2022-01-16

関係の関係に、その関係する関係の関係に狂う... 未練は男の甲斐性よ!

キェルケゴールは、「人間とは精神である。精神とは自己である...」と言い放った。では、自己とは何か?彼によると、自己とは自己自身にまつわるあらゆる関係を言うらしい。それは、自己自身を問うのではなく、自己と関係するものの中から自己を見い出すということ。自分探しの旅で、自己に直接問いかけても答えは見つからない。自己の関係に問い、その関係する関係に問い、さらに関係の関係に... 狂ったか、キェルケゴール!
尚、Kernel Panic! の元凶は、依存関係地獄にある...


考えてみれば、宇宙空間に存在するあらゆる物体は分子構造を持つ。それは、原子と原子の関係によって存在するってことだ。素粒子ってやつが、どこまで素なのかは知らんが、単体で静かに存在することが苦手と見える。人間の精神にしても、物理的には単なる自由電子の塊でしか説明がつかない。こんなちっぽけな塊に意志があるぐらいだから、巨大な宇宙という塊に意志があっても不思議はあるまい。それが、神の意志ってやつかは知らんが...


まさに、人間社会は関係によって成り立つ。関係とは、なにも人と人との関係だけではない。知識との関係、感覚との関係、意識との関係... そして、すべての関連性がデータベース化される時代。まったく面識のない、見知らぬ人から多くを学べる時代。むしろ、人間同士の関係は、ちょいとばかり距離を置く方がいい。そして、自己とも距離を置き、自己の重荷を軽くする。すでに、「自己責任」という言葉は、お前が悪い!という意味で使われているし...


インターネットやソーシャルメディアといったものが、情報を入手する手段を隅々に行き渡らせ、知識を得る機会を均等化させる。だが逆に、意欲のある人はますます意欲的になり、受け身の人はますます流されやすくなり、意識格差はますます拡大していく。それは、貧乏人はますます貧乏に、金持ちはより金持ちに... の原理に似ている。
関係を迫る社会が孤独感を異様に煽り、繋がりを煽る風潮が独りで居ることを必要以上に恐れさせる。なにごとも恐怖を植え付ければ、人間はそれに群がる。光に群がる虫どものように...
但し、孤独感ってやつは、集団の中にこそある...


仮想的に関係を結び付けられた空間には、無言の自己主張が渦巻き、無言の競争がひしめく。電話でひつこく勧誘し、誇大広告を巻き散らかす宣伝戦略は、いまや逆効果。おかげで、真摯な活動にも詐欺の目が向けられる。
自己肯定感がもてはやされる社会では他人否定が心の支えになり、関係の肥大化が孤独愛好家を増殖させる。騒々しい社会では、逆に、本当に人々を感動させ、本当に意味を考えさせるような、静かな存在が求められる。
それを牽引してくれるのが、音楽や映像の分野であろうか。つまりは、芸術性。偉大な芸術は、そこに存在するだけで鑑賞者に心地よい沈黙を与えてくれる。
その一方で、芸術家たるもの狂気しなければ、才能を発揮することができない。音楽家が狂えば、聴衆もつられて狂う。小説家が狂えば、読者も負けじと狂う。熱愛も、憎悪も、すべては関係から生じる狂気。人間ってやつは、人間との関係によって狂うものらしい...


そして、重要な関係の一つに、時間との関係がある。過去から現在へつながる時間軸に、自己の居場所を求める。精神病とは、心理学的には精神内時間の連続性が失われた状態を言うらしい。記憶の断絶は恐ろしい。それは、今まで生きてきた証を放棄するに等しい。過去に執着するのは、無駄な人生ではなかったと信じたいがため。関係とは未練か。夜の社交場ともなると、未練は男の甲斐性よ!などという口説き文句も飛び出す。
しかしながら、すべてを断ち切ることができれば、どんなに自由であろう。精神病とは、自由の究極な状態を言うのやもしれん...

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