2023-11-05

"ジャズ喫茶論 - 戦後の日本文化を歩く" Michael S. Molasky 著

前記事では、日本人よりも日本人っぽい居酒屋文化論にしてやられた。青い目のガイジンさんと呼ばれるのを嫌い、千鳥足放浪記を夢見て...
ここではジャズ喫茶論を熱く語ってくれる。ジャズ喫茶未経験者の門外漢が読む本ではないかもしれんが、こんな描写に、おいらはイチコロよ!

「ドアをあけてみると、さらなる異様な世界が展開される。思わず耳をふさぎたくなるほどの大音量で音楽が鳴っている。アメリカで聴きなれたジャズの生演奏や、自宅にある安っぽいオーディオやラジオで聴いてきた音量とは雲泥の差で、むしろそれは、ロック・コンサートを思わせる爆音である。店内の風景も実に異様に映る。霧がかかった夕暮れのごとく、目を凝らさないと何も判別できない。店内は暗く、しかも青い煙が重々しく漂っている。徐々に目が慣れてくると、椅子に座る人たちの姿が浮き上がる。その様は人間の死体かミイラのようで、首をたらし不動のまま点在している...」

ジャズ喫茶というのは、日本独特の文化だそうな。ジャズやカフェといった要素は輸入品でも、これらを融合したカルチャーとなると、日本のものということになるらしい。著者は、自らこう名乗る...

「私、生まれはアメリカ、東京は葛飾にひところ暮らし、現在このニッポン列島を放浪している者でございます。姓はモラスキー、名はマイク。人呼んで『フーテンのモラ』と発します!」

そもそも、「ジャズ喫茶」とはなんであろう。戦後を背景にした映画などで耳にしたことはある。1950年代頃に始まり、90年代にはほぼ廃れ、この異様な空間を体験することは、おいらの年代では難しい。ジャズバーなら見かけるが、ジャズ喫茶となるとなかなかイメージできない。本書は、「客にジャズ・レコードを聴かせることが主な目的である喫茶店」と定義している。そのまんまやんけ!
バーと喫茶店の違いを言えば、夜の店か、昼の店か、ぐらいなもの。夜と昼では大きな違いかもしれん。お酒が出てくれば、法的に年連制限も加わるし...
音源が、レコードか、CDか、でも論争があり、こだわりは半端ではなさそうだ。レコードに針を落とす行為が、しべれるとさ。
しかし、個人経営で、こだわりがないという方が珍しい。呑み屋であれ、小料理屋であれ、寿司屋であれ、はまたま、物書きであれ、芸術家であれ、ついでに技術屋であれ... フーテンのモラさんのこだわりも、なかなかのものとお見受けする。そもそも、こだわりのない人間っているのだろうか。いや、いるやもしれん。公平無私と呼ばれる人も見かけるし...

但し、こだわりが強いからといって、正真正銘の通とは限らない。ジャズ喫茶が、自信たっぷりのオヤジが説教を垂れる場となれば、若者たちの足が遠のくは必定。
本書には「ジャズとはなんぞや」を答案用紙に書け!と命令するカルトまがいなマスターまでも登場し、これを「硬派なジャズ喫茶」と呼ぶ。それもごく稀なケースで、たいていは話しやすく快い店主ばかりであったと回想しているものの、あまりにインパクトが強く、「ジャズ喫茶人」などと呼称すれば、ステレオタイプで見ちまいそう。文章の切れが良く、描写があまりにリアルということもあろうか。当時は、ジャズ喫茶のマスターは威張っていて怖いというイメージが定着していたようだ。
ちなみに、東京四谷のジャズ喫茶「いーぐる」のマスター後藤雅洋は、このイメージに皮肉をこめて「ジャズ喫茶のオヤジはなぜ威張っているのか」という本まで出しているそうな。
しかし、説教好きなオヤジはどこにでもいる。呑み屋にも、職場にも、家庭にも... そうしたことを差し引いても、一匹狼風で、変わり者が多いことは確かで、個人事業主のおいらも、この手の人種に属すのは間違いあるまい。そして、この多様化の時代だからこそ、のさばることもできよう...

