方が、文学性があり毒舌も効いていてストレス解消に良さそうだ。

1. 歴史は二度繰り返す
この冒頭からの書き出しは有名だそうな。
「ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えることを忘れた。一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として、と。ダントンの代わりにコシディエール、ロベスピエールの代わりにルイ・ブラン、1793~95年のモンターニュ派の代わりに1848~51年のモンターニュ派、小男の伍長と彼の元帥たちの円卓騎士団の代わりに、借金を抱えた中尉たちを手当たり次第にかき集めて引き連れたロンドンの警官!天才のブリュメール18日の代わりに白痴のブリュメール18日!そしてブリュメール18日の第二版が出版された状況も、これと同じ戯画である。」
ヘーゲルが指摘したのは、国家の大変革が二度繰り返された時、民衆はそれを正しいものと認めるといった話である。それは、ナポレオンの二度の敗北、ブルボン王朝の二度の追放と重ねながら、一度目は偶然でも、二度目は確かな現実になるという主張である。本書は、更に加えて、一度目の悲劇と二度目の喜劇で、偉大な出来事と滑稽な出来事を関連付ける。

2. 第一期: 二月革命の時代(1848.2.24 ~)
ルイ=フィリップ国王が失脚すると、政府自身が臨時政府であると宣言した。この宣言は、決定したものがすべて暫定的に過ぎないと自称しているようなもので、無責任と言えよう。既成権益は解体されないまま暫定政府にとどまり、金融貴族の独占的支配は打倒されない。となれば、暴動が起こり、共和制に移行するのは必然と思われた。だが、その共和制が様々な立場で都合よく解釈される。プロレタリアートは社会的共和制を訴え、ブルジョワジーは市民的共和制を訴えた。しかし、パリのプロレタリアートは、ユートピア的な馬鹿げた思いつきしかなかったので、市民的共和制が勝利したという。ただ、当時の市民的共和制は、市民活動を意味しているのではないようだ。既存権益を打破するという名目で市民活動を煽り、結果的に権限を横取りして、市民にはなんの恩恵もないというわけか。

3. 第二期: 共和制、憲法制定国民議会の時代(1848.5.4 ~ 1849.5.28)
憲法制定国民議会の時代は、共和派のブルジャア的分派の支配と解体の歴史であるという。この分派は、ルイ=フィリップの君主時代から共和派野党として政界に公認されていた。たとえ思想が違っていても共通利害によって結びつくのが政治というものか。彼らは数の和を強調するが、あの政党と結びついたがために、逆に支持しない人が多数現れることを考えられない。排他的なブルジョア共和制は、社会主義的思想を排除しようと画策したが、排他思想は長くは続かない。それは、共和制憲法とパリの戒厳令に要約される。この時期、様々な自由が制定されたという。個人の自由、出版の自由、言論の自由、結社の自由、集会の自由、学問の自由、宗教の自由などなど。これらの自由は、フランス市民の無条件の権利として宣言される。ただし、その条文の傍注には「公共の安全」によって制限するとある。これがくせ者で、警察権限は絶対という条件を装った罠であったという。傍注付きで起草するのは、官僚派の得意とするところで、どんなに魅力的な条文であっても、抜け道によって国家権力をいくらでも拡大できる。現在においても、立派な人権規定がありながら事実上反古にしている国がある。条文法あるいは制定法至上主義に陥ると、抜け道をすべて塞ぐために別の条文で穴埋めしなければならず、結局、条文が無限に起草されることになる。憲法の本質は慣習法にあるとは、よく耳にする。アメリカ合衆国憲法は、あらゆる独裁者の出現を拒むように考案されたが、その論理的弱点を数学者ゲーデルが指摘した。条文だけで道徳を規定できるほど、人間精神は単純な構造をしていない。
憲法の投票の間、ブルジョア共和派の軍人カヴェニャックがパリで戒厳令を維持し、反対派は裁判なしでことごとく流刑に処される。だが、大統領にルイ・ボナパルトが選出されると、カヴェニャックと憲法制定議会の独裁を終結させ、ブルジョア共和派は没落する。

4. 第三期: 立憲共和制、立法国民議会の時代(1849.5.28 ~ 1851.12)
第一次フランス革命期は、立憲派のジロンド派、ジャコバン派の支配が続いた。どの党派も革命からは遠い立場であったため、同盟軍によってギロチンへ送られ、革命の気運を急速に高めた。
しかし、1848年の革命は、それとは逆の現象だという。プロレタリアの党は、小市民的民主派の付録のようなもので、民主党はブルジョア共和派に寄りかかる。ブルジョア共和派は、かろうじて足元が固まったかと思ったら、すぐさま秩序党の肩にもたれる。秩序党は、肩をすぼめてブルジョア共和派を引っくり返し、武力権力の肩にしがみつく。あらゆる党派が、寄りかかったり背後から襲ったりと滑稽な姿を曝け出す。本書は、既に革命は後戻りしていたと指摘している。社会=民主党の本来の性格は、資本と賃金労働の二つを対立させるのではなく、調和させるために民主的=共和制を要求するものだったという。これは、民主的方法を前提とする。そして、小市民は、原理的に利己的な階級利害を貫徹するような視野の狭い連中ではないと指摘している。むしろ、自分たちの解放は普遍的な条件によって救済されると考える知的な人々であると。だが、民主党ほど自分の力量を過大評価する党はないし、軽々しく状況を見誤る党もないと皮肉っている。ボナパルトは、自らの王政復古欲を陰謀によって合法的に実現する。その背後で金融貴族が活躍したのは想像に易い。ボナパルトは、普通選挙権の復活を唱え、大ブルジョワジーを味方につけた。やがて、秩序党は解体され、国民議会は腐敗し力を失う。

