2024-02-04

"シュルレアリスム宣言・溶ける魚" André Breton 著

シュルレアリスムって、なんぞや?
それは現実か、幻想か。アンドレ・ブルトンは、こう定義する。

「シュルレアリスム。男性名詞。心の純粋な自動現象(オートマティスム)であり、それにもとづいて口述、記述、その他あらゆる方法を用いつつ、思考の実際上の働きを表現しようとくわだてる。理性によって行使されるどんな統制もなく、美学上ないし道徳上のどんな気づかいからもはなれた思考の書きとり。」

尚、本書には、自動記述による物語集「溶ける魚」が併収され、巖谷國士訳版(岩波文庫)を手に取る。

「シュルレアリスム宣言」は当初、32 もの小話が群れる「溶ける魚」の序文として書かれたものらしい。こうした作風を「自動記述」と呼ぶそうな。なんじゃそりゃ?
自動記述といえば、機会学習のような自動化を思い浮かべる。AI が勝手に文章を書いてくれるような。
だがここでは、むしろ逆で人間が思いのままに書くといったイメージ。自己集中できる場に身を置き、最大限に受容力を高め、自分の天分や才能、あるいは他人のそういったものに囚われず、文学的な思考を一切排除し、ただ書きまくる。その結果、生じる文章とは...

「いとしい想像力よ、私がおまえのなかでなによりも愛しているのは、おまえが容赦しないということなのだ。」

言うなれば、人間もまた、物理的に決まった分子構造をもつ機会仕掛けのオートマタのようなもの。そこから生じる文章とは、偉大なる気まぐれのなせる技!とでもしておこうか。
それは、芸術家が持つ資質でもあろうし、数多の詩人や作家、あるいは、哲学者にも見受けられる。自由精神こそが、古くから人々を熱狂に包み、芸術家を奮い立たせてきた狂気の源。
そして、映画のあるシーンを思い浮かべる...

「とにかく書くんだ。考えるな!考えるのは後だ!ハートで書く。単調なタイプのリズムでページからページへと。自分の言葉が浮かび始めたらタイプする。」
... 映画「小説家を見つけたら」より

「溶ける魚」という題目も、なかなか洒落ている...
自己とは、自分の思考の中で溶けていくものらしい。風景も、出来事も、溶けていく。想像も、希望も、記憶とともに溶けていく。溶けて限りなく透けた世界に、読み手も溶けていく。書き手も、読み手も、同じ世界に飢えた幻想共同体よ。そして、おいらもホットな女性に溶けていく。
夢想する自己も、幻想する自己も、現実の自己であることに変わりはない。この厄介な自己とどう向き合うか、それこそ自由裁量。ただし、悪用せぬよう...

「私自身にきいてみたまえ、この序文の、くねくねと蛇行する、頭がへんになりそうな文章を書いてこざるをえなかった本人に...」

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