モラさんは、ジャズ喫茶が醸し出す不気味な空気から「行動文法」を読み取る。
まず、クールに振る舞うこと。次に、お喋りは最低限、そして、レコード鑑賞に陶酔しているというボディランゲージをはっきりとアピールすること。さらに、レコードジャケットやライナーノートを手にとり、たまにはリクエストしてみる... これが、60年代から70年代前半の暗黙のルールだそうな。
ちなみに、ルール破りでは、山下洋輔の武勇伝を紹介してくれる。平気でペチャクチャ喋って「会話禁止!」の紙を目の前に突きつけられたそうな。イエローカードか!一発レッドか!
これに似た光景は、バーやクラブでも見かける。いや、ジャズピアニストとしての反発心の表れか。モラさん自身もピアニストであり、ジャズ喫茶非国民!の同胞が見つかったと安堵した様子。ジャズミュージシャンが従順なジャズ喫茶オタクになることは、かなり難しいと見える。
とはいえ、こうしたルールのおかげで、内向的な性格や自閉症が救われるということもある。レコードという音源技術が、鑑賞者を集団から解放し、そのために疎外させ、私的な行為へと走らせる。
そして、その技術は、デジタルメディアからネットワーク共有という道筋を開き、さらに自己を見つめる機会を与え、孤独愛好家を増殖させる一因ともなる。まさに現代の縮図だ!

本書は、ジャズ喫茶の変遷を物語る上で、日本文化研究者エクハート・デルシュミットの論文を引き合いに出す。
  • 50年代は「学校」... ジャズを勉強する場。マスターが教師となって。
  • 60年代は「寺」... オーディオ装置が整い、店内を暗くし、大音量でレコードをかけ、禁欲的な瞑想の場と化す。
  • 70年代は「スーパー」... フージョンやロックが流行り、客離れ対策として店内を明るくし、流行音楽をかけるようになる。
  • 80年代は「博物館」... ウォークマンや CD が発明されると、わざわざジャズ喫茶で音楽を聴くまでもなく、古い LP やジャケットなど過去を保管する場へ。

モラさんは、このデルシュミット論を元にジャズ喫茶興亡記を論じている。特に、ジャズ喫茶とダンスホールとの関係、あるいは、学生運動や反体制精神との繋がりは興味深い。
そして、ジャズ喫茶の出現から盛衰の歴史を辿ると、概ね三つの要素で説明できるという。三つの要素とは、「欠如」「距離感」「希少性」であり、これを「3K原則」と呼ぶ。
欠如とは、一流のライブやジャズ専用のラジオ放送局がなかったこと。
距離感とは、ジャズの本場アメリカからあまりに遠いこと。それは、地理的な要素だけでなく、文化的にも、精神的にも。
希少性とは、生演奏の代替物となる高音質のオーディオシステムが一般人には手が届かなかったこと、あるいは、輸入盤のレコードの入手が難しかったこと。
そして、この 3K が満たされるとともに、ジャズ喫茶は衰退していったとさ...

それにしても、こうしてジャズ喫茶の興亡記を眺めるだけで、戦後の日本社会が外観できようとは。ジャズ喫茶というちっぽけな文化にも、それだけの多面性が備わっていたということであろう。ジャズ喫茶の衰退に、その時代を生きた人間を重ねると、過去の遺物を美化し、懐古したくもなろう。しかし、時間は無常だ!

「結局、私自身がジャズ喫茶とともに歳をとり、周りのオヤジ客にすっかり溶け込む年齢に達してきたわけである。この歳になると、余生よりもすでに生きてきた年月の方が長いという自覚と喪失感が、突然迫ってくることがあるのは、私だけではないだろう。そのせいか、ジャズ喫茶を含め青春時代を振り返るとき、甘美な懐古感に浸かりたくなることは自然な衝動なのかもしれない。あるいは、ジャズ喫茶が消滅していくこと自体が、まるで自分の死期を暗示しているかのように感じる、と言ったら大袈裟だろうか...」

ところで、こんなに熱く語ってくれるフーテンのモラさんには大変申し訳ないが、本書の中で最も感服する文章はジャズ喫茶論とはまったく関係のないところに見つける。それは冒頭にあるこの文章で、おいらが美青年だった頃の記憶が蘇る。やっぱり、日本人よりも日本人っぽい文章を書くお人だ!

「電車が新宿に近づき、おもしろそうな町だから降りてみようじゃないか、と思った瞬間、車両のドアが開き、そのまま人ごみに飲み込まれ流されてしまう。流れに逆らっても身動きできそうにない。魚群のなかの一匹の小魚に化けたと想像する青年は、即座に状況を分析し、対策を講じる... 周りの魚と一定の距離を保ちながら同じ速度で進めば、きっと大丈夫だろう... と。それから、考えることを一切放棄し、流れに身を任せる。徐々に流れと一体化してくると、するすると前進できることに気づき、奇妙な陶酔感さえ覚えはじめる。だが改札口から吐き出されると、突然、魚群も一気に解散してしまう。また陸に足がついたようだ、とふと我に返る。」

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