2020-08-23

"マクベス" William Shakespeare 著

シェイクスピア戯曲の四代悲劇に数えられる「マクベス」。こいつを知ったのは、黒澤映画「蜘蛛巣城」に出会ったおかげ。設定を日本の戦国時代に替えてはいるものの、まさに生き写しのような作品だ。黒澤映画の中で最も印象深く、終始怪しげな「蜘蛛手の森」の影が、本物語のキーワードの一つ「バーナムの森」と重なる。ただ、もう一つのキーワードの方は、この設定に投影するには、ちと難しいか...
尚、福田恆存訳版(新潮文庫)を手に取る。

さて、マクベス物語には、キーとなるお呪いが二つある。実は、三つあるのだけど、それは後ほど...
一つは、「バーナムの森が攻めてこない限り、お前は滅びはしない。」
二つは、「女の生み落とした人間の中に、お前に歯向かう者はいない。」
いずれも魔女の予言である。普通なら、森の木々が一斉蜂起するなんて考えられないし、また、人間は生物学的に女が産むものと決まっている。実に当たり前なことを、この世のものとは思えない存在が静かに語ると、不思議な力を持つ。有識者どもがまともなことを声高に叫んだところで、言葉を安っぽくさせるのがオチよ。
シェイクスピアの魅力は、なんといっても道化役の用い方であろう。怪しげな存在が語るからこそ、人は惑わされる。邪悪な人間性を見事に演じる道化に、まんまと乗せられた人間どもが、自らの意思で滑稽を演じてしまうという寸法よ...

マクベス物語は、ハムレット物語と対象的に論じられるのをよく見かける。しかし、天の邪鬼なおいらの眼には進化版に映る...
ハムレット物語は、城に出現した父王の亡霊が謀略によって殺害されたことを息子に告げることに始まる。主人公は亡霊の言葉を一人で背負い込み、生か、死か、と苦悩し続け、周囲の人までも死に至らしめ、しまいには復讐を遂げた主人公自身を死に至らしめる。親友に未練がましい言葉を遺して... 見事な独りよがりぶり。
となると、道化役は、亡霊か、主人公か...
物の怪の登場の仕方では、マクベス物語が上手。いきなり三人の魔女がハモってやがる... きれいは穢い、穢いはきれい... と。主人公は、魔女の語る二つのお呪いを後ろ盾に、絶対的勝者となる宿命を信じ、王座を奪った残虐行為を正当化する。
ここで、凄いのは魔女ではない。むろん主人公でもない。夫人だ。幻想世界の魔女を現実世界に引っ張り出し、夫をけしかける。この際、神のお告げか、悪魔のお告げか、そんなことはどうでもいい。狼狽える夫は、わざわざ森へ出かけて魔女の言葉を確認しに行くが、それを横目に夫人は沈着冷静な策謀家ときた。国王は誰が殺したかって?そんなことは、居ない者のせいにすればいいのよ... 夫人の台詞を聞いていると、どっちが主犯なんだか分かりゃしない。
「あいつらの短剣は、あそこに出しておいた、見つからぬはずがない。あのときの寝顔が死んだ父に似てさえいなかったら、自分でやってしまったのだけれど...」
内助の功というが、女は恐ろしい。実に恐ろしい。骨までしゃぶる。男性社会などと、あぐらをかいている場合ではない。
となると、主人公を操ったのは、魔女か、夫人か...

確かに心理面において、ハムレット物語とマクベス物語は対照的に見える。
ハムレットは、父の仇を討つという使命感に掻き立てられるが、マクベスには、魔女の言葉に従うか、どうかの自由がある。義務を負うかどうかの違いは、大きいかもしれない。しかし、義務とはなんであろう。運命めいたものに翻弄される自己催眠の類いか...
単に権力を欲しただけという意味では、マクベスの方が純真である。いや、幼稚か。君主を殺害した後ろめたさのようなものに苛み、自己の殻に閉じこもっていく。マクベスの抱える精神的問題は、まさに現代病だ。だからといって、現代人が進化しているかは知らん...
物語の性格においても、大義名分上の王権奪回と、欲望に憑かれた王権略奪の違いは大きい。それは、憎悪と嫉妬という対照的な情念に看取られている。ハムレットは憎しみに怒り、マクベスは妬みに怯える。
ハムレットの場合は、憎しみのあまり自己矛盾に陥り、周囲の人までも巻き沿いにした挙げ句に自己完結しておしまい。
マクベスの場合は、妬みのあまり周りが敵に見え、ことごとく手にかけた挙げ句に恨みを買った男に敗れておしまい。
ここで注目したいのが、三つ目のお呪いである。
「子孫が王になる、自分がならんでもな。」
これは、ライバル将軍バンクォーに告げた魔女の予言で、マクベスと一緒に聞いている。バンクォーは生まれつき気品を備え、分別があり、人望も厚い。マクベスは、このライバルの気質が恐ろしく、夜も眠れない。そこで、親子ともども暗殺を謀るが、息子は取り逃がしてしまう。奸計が行われている間、酒宴が催され、バンクォーの座には突然亡霊が現れる。部下に命じた殺害が遂げられた瞬間に。そして、亡霊に向かって叫ぶのである。お前の息子のために、俺の手を汚し、慈悲深い王ダンカンを殺させたというのか...
ハムレットは、徹底的に自己矛盾に苛むものの、自己を見失うまでには至っていないが、マクベスは、それを自己破滅型人間に進化させたかに見える。ラ・ロシュフーコーは... 嫉妬は憎悪よりも、和解がより困難である... と言ったが、まったくである。

ところで、シェイクスピアは、トンチ屋か...
物語を最高に盛り上げる場面は、二つのお呪いをものの見事に覆すところである。
「バーナムの森...」に対しては、敵兵たちが枝木を一本ずつ身にまとって行進すれば、あたかも森が攻めてきたように見える。
「女の生み落とした...」に対しては、月たらずで母胎からひきずり出された男マクダフによって野望が砕かれる。つまり、帝王切開で生まれ出た男に。
尚、マクダフは、王ダンカンの長男の亡命先に走ったために、マクベスに妻子を殺されたのだった。
血は血を呼ぶというが、まさにそんな物語である...

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