2018-01-21

自然に発する仕事とは... いまだ見えぬ...

ヴォルテールは、こんなことを言った、「仕事をしていると、人生の三大悪から免れることができる。して、その三大悪とは、退屈と悪徳と貧困である。」と...
仕事に励む機会が得られれば心が落ち着き、精神的合理性となる。働かざる者食うべからず... などと慣用句を持ち出せば、後ろめたさを感じ、無理やりにでも人数分の仕事を用意しなければ、社会的合理性は叶えられない。
しかしながら、自然に適った仕事に身を置くことが、如何に難しいか!そもそも人間社会が自然に適っているのか?仕事の在り方や物事の哲理を問わなければ精神は堕落し、慣習に流されて義務となる。これを世間では常識と呼ぶ。はたして自分の仕事は、義務と呼べるほどのものなのか?ただ言えることは、仕事は楽しい...
とはいえ、設計とは虚しい仕事だ。自分で製作したものを、自分で検証し、自分のミスを暴き、それを嘆く。実に虚しい。こんなチマチマした仕事、好きでもなきゃやってられん...
そして、自分をどこまで納得させて生きて行けるか。ただ、それだけを問うてきた。仕事は自分でこしらえるもの... 自分で用意するもの... 四十代を充実させたければ三十代を精一杯生きること、五十代を充実させたければ四十代を精一杯生きること、六十代を充実させたければ五十代を精一杯生きること、そして七十代を充実させたければ... 死ぬ瞬間まで仕事を探し続ける。天国と地獄があるとすれば、まさにこの世だ。生き甲斐ってやつが見つかれば天国となり、見つからなければ地獄となる。ただそれだけのこと。おまけに、一日に何か一つでも会得できた!知ることができた!と実感できないと、損した気分になる時間貧乏性ときた。
とはいえ、回り道、寄り道、道草、そして、失敗こそ人生の醍醐味。歳を重ねれば、自然と人間関係を整理していくことになるが、その分、真の仕事が残っていくのかは知らん。仕事への情熱を生涯持ち続けられれば、至福の喜びとなろうが...
ジーン・トゥーマーは、こんなことを言った、「人間は自分の望みに従って人生を送ろうとするが、人生は必然に従って流れていく。」と...

今日、脚光を浴びるインターネットは、もともとはボランティア的な活動から始まった。その前身である ARPANET は、大学や研究機関の無名な研究者たちによって支えられた。日本では、JUNET がそれに当たる。そういえば、JUNET アカウントを持っているが、今でもログインできるんだろうか?
まだインターネットという用語が認知されていなかった時代、こんなものが何の役に立つのか?などとお偉いさんたちに馬鹿にされたものである。そして今、ネット社会に身を置けない人が馬鹿にされる。世間ほど移り気の激しいものはない。どんな文化にせよ、どんな技術にせよ、黎明期に金儲けをしようなどという脂ぎった動機は極めて控え目に映る。World Wide Web の基本構造を編み出したティム・バーナーズ=リーにしても、人類を一つに結びつける手段を求めただけで、最初から営利目的を考えていたわけではあるまい。ひたすら効率よく仕事をやりたい、なるべく雑用を削りたい、真のやるべきことに集中したい... と願い、その動機は義務よりも自由の方が優勢にある。そして、人生の目的は目的ある人生を生きること... これが最優先される。
しかしながら、仕事が軌道に乗り、安定段階に移行するにつれ、官僚化の道を辿るのが社会法則というもの。文化や技術が庶民化するにつれ、本来の目的を見失い、人を出し抜こうとする欲望が目立ち始める。報酬が多いに越したことはない。だが、はるかに優先したいものがある。
自然は数学ではないし、自然の中に直線や直角が現れるのは、ごく稀だ。しかし、規則的なスタイルは精神を安定させる。秩序あるものに自己は満足する。だからといって、自己を満足させるだけでは能がない。ソクラテスは、こんなことを言った、「生きるために食べよ、食べるために生きるな。」と...

現在の経済システムは、本当に報酬を得るべきところにお金が流れているだろうか?現在の情報システムは、本当に知るべき人々のところへ情報が流れているだろうか?そして、自分の今やっている仕事は、本当にやるべきものなのか?... などと問うても詮無きこと。真理の探求者は、余計な雑念を排除しようとするだろう。貨幣経済に対抗して知識経済を囲い、シャングリ・ラのような世間から隔離される場を求めるだろう。おいらのような酔いどれ天の邪鬼ですら、ネット社会から少し距離を置こうとする。おいらは、SNS が嫌いだ。年に一度、三日間、完全にネットを遮断し、依存症になっていないかを確認するために露天風呂へ出張する。
技量と見識の道に憑かれるのも、ある種の麻薬のようなもの。最大の問題は、真の仕事が何か?一向に見えてこないことだ。自分に嘘をついても虚しい。口に虚しいと書いて「嘘」、人の為(ため)と書いて「偽り」、さて、どちらの道を選ぼう。バートランド・ラッセルは、こんなことを言った、「遠からず神経衰弱に陥る人の兆候のひとつとして、自分の仕事がきわめて重要なものだという信念があげられる。」と...

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