2021-12-12

"イシ 北米最後の野生インディアン" Theodora Kroeber 著

自由に生きるとは、どういうことであろう。自然と戯れながら生きることができれば... 孤独とは、どういう状態を言うのであろう。集団の中にこそ、それがある...


「イシの足は、幅広で頑丈、足の指は真直ぐできれいで、縦および横のそり具合は完璧.... 注意深い歩き方は優美で、一歩一歩は慎重に踏み出され、まるで地面の上をすべるように足が動く... この足取りは侵略者が長靴をはいた足で、どしんどしんと大またに歩くのとは違って、地球という共同体の一員として、他の人間や他の生物と心を通わせながら軽やかに進む歩き方... イシが今世紀の孤島の岸辺にたった一つ遺した足跡は、もしそれに注目しようとしさえすれば、おごり高ぶって、勝手に作り出した孤独に悩む今日の人間に、自分はひとりぼっちではないのだと教えてくれることだろう。」
... シオドーラ・クローバーの娘アーシュラ・クローバー・ル=グウィン


物語は、未開の地に隠れ住む一人のインディアンが、突然、文明の地に姿を現したことに始まる。その名は、イシ。白人の集団的残虐行為によって、皆殺しにされた部族の最後の生き残り。1911年、彼は飢えに耐えられず、畜殺場のほとりで犬に追い詰められ逮捕された。部族の運命と同じく、死を覚悟して...
ところが、運命とは皮肉なもので、白人の世界に迷い出たことで厚遇と友情に囲まれ、カリフォルニア博物館に迎えられる。天然記念物のようにマスコミに晒し者とされ、原住民の研究材料とされるは必定。それでも、イシは快活な忍耐心で凛々しく生きたという...
尚、行方昭夫訳版(岩波書店、同時代ライブラリー)を手に取る。


「イシと彼の部族の歴史は否定しようもなくわれわれ自身の歴史の一部となっている。われわれは彼らの土地を吸収して自分たちの所有地にしてしまった。それに応じて、彼らの悲劇をわれわれの伝統と道徳の中にとりいれ、それについての責任ある管理人とならねばならない。」
... シオドーラ・クローバー


1916年、イシは亡くなった。それ以来、彼の物語は人々の記憶から薄らいでいく。ようやく一般人にも書き残しておこうという考えが関係者の頭に浮かんだのは、1950年代になってからのこと。
文化人類学者アルフレッド・L・クローバーは、イシと最も親しくしていた人物の一人だが執筆を望まなかったという。それは、暗い歴史を物語ることになるからであろうか。あるいは、イシという人物を晒し者にしたくなかったからであろうか。アルフレッドの仕事は、カリフォルニア原住民の言語や暮らしなどの情報を収集すること。そのために、大量殺戮の目撃者となった。イシの遺体を解剖するという話があった時、こう言い放ったという。
「科学研究のためとかいう話が出たら、科学なんか犬にでも食われろ!と私の代わりに言ってやりなさい。」
そして、イシの物語を書くことになったのは、少し距離を置く妻シオドーラ・クローバーである。本書は、第一部「ヤヒ族イシ」と第二部「ミスター・イシ」で構成され、前半でインディアン種族として生きた運命、後半で文明社会を生きたイシの生き様を物語ってくれる...
「おそらく人間の歴史の感覚というものは、思春期から大人になりかけたときと、老境に達して、人生の永遠の真実を再評価し、熟考し、すすんでそれとかかわりを持つ余裕の生じたときとに、さしせまった鋭いものになるのであろう。」


1. インディアン種族の呪われた運命
それは、1844年に始まったという。メキシコ政府は土地所有認可を濫発し、それを合衆国政府が承認した。インディアン種族の土地は、法の下で、権利を主張する自由主義によって略奪されたのである。
原住民の死因の多くは強制移住によるものだという。抵抗する者は集団虐殺。文明から様々な感染病も撒き散らされた。麻疹、水痘、天然痘、結核、マラリア、腸チフス、赤痢など。売春も知らず、性病とも無縁だった女性たちも...
西部開拓史や西部劇などでは、よくインディアンが野蛮で残虐者として描かれているが、馬や牛を盗んだり、時々殺人を犯すぐらいは、些細な仕返しにも映る。法律用語に「正当な征服」なんてものがあるのかは知らんが...
「孤絶した共同体という現象は人間の歴史上稀であるが繰り返し起こる現象である。社会的、相互交流的、拡散的である人間の性質の故に、こういう社会は呪われた運命にある...」


2. 文明人ミスター・イシ
イシが、文明社会を生きた期間は五年間。たったの五年間。結核というこれまた文明からの死の賜物によって。彼は忍耐強く、不平も言わず、看護師たちに気遣い、世話をかけまいと静かに死を受け入れたという。アルフレッドは、どれほどの悲しみ、どれほどの怒りや責任を感じたことだろう。
文明社会を襲う恐怖心よりも強い孤独感。それは、現代人が抱える病理。死を選ぶ者が、なんと多いことか。仲間意識などという美談は、見返りの舌を垂れてやがる。天然記念物的なイシを見世物にして金儲けを企む者はあとをたたず、映画出演の要請やマスコミの餌食に。イシの目には、文明人とやらが、つまらぬ連中に映ったことだろう。
現代社会を生きるための知識を知らぬということが、無知といえるだろうか。人類は、道具を発明することによって文明を育んできた。だが、その文明人が道具なしで生きる術を忘れちまった。最先端商品に目を奪われ、虜になり、そして依存する。誰にでも使える道具を手にし、思考する面倒から解放され、それが自由の正体か。生物が最も依存しているはずの自然を知らずに生きているのが、人間ってやつか...
「彼の魂は子供のそれであり、彼の精神は哲学者のそれであった。」

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