2020-04-01

ジョークの言える日に、真面目にファルス論でも...

「嘘というものがなければ、人間は絶望と退屈で死んでしまうであろう。」... アナトール・フランス

今日、四月一日は、堂々とジョークの言える日。巷では、そういうことになっている。
しかしながら、エイプリルフール禁止令をあちこちで見かける昨今。フェイクの拡散が日常茶飯事となれば、あえて、そんな日をつくる必要もないか。毎日がエイプリルフールなら、まったくおめでたい世の中。冗談の言える日ぐらい、真面目に語ろう!いや、エイプリルフール禁止令そのものがジョークということもある。
現代語辞典では、ジョークの定義も随分と変容したようだ。真面目に語って笑えるなら、それこそ真のジョークなのやもしれん...

「笑いとは、地球上で一番苦しんでいる動物が発明したものである。」... ニーチェ

世間では、笑いよりも涙の方が高尚とされる。だが、人間の情念は涙を誘うよりも笑いを誘う方がはるかに難しい。悲しみには人類の共通観念があり、死や命の儚さを匂わせればたいてい涙を誘う。
一方、笑いほど文化や慣習に影響されるものはない。笑いは否定をも肯定する。おまけに、涙をも乗り越える。故に、戯作をもって笑劇を演じることが、高尚な生き方ということになろうか。今日では、苦悩を笑い飛ばす能力が問われる。人間の滑稽を見て、これを笑い飛ばせるかどうか。これこそ真の道徳論なのやもしれん。少なくとも、理性をストレス解消のために用い、いつも憤慨する道徳論者よりはましか...

「人が死んでも、人生は依然として可笑しく、人が笑っても、人生は依然として深刻である。」... バーナード・ショー

笑いの世界にも、大衆の目には晒してはならない領域がある。大衆は臭い。どんなに良いことでも、同じことをする人が多すぎると、なにかと問題になるのが人間社会。どんなに良い人でも、集まりすぎると集団的悪魔に変貌する。俗人どもが、こぞって自己肯定に奔走しているのに対し、芸術家どもは自己を侮辱することによって自我の魔術性を露わにする。この自殺行為によって、芸術は芸術たりうる。芸術精神は自己の滑稽に発し、自己の風刺によって自らの悪魔性を炙り出す。自己否定に陥ってもなお愉快でいられるなら、真理の力は偉大となろう...

「ファルスとは、人間の全てを、全的に、一つ残さず肯定しようとするものである。凡そ人間の現実に関する限りは、空想であれ、夢であれ、死であれ、怒りであれ、矛盾であれ、トンチンカンであれ、ムニャムニャであれ、何から何まで肯定しようとするものである。」... 坂口安吾

パスカルが言ったように、人間は狂うものらしい。狂わなければ、まともな笑いにもありつけない。人の一生とは、狂言のようなもの。猿の仮面をかぶれば猿に、武士の仮面をかぶれば武士に、エリートの仮面をかぶればエリートに、サラリーマンの仮面をかぶればサラリーマンになりきる。あとは、幸運であれば素直に波に乗り、不運であれば生きる糧とし、いかに達者を演じきるか。人間なんてものは、物狂いを演じながら生きるぐらいの存在か。自己を見つめているだけで自然に笑みがこぼれる... そんな人生はいずこに...

「人生は近くで見れば悲劇だが、遠目に見れば喜劇である。」... チャールズ・チャップリン

0 コメント:

コメントを投稿