シェイクスピアを初めて体験したのは、おいらが美少年と呼ばれていた学生時代。貧乏大学生の演劇に嵌っていた記憶がかすかに蘇る。いずれまた挑戦してみたい!
そう考え、考え... もう何十年が過ぎたであろう。いかんせん劇場で観たものを、小説で読むには勇気がいる。もう分かり切ったシナリオじゃないかぁ... と、頭のどこかで邪魔をしやがる。
しかしながら、十年も経てば人は変わる。もうまったくの別人だ。別人ならば、新たな境地を発掘できるやもしれん。歳をとることは、なにも寂しいことばかりではあるまい...
そんなことをぼんやりと考えながら本屋で立ち読みしていると、シェイクスピア戯曲の目録のような書に出逢った。ここでは、ユング派の心理学者とシェイクスピア専門の翻訳家が繰り広げる座談会を、演劇のように鑑賞させてくれる...
さて、「快読シェイクスピア」という題目には、原版から増補版を経て、決定版へと至る流れがあるらしい。もとは「ロミオとジュリエット」、「間違いの喜劇」、「夏の夜の夢」、「十二夜」、「ハムレット」、「リチャード三世」の六作品に始まり、増補版で「リア王」、「マクベス」、「ウィンザーの陽気な女房たち」、「お気に召すまま」の四作品が加わり、さらに決定版で「タイタス・アンドロニカス」が収録される。
となると、さらにさらに期待したいところだけど、河合隼雄氏は他界されているし、松岡和子氏もご高齢とお見受けする。この酔いどれ読者ときたら、誠に身勝手なものでますます貪欲に... この系譜を受け継ぐ座談会の出現を期待したい。いや、他人に期待する前に、再読が先決だ。そうすれば、あの有名な台詞の群れも違った光景を魅せてくれるやもしれん...
ハムレットは気高く生きようと自らに問うた。このままでいいのか、いけないのか... と。
"To be or not to be, that is the question."
ヘンリー四世には、老人の愚痴まで聞かされる。やれやれ、われわれ老人というのは、どうしてこう嘘をつくという悪癖から脱けられないんだ... と。
"Lord, Lord, how subject we old men are to this vice of lying!"
リア王ともなると、道化を伴わないと老いることも難しい。そして、道化に粋な台詞を吐かせた。おっと、この台詞は黒澤映画の方であろうか。そこは、シェイクスピアっぽいということで。狂ったこの世で狂うなら気は確かだ... と。
"In a mad world, only the mad are sane!"
1. 生き方なんてものは十人十色!
シェイクスピアの世界には、たった十数年で駆け抜ける人生もあれば、八十年かけてじっくりと熟成させる人生もある。十代を全力疾走したロミオとジュリエット... 濃密な三十年を生きたハムレット... このような生き様を魅せつけられると、自分の人生がなんとも虚しく感じられる。そうかと思えば、八十近く惰性的に王として生き、最後の一年で我が生涯に目覚めたリア王... このような生き様には、人生まだまだと未練がましくもなる。なぁーに、未練は男の甲斐性よ...
ランカスターとヨークの両家が王位継承で争った薔薇戦争の時代を生きたリチャード三世に至っては、王位に就いたのはたった三年。その短い期間に、悪党宣言たる独白に始まり、見事なほど完璧な悪役を演じきる。邪魔なヤツはどんどん殺し、欲しい物はなんでも手に入れる... まるで人間の本性を剥き出しにしたような人生。アドラー心理学そのままに... ここまで徹底できる人間は、そうはいない。
孔子の言葉に... 十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順がふ、七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず... というのあるが、もはや何年で人生を完結させるかなんてどうでもいい。最後の三日で人生を充実させ、覚醒させる人もいるだろうし...
2. 恐ろしい思秋期!
思春期を象徴するロミオとジュリエット物語は、汚れちまった大人どもにはあまりに酷!ロマンスには嘘がつきもの。秘密がなければ、ときめきもしない。しかも、純真だから死物狂い。ネガティブな欲望を人のせいにしながら生きてゆければ楽になれるのに、自己批判の方がまだしも行儀がいい。思春期とは、自分を殺すか、生かすかを問う時代だ。
とはいえ、下半身抜きでは恋愛物語も色褪せる。たいていの人はそこで死ねないから、もう少し長く脂ぎった人生を送ることができる。大人の知恵はたいていどこぞの本に書かれているが、子供の知恵は計り知れず。大人の誰もが、そんな時期を経験してきたはずなのに、汚れちまったらすべての記憶はチャラ。愛という言葉を安っぽくさせるのも、惰性的に生きてきた成果だ。結婚を背負わなければ、純真な恋愛物語が完結できるというのに、結婚できる年齢となった途端に愛人呼ばわれ、世間から悪役キャラを背負わされる。そりゃ、おいらだって大人になることに幻滅するよ...
「見ろ、これがお前たちの憎悪に下された天罰だ。天は、お前たちの歓びを愛によって殺すという手立てを取った。」
"See what a scourge is laid upon your hate, That heaven finds means to kill your joys with love;"
3. 爽快な認識の喜劇!
「間違いの喜劇」には、二組の双子が登場する。離れ離れになった双子の兄弟と、その兄弟に仕える双子の召使いが巻き起こす騒動は、圧巻!