5. 国民投票と代表制の弱点
国民議会が選挙民を制限するのに対して、ボナパルトは普通選挙権を復活させ、国民からの人気を得た。ヒトラーにしても、幾度も国民投票に訴え合法的に独裁者になった。独裁は、国民投票という民主主義の象徴とも言うべきシステムから忍び寄るわけか。そこには、腐敗した共和制と国民議会に幻滅した世論が、幻想に憑かれるように過去の英雄を崇めて、その血筋を支持する様子が語られる。民衆は、政治にうんざりすると強烈な指導力のある政治家の登場を願う。おまけに、マスコミが奇妙に煽り、大した事でもないのに誇張して英雄を仕立てる。世論の暴走は政治不信が高まった時に起こりやすく、救世主を求めるかのように滑稽な世論が巻き起こる。ボナパルトは、まさしく社会の底辺層であるルンペンプロレタリアートの支持を得て政権を握った。独裁形態は、自由主義とは矛盾するが、民主主義とは矛盾しないのかもしれない。

6. 帝政復古のパロディ
ブルジョワジーは議会的共和制の中で享楽をつくすが、「共和国万歳!」と叫ぶ王政派によって葬られた。ブルジョワジーはプロレタリアートの支配に逆らったが、ボナパルトを首領とするルンペンプロレタリアートに支配され、秩序維持を名分とした国家権力によって弾圧された。プロレタリアートは社会主義の勝利!と叫ぶが、それはボナパルトの勝利であって、いわばプロレタリアートを利用した独裁の勝利である。独裁を揺るぎない体制とするには、その手先機関を強化する必要がある。巨大な官僚組織に強力な軍事組織を持つ国家機構は、ナポレオンが完成させたものだ。ただ、ナポレオン治下での官僚制は、ブルジョワジー階級に用意された統治手段に過ぎなかった。ルイ=フィリップ治下でも、官僚制は支配の道具でしかなかった。ところが、ボナパルト治下では、秘密警察的な性格を帯びたという。ナポレオンの軍隊は、分割地農民の名誉を代表するもので、外国からの圧力に対抗する愛国心と所有意識の理念的形態であった。しかし、ボナパルト治下でのフランス農民は、国内の執政官と租税徴収官の敵であったという。本書は、大衆の愚かさがブルジョワジーをボナパルトに売り渡したと指摘する。むしろ、ブルジョワジーとプロレタリアートが協力して、独裁を食い止めるべきだったと。

7. ボナパルトの本性
本書は、ボナパルト一派を、国民に費用を負担させ自らに慈善を施すという意味で「慈善協会」と呼んでいる。ボナパルトは、合法的に恐喝まがいなことをして、大衆的形態で個人的な利益を得たという。
「年老いた、ずるがしこい放蕩児である彼は、諸民族の歴史的生活とその国事行為を最も卑俗な意味での喜劇として、大げさな衣裳や言葉やポーズがきわめてけちくさい下劣な行為を覆い隠すのに役立つ仮面舞踏会として、理解している。」
演壇や新聞は弾圧され、ボナパルト批判で攻撃するジャーナリストたちは、ブルジョア陪審員たちに調達不可能な罰金刑や、恥知らずの懲役刑を宣告したことは全ヨーロッパを驚かせたという。
「執行権力の自立性は、自らを正当化するのに、その首長がもはや天才を必要とせず、その軍隊がもはや栄誉を必要とせず、その官僚制がもはや道徳的権威を必要としない場合に、あからさまに際立つ。」
国家機構が強化された体制では、もはや酔っ払った政治家で充分というわけか。ボナパルトは、最も人口の多い階級である分割地農民を代表しており、ボナパルト家は農民である。すなわち、ブルボン王朝の土地所有王朝とは違って人民大衆の王朝である。しかし、これは農民から皇帝復活を騙し取った結果であって、革命的農民ではなく保守的農民を代表していたという。農地を解放するのではなく、むしろ既得農地を守り、古い秩序で守られる農民の代表だったというわけか。彼は、軍隊で農民狩りをし、農民の大量投獄と流刑を行った。これにフランスの半分にわたる農民が蜂起する。
本書は、ナポレオンの代役となるために小規模であるがクーデターを実行する必要に迫られたと分析している。ちなみに、ナポレオンはアレクサンドロスを思い起こしたが、ボナパルトはバッカスを思い起こしたという。アレクサンドロスは英雄だが、バッカスはローマ神話のワイン神である。

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