2020-08-16

"ハムレット" William Shakespeare 著

恥ずかしいことかもしれんが、おいらはシェイクスピアをまともに読んだことがない。劇場には何度か足を運んでいるものの。
ただ、あまたの作品を遺しながら、これほど筋書きを知っている作家も珍しい。「ヴェニスの商人」、「マクベス」、「リア王」等々、そして、この「ハムレット」... 数々の名言を吐かせた作品の群れに大きな影を感じずにはいられない。
ゲーテは、カントの作品をこう評した... たとえ君が彼の著書を読んだことがないにしても、彼は君にも影響を与えている... と。シェイクスピアという作家は、まさにそんな存在である。知っていれば、いまさら感がつきまとい、歳を重ねれば、手を出すのにも勇気がいる。とはいえ、気まぐれってやつは偉大だ!くだらんこだわりを一掃してくれるのだから...
尚、福田恆存訳版(新潮文庫)を手に取る。

ハムレット物語の展開は既に知っている。
デンマークの王子ハムレットは、父王の亡霊から叔父クローディアスの謀略で殺された事を告げられ、復讐を誓う。さっさと行動に移せばいいものを、狂気を装って周りを欺き、懐疑心に憂悶し、恋心に苦悩するなど、まどろっこしい展開。格式高い国家が醜態を演じているさなか、周辺国との血なまぐさい背景までもちらつかせ...
おまけに、主要人物がことごとく死んでいく。王権を奪い、王妃である母を穢した現王クローディアスはもとより、母の寝室で王と間違えて宰相ポローニアスをやっちまうばかりか、その因果で宰相の息子レイアーティーズを決闘で死に至らしめ、なんの因果か母ガートルードも毒を飲み、叶わぬ恋かは知らんが宰相の娘オフィーリアまでも狂い死に、しまいには復讐を遂げたハムレット自身が毒刃に倒れる。親友ホレイショーに、この武勇伝を語り継ぐよう言い残して...
「しばし平和の眠りから遠ざかり、生きながらえて、この世の苦しみにも堪え、せめてこのハムレットの物語を...」

四大悲劇の中でも名高いハムレット物語。しかし、これは本当に悲劇であろうか。劇場で観るのと本で読むのとでは、まるで光景が違う。だから愉快!
ハムレットという人物像を一人眺めてみても、その独りよがりぶりときたら、まるで一貫性がない。無邪気で打算的、情熱的で冷静、慎重で軽率、意地悪で高貴な王子。この作家の気まぐれには、まったくまいる。だから愉快!
シェイクスピアほどの有名な作品ともなると、その解釈では学術的なものが優勢となりがちだが、深読みしてもきりがない。いまや、ハムレットは本当にオフィーリアを愛していたのか... なんてどうでもええ。レイアーティーズは本当にハムレットを憎んでいたのか... そんなこともどうでもええ。そもそも、父と名乗った亡霊が告げた言葉は真実だったのか?ハーデースが人間どもの二重人格性をからかっていただけ... ということはないのか。
そして、最も気に入っている幕が、二人の道化が登場する場面。二人は墓を掘りながら鼻歌まじりに、こんなことをつぶやく... 身分が低けりゃ、キリスト教の葬儀もやってもらえねぇ... 石屋や大工よりも頑丈なものをこしらえる商売は、首吊台をつくるヤツよ... 首吊台は教会よりもしっかりしてらぁ... と。
死人が何を語ろうが知ったこっちゃないが、死人に舌を与えると、ますます愉快!その分、生きている輩には沈黙を与えよう。所詮、人間なんてものは、墓穴を掘りながら生きている存在なのやもしれん。所詮、人間なんてものは、道化を演じながら生きている存在なのやもしれん。そうした人間の本性を、シェイクスピアという作家が最も自然に滑稽に描いて魅せた。ただそれだけのことやもしれん...
「人間は自分を肥らせるために、ほかの動物どもを肥らせて、それで肥った我が身を蛆虫どもに提供するというわけだ。肥った王様も痩せた乞食も、それぞれ、おなじ献立の二つの料理... それで万事おしまいだ。王様を食った蛆虫を餌にして魚を釣って、その餌を食った魚をたべてと、そういう男もいるわけだ。」

