2018-01-14

一人前の定義とは... そんなもん知らんがね...

新年早々、悪夢だ!
とある産学連携センターのサロンで弁当を喰っていると、どことなく人が集まってきて議論が始まりやがった。おいらは、議論が嫌いだ。すぐさま席を立とうとするも、人が好い酔いどれは、いつの間にか巻き込まれてしまうのだった...

近年、教育の立場を考慮して欲しいとの依頼がある。技術屋に教育なんてものは無用だと考えている人間に。引退勧告か!
知識がいくらでも入手できる時代となれば、尚更。情報が平等に手に入るということは、意欲の差で認識格差を助長する。意欲さえあれば、ちょっとしたヒントから視野が開けてくるが、受け身でメディアを当てにしていれば、視野が狭まっていく。何がヒントになるかは、その人次第。そのヒントとなる材料を与えるってことが、教育なのかもしれん。ガリレオ・ガリレイは、こんなことを言った、「人にものを教えることはできない。できることは、相手の中にすでにある力を見い出すこと、その手助けである。」と...

さて、最初の話題は...
「あなたの仕事は何ですか?」と尋ねると、会社や組織の名前を言う人がある、と聞く。あなたは、どんな人ですか?と尋ねると、私は日本人です!と答えるようなものか。これには、いささか驚いて耳を傾けていたが、世間ではそう答える方が多数派らしい。おいらの周りは少数派に属す輩ばかり、どうやら天の邪鬼はおいらだけではなさそうだ。
自分ならどう答えるだろう。即座に、電子回路設計者!と答えるさ。いや、リアルタイム OS を書いていた時期もあった。二十年以上前に遡ると、ネットワーク管理なんて仕事は、ちょっぴりパソコンに詳しい人がボランティア的にやっていたものである。おまけに、プレゼン用資料作成者、いや、PowerPoint 操作係なんてのもあった。なんでも押し付けられる性分か。ある時はプログラマ、またある時はネットワーク管理者、はたしてその実体は、ただの雑用係というわけさ。しかしながら、雑用係も馬鹿にはできまい。広範に渡って知識に精通していなければならないのだから...

次に、「職場の空気について」という話題で、なぜか?体験談を求められた...
自慢できるものは何もないんですけど... と前置きして、二十年くらい前、ベンチャー企業と称するアドベンチャーなハードウェア設計会社に在籍していたことを少し話してみた。まず面を食らったのは、自分のマシン環境は自分で整えることであったと。実に当たり前のことだが、サラリーマン根性が染み付いていると、そんなことでも新鮮さを感じてしまう。
まず、10万円の予算が与えられるが、当時、この金額でパソコンを買うことは難しい。メーカ品だとディスプレイ込で20万円ぐらい。要するに、仕事ができるほどの性能を求めれば、自作の道しかないのである。電子回路設計者が、パソコンを組み立てる知識もないようでは話にならんというわけだ。マザーボードも、グラフィックカードも、サウンドカードも、ネットワークカードも、はたまた、メモリ容量も選択自由。OS に何を搭載するかも自由。Windows あり、Linux あり、FreeBSD あり、はたまた、VMware あり... 社員の間で、自然にハードウェアやソフトウェアの相性などが話題になる。
逆説的ではあるが、暗黙で自作へ仕向けられていながら、自由の感覚に見舞われる。この空気はなかなか。ただ、そんな空気も、金融系の資本が入り始めると、どことのう息が詰まる。自由になりたかったら、まず知識をまとうこと。組織依存症から解放されるためにも。そういえば、やたらと独立心を煽る社長であった。さっさと追い出したかったのかもしれん...

そして、「仕事は与えられるもの!?」と考える人が意外に多いらしい...
おいらも、やることがないので仕事を下さい!と言われたことがある。周りが忙しそうにしていると、後ろめたい気持ちになるのも分からなくはない。
しかし、だ。仕事がなければ、好きな事をやればいい。興味ある技術にトライすればいい。おいらなら喜んでそうする。堂々と...
会社という組織が能力ある人材に仕事をさせない、なんてことはない。面白そうな事をやっていれば、自然にマネージャの目に留まり、グループに引き抜かれるだろう。プロジェクトマネージャというのは、常日頃から慢性化した人手不足をなんとか解消したいと考えているものだ。会社とは、利潤を求める組織であり、無駄な人員を抱えることを極度に嫌う。ギリギリのリソースでやっているから、グループで成長できる面も大いにあるのである。
また、会社に所属し、それで安心している人がいる。だが実は、社内における就職活動こそ重要なのだ。ヤル気があります!などと面接風に訴えられても、こちらの気分が萎える。
現実に、定年退職した途端に生き方が分からなくなる人がいる。自由になってもなお自分の仕事が見つけられないとは、なんと悲しいことか。喰うための仕事... 金を稼ぐための仕事... というようにこだわらなければ、いくらでも仕事は見つけられるはずだ。
実際、趣味を仕事にしている人たちがいる。オープンソースやフリー経済に身を置く人たちがいる。彼らにとって、お金は副次的な目的である。そもそも人生に定年はない。マハトマ・ガンディーは、こんなことを言った、「明日死ぬと思って生きよ。不老不死だと思って学べ。」と...

さらに、「一人前の定義とは...」という話題へ突入!
ここでもなぜか?意見を求められた。こんな難しいこと聞かれても、知らんがね。とりあえず、こう答えてお茶を濁しておいた。
「私が美青年と呼ばれていた新入社員の時代、先輩から伝授された言葉があります。『自分の技術について、一冊の本が書けるようになったら、それで一人前だ!』と...
そして、『技術』というところを一段階抽象化して、こう伝えるようにしています。『自分の仕事について、一冊の本が書けるようになったら一人前と言っていいのではないか』と...」

おいらは、議論が嫌いだ。しばらくサロンには近づかないようにしょう...

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