2022-01-09

仕事場に理想郷を求めて自己陶酔... 酔わなきゃ、やっとられん!

仕事や学習のスタイルは、十人十色。視覚や聴覚を刺激するタイプに、嗅覚や味覚を刺激するタイプに、運動と連動させるタイプに、読み書きを重視するタイプに... と。思考空間とは、五感を総動員する場!とでもしておこうか...


おいらの場合、聴覚と嗅覚に運動を連動させる。思考を促そうとする場に、BGM は欠かせない。そして、お香を焚き、外の景色を眺めながらベランダを歩き回る。なので、仕事場である自宅は、2階のベランダを広めに設計してある。ベランダには何も置かず、殺風景なままがいい。その解放感が、思考を解放する。
ちなみに、1階は完全介護ルーム化で合理化を図る。
解放感といえば、フル思考を促すためにフルチンでいたいが、同居人がいるとそうもいかない。オンライン会議が割り込めば、やはりそうもいかない。思考がドン詰まれば、公園までお散歩(逍遥)。リュケイオンの歩廊とまではいかないものの、気分に浸ろうと...


とはいえ、完全に集中し、一旦、思考空間の中に入っちまえば、外部環境はほとんど気にならない。仕事場の整備は、あくまでもフロー状態へ導く工夫の一つ。
オフィスチェアにも気を使う。長時間キーボードを叩く場面では、姿勢だけでなく、腕や指のポジショニングも重要。なので、オフィスチェアにバケットシートは理に適っていると思う。思考の合理性は、精神空間を適切な環境に同化させることによって促すことができよう。
但し、この場に、動画は禁物!... と考えてきたが、なんとなく物足りなさを感じる今日このごろ。YouTube から、4K/8K の風景動画を垂れ流しつつ、Wuauquikuna の素朴な調べに、なにやら忘れかけているものを思い出させてくれるような、そんな感覚に見舞われる。
さらに、The Piano Guys の解放的な演出に癒やされ、Peter Bence vs. Peter Buka の魅惑的な着想に翻弄され、Simply Three にシンプルに生きようと意欲を掻き立てられ、裸足で熱唱するパワフルな Adele に生きる力を注入され... 思考のリズムを触発するはずの空間が、仕事場の概念すらぶっ飛んじまう有り様。


無論、理想的な仕事場を得たからといって、能力が上がるはずもなく、むしろ劣悪な環境でひらめくことも多々ある。介護モードともなれば、炊事や掃除が良い気分転換になり、買い物が良い運動になり、思考のリズムを作る。料理は結構好きだったりして、お料理教室に通いたいぐらい。ただ、お風呂の掃除だけは、どうもリズムが合わん。
そして、つくづく思う。介護とは、ひとことで言えば、ウンコ掃除!人間ってやつは、摂取して排泄するだけの存在か... と。それ以外は、可もなく不可もなく、何かに集中している時がもっとも幸せ... と。
考えてみれば、宇宙空間に存在するすべての物体は熱機関として機能している。少なくとも分子構造を持つ物体は、何らかのエネルギーを吸収し、交換エネルギーを放出しながら存在している。人間とて例外ではなく、喰ったら出すだけのこと。仕事をやるにしても、何らかのエネルギーを放出しており、これを生き甲斐にできれば幸せになれそうだ。幸せになる必要があるかどうかは知らんが...


仕事場に理想郷を求めるのは、所詮、自己満足の世界。いや、自己陶酔の。集中した状態とは、自己の中に入り込んだ状態で、すこぶる心地よい。それは、泥酔状態と何が違うのだろう。夜の社交場までも仕事場と化し、君に酔ってんだよ!なんてセリフも飛び出す。仕事に酔おうが... 誰に酔おうが... 人生ってやつは、まったく酔わなきゃ、やっとられん!


「幸福になる必要なんかないと、自分を説き伏せることに成功したあの日から、幸福が僕の中に棲みはじめた。」
... アンドレ・ジッド

0 コメント:

コメントを投稿