シェイクスピア戯曲の魅力は、作品が自由でいるということであろう。自由でいるということは、解釈の余地が広いということ。そして、ハムレットの支離滅裂感こそ、人間味というものであろう。翻訳者の言葉にも、グッとくる...
「どの作品の場合でもそうであろうが、翻訳には創作の喜びがある。自分が書きたくても書けぬような作品を、翻訳という仕事を通じて書くということである。それは外国語を自国語に直すということであると同時に、他人の言葉を自分の言葉に直すということでもある。そういう創作の喜びは、また鑑賞の喜びでもある。」
いま、「翻訳」という言葉を「読書」に置き換え、甘いピート香の利いたグレンリベットをやりながら鑑賞の喜びを味わっている...

1. ハムレットの名と狂気のイメージ
ハムレット物語の源流を求めると、シェイクスピアと同時代を生きた書き手にトマス・キッドという人がおったそうな。この人物は、すでに復讐劇の元締的存在だったらしく、「スペイン悲劇」という物語を書いているという。さらに遡ると、12世紀末、デンマーク人サクソーが、「デンマーク国民史」という本を書いており、その第三巻に「アムレス」という人物が登場するという。アムレスもまた狂気を装い、悪罵の限りを尽くし母親を罵る場面があるとか。尻軽の淫売め!と。"Get thee to a nunnery!" の原型であろうか...
シェイクスピアとの関係を別にすれば、「ハムレット」という名の源流は、民間伝承や民俗詩にも見つけられるそうな。アイルランド系では「アムロオジ」という名が現れ、13世紀の散文物語「エダ」の中の詩にも出てくるという。それは「アンレ」と「オジ」の合成語で、前者はスカンジナビア地方の一般男性名、後者は戦闘的、狂的という意味だとか。
どうやら、「ハムレット」という名は、狂気を掻き立てるものがあるらしい。人間ってやつは、狂気に身を委ねなければ、行動することも難しい。シェイクスピアは、そんなことを主人公の名を通して暗示したのであろうか...

2, To be or not to be, that is the question...
ハムレット物語に触れたからには、この名セリフを避けるわけにはいくまい。やはり名言には、自由でいて欲しい。解釈の余地を残しておいて欲しい。だからこそ寓意となる。本書の翻訳は、こんな感じ...
「生か、死か、それが疑問だ、どちらが男らしい生き方か、じっと身を伏せ、不法な運命の矢弾を堪え忍ぶのと、それとも剣をとって、押し寄せる苦難に立ち向い、とどめを刺すまであとには引かぬのと、一体どちらが...」
ハムレットは、どうやって死を覚悟したのか。死は眠りに過ぎない。眠りに落ちれば一切が消えてなくなる。無に帰するだけのこと。いっそう死んでしまった方が楽になれるやも。いや、眠っても夢を見る。これがまた妙にリアリティときた。現世を生きる者は、死後の世界を知らない。死後の世界でも夢を見るのだろうか。なぁーに、心配はいらない。どうせ嫌な夢、見たくもない!惨めな人生ほど、なさけない夢がつきまとう。ならば、皇帝ネロにでも魂を売るさ。
そして、おいらの天の邪鬼な性分は、こんなセリフの方に目を向けさせるのであった...
「個人のばあいにもよくあること、もって生れた弱点というやつが、もっともこれは当人の罪ではない、誰も自分の意思で生れてきたわけではないからな、ただ、性分で、それがどうしても制しきれず、理性の垣根を越えてのさぼりだす。いや、その反対に、ちょっとした魅力も度をすごすと、事なかれ主義の世間のしきたりにはねかえされる。自然の戯れにもせよ、運のせいにもせよ、つまり、それが弱点をもって生れた人間の宿命なのだが、そうなると、たとえほかにどれほど貴い美徳があろうと、それがどれほどひとに喜びを与えようと、ついにはすべて無に帰してしまうのだ。」

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