2020-03-22

"空間・時間・物質(上/下)" Hermann Weyl 著

ヘルマン・ワイルの著作「シンメトリー」(前記事)で詩的な数学に触れながら、厳密な理解を要請してくる、この大著を読破するのに一ヶ月を費やしたものの、消化不良感に満ち満ちてやがる。
しかしながら、難解な書に触れる喜びというものがある。なにもかも分かりやすさに流される現代社会にあって、この天の邪鬼な性癖ときたら難解なものにこそ癒やされる。我武者羅に噛み付いているうちに、なんとなく理解した気分になれることだってある。ページを捲っては立ち止まり、ページを戻ってはまた進む。三歩進んで二歩下がるの精神が、相対的な前進へと導いてくれる。いや、ワンツーパンチを喰らって、一歩進んで二歩下がるってか。おまけに、最終ページに辿り着いた時のクタクタ感がたまらん。M だし...

本書は、一般相対性理論の数学的解説書としての性格を帯びている。
原著 "Raum, Zeit, Materie" は、1917年の夏学期に国立チューリッヒ高等工業学校で行った講義を元に書かれたもので、1918年に刊行されたそうな。その動機は、偉大な相対性理論という課題をかりて、哲学的、数学的、物理学的思考が互いに浸透し合うことの一つの例を示したいという願望に誘われたとか。アインシュタインの論文から、わずか二年後に...
相対性理論の根幹には時間と空間を統合した時空の概念があり、この連続体の歪みをもって、ニュートン力学で言うところの力や質量を説明して魅せた。ワイルは、空間、時間、物質の関係を統合的に叙述し、理論の生みの親以上にその本質を描ききったと評されたという。彼はこんなことをつぶやいたとか...
「私は、真と美を統一するように仕事をしてきたが、真か美かどちらかを取れと言われたら、美をとるよ!」
尚、 内山龍雄訳版(ちくま学芸文庫)を手に取る。

相対性理論は科学理論には珍しく、一般大衆にも関心を引いた。それは、人間の認識能力そのものが相対的だからであろう。ニュートンは絶対空間や絶対時間なるものを論じた。ならば、絶対幾何学なるものを構築することは可能であろうか。ワイルは、そんな問い掛けをしながら、アフィン幾何学、リーマン幾何学、計量幾何学... と渡り歩き、n次元多様体に救いを求めるかのように彷徨う。
幾何学を構築するためには、その空間に存在する物質の状態を記述するための座標系を必要とする。ユークリッド幾何学では、直角という性質がその役割を演じ、人間の認識空間では、xyz 軸を基準とする。
直角を代数学的に抽象化したものが、直交という概念。直交性を利用した変換系といえば、周波数解析、データ圧縮、近似法などでお馴染みのフーリエ変換やウェーブレト変換を思い浮かべるが、ラプラス変換やアダマール変換などあらゆる変換系が直交性の恩恵を受けている。変換系を直交性に基づいた写像と定義するなら、直交性の見い出だせるところに、相対的な幾何学を構築することができそうか...

1. 直交と場の哲学
現実世界は、物質と呼ばれる材料からできており、あらゆる材料は空間によって実在し、時間によって認識される。つまり、空間は、物質の存在する場として解釈される。「存在」という哲学的な意味を数学的に定義するならば、一部の空間を占有し、一時的に時間軸に配置される、ということになろうか。相対的な幾何学では、空間、時間、物質という三つの概念が運動によって結び付けられる。すなわち、存在するとは、運動するということだ。物質に絶対静止なる状態が存在するかどうかは知らんが...
物質の運動が場を規定する一つの要因となっているのは確かであろう。量子力学的には、物質が空間を形づくるという見方があり、「物質が場を生み出し、またその状態を一意的に規定する。」としても違和感なし。物体の運動は力と慣性の間で実現され、慣性場は物質との間に相互作用を持つ実在であるからして...
では、重力の実在はどうであろう。本書は、力とは別物で、むしろ慣性に属すべきものとしている。こうした見方によって、相対性理論は重力を場の歪みで説明できるというわけである。
「慣性場に対する物質からの影響は重力の現象として現れる。これこそアインシュタインの重力理論の核心である。」