ちなみに、ドルーピー物語にも「双児騒動」ってやつがあって、なんとなく重なる。
双子に似たような名前をつけるケースは世界各地で見られ、名前を並べただけでひょっとしたら双子かと思わせるケースがある。逆に、あまりにも見かけが似ているから、区別できるようにと全然違う名前をつけるケースも。
名前ってやつは、人格にも大きな影響を及ぼす。あまりにも立派な名前を与えると、名前負けすることも。ちなみに、おいらの場合、珍しい名前のおかげで、すっかり天の邪鬼になっちまった。
それはさておき、物語の方はというと... わざわざまったく同じ名前にすることはねぇだろう。シェイクスピアのファルス論には、まったくまいっちまう...
「『間違いの喜劇』は、認識の喜劇でもある。兄を探しにきたはずが一時自分を見失うことになったシラクサの主従だが、ここに至って兄を見出すと同時に再び自分をも見出す。混乱と抱腹絶倒のあとだけに、感動の深さと至福感はひとしおだ。」
4. ご都合主義大王!?
松岡氏は、シェイクスピアを「ご都合主義大王」と呼ぶ。滑稽を演じれば、自然の流れに反するところも出てくるし、それが逆に自然だったりする。
また、独善的であるからこそ、芸術は芸術たりうる。そうでなければ個性も発揮できないし、面白味も欠ける。
人間ってやつは、本性的に自然に反する存在なのだろう。しかも、それを自覚しているから、「自然」の対義語に「人工」という語を編み出した。恋愛が自然な状態かどうかは知らん。ただ、恋に理屈をつけると、理に落ちて、それだけのことになってしまう。人生自体が理に落ちることはない。現代人は、なんでもかんでも理屈で説明しようとしすぎる感がある。河合氏はこう指摘する。
「ご都合主義といって非難するのはむしろ、近代人の病ですね。」
5. 王子と太陽...
同音の son と sun は、シェイクスピア劇ではしばしば意味を重ねるという。例えば、こんな感じ...
"Now is the winter of our discontent. Made glorious summer by this son of York."
この台詞は、「リチャード三世」で登場する独白。王の息子は、太陽王たる王子というわけか。人は歳を重ねていくと、駄洒落好きになっていくのかは知らんが、おいらも駄洒落や語呂あわせが大好きときた。
son に sun すなわち光を当てれば、そこに影ができるのは自然法則。古代ギリシアの自然哲学者たちは、日時計の原理となる影ができる図形に憑かれた。ユークリッド原論にも登場するあれ、そう、グノーモーンってやつだ。こいつには直角三角形の偉大さが暗示されている。人類初の距離の測定方法となる三角法やピュタゴラスの定理などが、それだ。影の幾何学とでもしておこうか。
古代の記録には、日食を不吉とする記述を見かける。皆既日食ともなると、まるで天変地異。突然、戦闘中に大きな影が現れると、大軍も逃げ出してしまい、たちまち形勢逆転。現代人はドラマチックな天体ショーとして見物しているけど、それでも人間は影に怯えて生きているところがある。
自ら影法師を演じているうちに、自分の影を背負うようになろうとは。リチャード三世にしても、リア王にしても、自分自身を生きたのか、影法師を生きたのか。人生なんてものは、自我の本性を探りながら、自我の影法師を演じて生きてるようなものやもしれん...
「リチャードは、善悪でいえば悪の側に立って、人間を見下して笑う立場だったのに、王位についたとたんに今度は笑われるキャラクターに転換させられているんです、シェイクスピアに。...(略)... 恐怖と畏怖の的であった人間を、あえて笑いの対象にしてしまう。一気に落ちていく斜度を実にうまく表現している...」
6. brother and sister...
英文を翻訳する時、brother や sister という単語に出くわすと、兄か弟か、姉か妹か、いつも悩ましい。翻訳の達人でも、これらの用語を邦訳するのは難しいらしい。はっきり区別したければ、older brother や younger sister とやればいいのだろうけど、西洋人はそうした必要性を感じないようだ。日本語では、兄が弟かを特定しなければ、おかしな文章になる。ましてや演劇の台詞で、兄さん!と呼びかけるところを、兄弟!では不自然だ。日本人は、たいてい曖昧な表現を好むけど、上下関係となると目くじらを立てるようである。肩書、名声、序列、年齢といったものに。この方面では、西洋の方が平等主義の意識が強いのかもしれない。その分、男性名詞と女性名詞で区別するようだけど。文法における性の扱いでは、男性、女性、中性で区別する言語系は多い。だからといって、それがそのまま差別意識になるとも思えんが...
7. 自立は裏切りによって成立するか?
リア王物語論を見ていると、裏切りによって自立できることを暗示しているのだろうか。たいていの場合、人は裏切られると相手を憎む。だから狂うと楽になれる。ならば裏切られたと思った時、それは相手を恨む前に人間関係を根本から見直すタイミングだとすればどうであろう。まさに自立のチャンス!シェイクスピアは、ネガティブ思考から解放される方法論までも提示しているような...
「裏切りによってしか自立できないというのは、人間の不幸なセオリーのようなもので、歴史上の人物でも、このときだけは裏切ってるって人がたくさんいますよ。」
2020-08-09
"決定版 快読シェイクスピア" 河合隼雄 & 松岡和子 著
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