2020-08-30

"オセロー" William Shakespeare 著

シェイクスピアの四大悲劇に数えられる二つ、ハムレットの復讐劇とマクベスの野望劇に酔いしれれば、残りの二つに向かう衝動も抑えられそうにない。目の前で狂ったリア王が道化と一緒に手招きしてやがるし、おいらは暗示にかかりやすい...
ただ、このオセロー物語だけは、筋書きを知らない。それに、ちと異質な感もある。他の三つの物語は、国家を揺るがす大事。比してこの物語は、一人の将軍の家庭内のいざこざ。スケールが違う。それでも酔いしれてしまうのだから、ここでも人間の本性を暴いてくれるからであろう。ヘタな心理学の教科書より、ずっとイケてる...
尚、福田恆存訳版(新潮文庫)を手に取る。

ざっと、あらすじを書いてしまうと、単なる嫉妬劇で片付けてしまいそうになる。
例えば、こんな感じ...
ヴェニス公は、トルコ艦隊の動きを牽制するために、サイプラス島にムーア人の勇敢な将軍オセローを赴任させる。その際、恋に落ちたデズデモーナを父の反対を押し切って連れて行き、妻とする。オセローから副官に任命されなかったことを根に持つ旗手イアーゴーは、策謀をめぐらせ、副官キャシオーを失職させた上にデズデモーナとキャシオーの不義をでっちあげる。イアーゴーを信頼しきっているオセローは、武将らしく誠実で高潔であるがゆえに二人が許せず、キャシオーをイアーゴーに殺すよう命じ、妻は自らの手で扼殺してしまう。だが、イアーゴーの妻エミリアの告白で、すべてがイアーゴーの奸計であったことを知り、オセローは絶望する。そして、ハムレットと同じ運命をたどったとさ...

こんな嫉妬劇でも、心理描写や凝った手口は、推理小説ばり。これぞシェイクスピアの真骨頂と言うべきか。動機が単純な分、設定が複雑になるのかは知らんが、前戯派にはたまらん...
「ああ、人間というやつは!わざわざ自分の敵を口の中へ流しこんでまで、おのれの性根を狂わせようとする...」

1. ムーア人という設定
まず、主人公をムーア人としていることが、背景を複雑にさせる。ムーアというのは、七世紀、北アフリカのモリタニア地方を征服したアラブ人が、イスラム教に改宗させた原住民のことをヨーロッパで呼称されたそうな。八世紀には、その混血人種がジブラルタル海峡を渡ってイベリア半島へ侵入。その侵略者をスペインやポルトガルでムーア人と呼ぶようになり、後に、北アフリカのイスラム教徒全般をムーア人と呼ぶようになったとか。
そういえば、西洋文学にムーア人が登場するのを見かける。ロビンソン物語にも。美術作品にも、ムーア人を題材とする絵画を見かける。ルーベンス工房にも。
オセローはムーアの黒人。だが、そのイメージとなると、黒人奴隷とは結びつかない。なによりもヴェニス公が、この人物に敬意を払っており、よほどの武将であったと見える。三国志で言えば、関羽のような...
とはいえ、人種的な問題を抱えていないわけではない。人間ってやつは、差別好きな動物である。考え方が違い、感覚が違い、住む世界が違うとなれば、それだけで排斥的になったり、攻撃的になったりする。しかも、短所を並び立てては誇張し、イメージを植え付けたりする。これは、いわば人間の性癖である。ましてやイアーゴーは、憎悪に燃えている。同輩が副官になったことの嫉妬も露わにし...
「おれはムーアが憎い。... ムーアは万事おおまかで、こまかいことに気を使わない、他人を見る目も、うわべさえ誠実そうにしていれば、それだけのものと思い込んでいる。... 全く驢馬よろしくだ。」
オセローにしても、人種的劣等感をまったく見せないわけではない。
「おそらく黒人だからであろう、優男のみやびな物腰をもたぬからであろう、あるいは歳も峠を越したため... というほどでもないが、そんなことから、あれの心はおれを去ってしまった...」
絶望すれば、愚痴もこぼれる。オセロー物語は、人種意識よりも、人間が根本的に抱える差別意識を浮き彫りにしている。
ちなみに、オセロゲームの名前の由来にもなっているらしい。緑の平原が広がるイギリスを舞台に、黒人将軍と白人妻をモチーフにしているとか。
しかし、寝返ったり、挟まれたりする場面はあまり見当たらない。イアーゴーがオセローを騙すのは最初から意図があってのことで、信じるかどうは勝手次第。あとは、オセローが妻に裏切られたと思い込むことぐらいであろうか。エミリアの告白も夫を裏切ったわけではなく、正直なだけのこと。
全般的に一人相撲感が強く、オセロゲームとのつながりが、いまいちピンとこない...