では、場は自己を認識した時に生じるのか、あるいは、自己は場の存在が前提されて認識できるものなのか、と問えば、鶏が先か卵が先か論争に巻き込まれた感がある。
ユークリッド幾何学にしても、非ユークリッド幾何学にしても、第五公準を境界面にした抽象レベルの違いに過ぎない、といえばその通りだろう。どの段階で自己を認識できるかは別にして、それぞれ渡り歩く幾何学空間に抽象レベルという境界面があるように、人間の精神空間にも認識レベルという境界面があるのだろう。
慣性力、電磁力、重力など物理量が存在するところに場が存在し、そこに時空対称性なるものを見つける。直交性もある種の対称性。場とは、対称性に看取られた認識空間を言うのであろうか... などと思考をめぐらせているうちに、直交と場の哲学に放り込まれていく。どんな専門分野にせよ、それを究めようとすれば哲学者になるものらしい。
おかげで、場末の我が家から、ぐるぐるマップ上に直交配列される夜の社交場へ直行せずにはいられない。そこには、ホットな女性の重力場が生じているに違いない。ただ、女性ってやつは、なぜか体重計の前で軽い存在を演じてやがる...

2. 時間と空間に分解、そして、長さ!?
ところで、おいらには、時間の記述には微分が、空間の記述には積分が相性がいい... という感覚がある。そして、時空を理解するためには、時間と空間を分解してみるのがええと...
本書は、ローレンツ変換において、時間的成分に相当するものがエネルギー保存則で、空間的成分に相当するものが運動量保存則、という見方を提示している。ここまではええ...
しかしながら、空間の形成ではガウスの定理に看取られ... 空間内の振る舞いではマクスウェル方程式に看取られ... いずれも、おいらを電磁気学で赤点に貶めた奴らときた。
おまけに、数学の道具では、テンソル、双線型形式、二次形式が重要な役割を演じてやがる。ワイルは、テンソル解析を意のままに使いこなせるよう練習せよ!と要求してくる。すべての運動する物体にテンソルが規定できると宣言し、一般相対性理論を理解するには、テンソルに看取られた空間認識が必要だというのである。そして、空間を理解するには「エネルギー・運動量テンソル」ってやつが鍵になりそうだ。
テンソル演算そのものはそう複雑でもなく、ベクトルの親分ぐらいの感覚でいる。だがこいつを、ある規定された幾何学と結びつけようとすると、なかなか手強い。共変と反変の違いにしても、アフィン幾何学から計量幾何学へ移行した途端に、単なる表現の違いというところに落ち着く...
「座標系に依存する数個の変数列の一次形式は、その変数列のうち、座標系の基礎ベクトルの変換に反傾に変換される変数列を任意の反変ベクトルの成分でおきかえ、また共傾に変換される変数列を任意の共変ベクトルの成分におきかえることによって、この一次形式が座標系の選びかたに無関係な一定の値をもつようになるときは、この変数列の一次形式は、実はひとつのテンソルである。」

ワイルは、計量の本質をこう言い放つ!
「質量はその本質をかえりみれば、一種の長さである。」
ん~...
「幾何学的な、また物理学的な量はすべて、スカラーか、ベクトルか、あるいはテンソルのいずれかである。このことこそ、これらの量を内包している空間の数学的性質を物語る。」
ん~...
すべての物理量を長さで規定できるような幾何学を想定することが可能ということか。時間も長さで規定できるといえばそうだけど、時間の意味するものはその瞬間の状態にある。座標系で言えば、位置情報に意味がある。少なくとも人間の認識空間では、そうだ。ワイルは、空間の構造に対して、群論的な連続体をイメージさせようと仕掛けてくる。ガリレオ = ニュートン群からローレンツ = アインシュタイン群といったイメージを...
さらに、「距離多様体」という概念を持ち出して、アフィン的に接続されたアフィン接続多様体なるものを提示している。
確かに、重力を空間の歪みで記述すれば、距離の概念が生じる。では、他の力はどうであろう。様々な物質が相互作用する空間とは、それぞれの力を距離で記述した多様体が並列的に、あるいは、階層的に接続されたような空間であろうか...
やはり、ん~...
「長さ」のことをゲージと言い、場の理論に「ゲージ理論」ってやつがあるが、どうやらこの書に由来するらしい。おいらの空間認識では、「長さ」という概念をどんなに抽象化したところで、やはり「長さ」なのである。そもそも「長さ」ってなんだ???数学の落ちこぼれは、ますます計量テンソルとの距離を感じるのであった...

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