2. 嫉妬の布石
最初の布石は、デズデモーナの父ブラバンショーが吐き捨てる。
「その女に気をつけるがよいぞ、ムーア殿、目があるならばな。父親をたばかりおおせた女だ、やがて亭主もな。」
イアーゴーとキャシオーの会話によると、デズデモーナはよっぽどの女らしい。
「あれこそ好き者のジュピター神が決して見のがしっこない女人だぜ... あの目がすごい!艶にして挑むがごとしだ。人を誘い込むような目をしている。しかも、貞潔ですがすがしい。それに、あの声、聞く者を思わず恋に駆り立てる鐘の音とでも言いたくなるではないか...」
イアーゴーは、男心を焚き付けておいて、酒で失態を演じさせる。これで、キャシオーは副官を失職することに。キャシオーは復職をオセローに嘆願するために、デズデモーナにとりなしてもらう。そのセッティングにも、イアーゴーが一枚噛む。そして、キャシオーとデズデモーナの仲が怪しいと、オセローに吹き込むのである。
ところで、オセローは、正義と名誉のために不義を許せず、デズデモーナの首を締めたということになっている。涙を流しながら...
しかし、それほどいい女なら、嫉妬しないわけがない。恋とは、所有欲であり、独占欲である。恋は不安を掻き立てる。人は誰しも、異性のしぐさに惹かれることがある。それが恋人以外であっても。それを感じなくなったら色気も失せる。夫婦で恋愛を続けたければ、そんな刺激も必要であろう。さすが、シェイクスピア!妻が裏切ったと信じ込ませるだけの布石を随所に打っている。
そして決定的な布石が、おまじないのかかったハンカチーフ...

3. 証拠物件ハンカチーフ
オセローがデズデモーナに初めてプレゼントしたハンカチーフには、魔法がかかっているという。その所以を、夫婦愛を育む場面で言って聞かせる。それは、オセローの母親がエジプトの魔法使いから貰ったものだとか。魔法使いの予言によると...
「これが手にあるうちは、人にもかわいがられ、夫の愛をおのれひとりに縛りつけておくことが出来よう、が、一度それを失うか、あるいは人に与えでもしようものなら、夫の目には嫌気の影がさし、その心は次々にあだな想いを漁り求めることになろう...」
おまけに、デズデモーナとイアーゴーの妻エミリアが道化を交えて、夫について愚痴をこぼす場面がある。井戸端会議で見かける、うちに旦那は... てな具合に。妻同士、お仲がよろしいようで...
「妻が堕落するのは夫のせい... 自分では仕事の怠け放題... 私たちの財産を、どこかよその女猫に注ぎこんだり、急に訳のわからない嫉きもちを嫉きだして、私たちを閉じ込めて人前に出すまいとする。... 女がいくらおとなしいからといって、時には仕返しもしてやりたくなる... 世間の亭主たちに教えてやるとよろしいのです、女房だって感じ方は同じだということを...」
最初のプレゼントの話題になれば、まるでのろけ話、エミリアも夫にあてつけて愚痴ったことだろう。私もこんなの欲しいわ... てな具合に。イアーゴーはハンカチーフのいきさつを知っていたようである。
そして、そのハンカチーフをちょっいと借りてこい、とエミリアをしつこくけしかける。イアーゴーは、オセローにキャシオーとデズデモーナの仲が怪しいことを告げていたが、オセローは真に受けない。
「見そこなうな、イアーゴー、おれはまずこの目で見る。見てから疑う、疑った以上、証拠を掴む、あとは証拠次第だ、いずれにせよ、道は一つ、ただちに愛を捨てるか、嫉妬を捨てるか!」
そんなとき偶然!エミリアは、デズデモーナが落としたハンカチーフを拾い、夫に見せてしまう。これで、証拠物件が成立!イアーゴーは、こっそりハンカチーフをキャシオーの部屋に置いたのだった。
あとは証拠次第だ!ただちに愛を捨てるか... なんて格好良くきめちゃったから後に引けない。男ってやつは、実にくだらないプライドにこだわり、実につまらない意地を張るものである。オセローは、妻を愛の生贄に捧げるのだった。
エミリアはオセローを責め立てる。あなたこそ悪魔!奥様は天使になられた。人殺し!間抜け!頓馬!でく同然の分からず屋... と。エミリアは、告白したその場でイアーゴーに刺し殺される。
すると、オセローはイアーゴーを憎み、二人の対決ということになりそうだが、そんな雰囲気はない。人間ってやつは、絶望的な人間不信に襲われると、相手を責めるより自暴自棄の方が優勢になるらしい。そして、自らも愛の生贄に...

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