2020-12-27

"記憶を書きかえる - 多重人格と心のメカニズム" Ian Hacking 著

記憶が人格をつくる... ん~、なかなか興味深い視点である。「記憶」という言葉が多角的な関心を寄せるのは、それが生きる上で不可避だからであろう。様々な事象が、様々な形で、記憶と結び付けられる。本能的に...
尚、北沢格訳版(早川書房)を手に取る。
「魂は、個人のアイデンティティの不変の核を示すものではない。一人の個人、また一つの魂は、多くの面を持ち、多くの異なる話し方をするのだ。魂を考えることは、あらゆる発言の源となる一つの本質、一つの霊的地点が存在することを認めるのとは違う。私は、魂はそれよりももっと控えめな概念であると考えいてる。」

哲学者であり、物理学者でもあるイアン・ハッキングは、多重人格という現象を切り口に、人間のアイデンティティや存在意識の根底をなす記憶をめぐる旅へいざなう。
まず、多重人格の治療では、記憶を取り戻すことに始まるという。特に、幼児体験が問題になるケースが多いとか。幼児虐待やトラウマとの因果関係など、オーラルセックスの強要が口からの挿入物に抵抗感を持たせるといった話まで飛び出す。根底にあるのは束縛の原理。行き過ぎる社会的強制や私的強制が、人の心を歪める。病的な被害妄想を駆り立てて...
また、小説の中の人物にも注目する。あの有名なロバート・ルイス・スティーヴンソンの「ジギル博士とハイド氏」に、芸術的創造と絶賛するドストエフスキーの「二重人格」に、著者が最も恐ろしいというジェイムズ・ホッグの「赦免された罪人の回想と告白」に、精神医学の豊富な症例集を見る。
人間社会では、記憶力の競争が強いられ、知識の豊富さや語彙の豊富さなどは尊敬される技術の一つとして一目置かれる。受験戦争は、まさに記憶量の競い合い。その影に、記憶への恐怖が忍び寄る。
アルツハイマーのような病を恐れるのは、それが記憶の病と見なされるからであろう。人の目を気にせず、過去の記憶をあっさりと消し去ることができれば、自由になれるだろうか。自分探しの旅がもてはやされる昨今、旅の途中で自分を見失っては世話がない。人生の旅では、何を記憶に刻んでゆくかが問われる...
「多重人格の話は、非常に複雑なように見えても、実は、人間をつくりあげる話なのである。」

ところで、記憶とはなんであろう。それは、経験であり、知識であり、生きてきた証。中には、人間形成を担う重要な情報も含まれ、潜在意識や自律神経にも関与する。
しかも、記憶は時間とともに変化する。刻まれていく記憶もあれば、徐々に薄れ、失われていく記憶もあり、あるいは歪められる記憶もある。歳を重ねれば人も変わり、困難を抱えた人は変化にも富む。多重人格者ともなれば、その変化の度合いは時の流れ以上のものがあると見える。もはや、十年前の自分は自分ではない。したがって、むかーし、こしらえた借金の取り立てにあえば、今の俺は昔の俺とは別人なんだ!帰ってくれ!と追い返すこともできるわけだ。破産法とはこの別人論に則ったもので、法の裁きが求める自省にはチャラの原理が内包される。
とはいえ、自らチャラの原理を実践するには、よほどの修行がいる。引きずっていく過去を選択できれば、幸せになれそうなものだが、忌み嫌う過去ほど記憶領域にへばりついてやがる。しかも、無意識の領域に、深く、深く...
ただ、記憶を消せなくても感じ方を変えることはできる。苦い経験を懐かしむような。いや、無関心の方が楽か...
その点、オートマトンなら、手っ取り早くデータをダウンロード。コンピュータってやつは、人格形成においては先を行ってやがる。記憶領域を書き換えれば、まったく違う振る舞いをするのだから。人間はそうはいかんよ。いや、脳にチップを埋め込めばどうであろう。高度な管理社会ともなれば、生まれたばかりの子供にマイクロチップを埋め込むことが義務づけられるかもしれん...
人間の能力では、時間の流れは制御できそうにない。どう転んでも、エントロピーには逆らえんよ。ならば、記憶を制御することはできるだろうか。都合よく解釈することが、記憶を制御するということかは知らんが...
「記憶は、理解を助け、正義を達成し、知識を探求するための強力な道具である。記憶は意識の働きを高める。またそれは、心の傷を癒し、人の尊厳を回復させる。時には暴動を引き起こすことすらある。"Je me souviens (私は忘れない)" という言葉以上に、ケベック州で、車に貼るステッカーの台詞としてふさわしいものがあろうか?ホロコーストと奴隷制度の記憶は、新しい世代に引き継がなければならない。」

1. 多重人格は病か
まず、精神病の診断の難しさは、それが本当に病気のレベルにあるのか、という問題がある。多重人格という現象そのものは、病であろうか。生きていく上で障害となるなら治療も必要だが、大なり小なり誰もが持っている性質のような気がする。普段から自分ではない自分を演じているではないか。建て前ってやつを。誰もが虚飾を張って生きているではないか。平然と。キレるという現象も、スィッチが入るという現象も、別の人格が顔を出しているのでは...
多重とは、二つより多いからそう呼ぶ。分裂とも違うようである。分裂病患者は、論理と現実に関する感覚が歪んでいるのに加え、態度、感情、行動の調和がとれない。一方、多重人格者は、論理や現実の感覚については問題はないが、断片化していくという。
多重人格ってやつが、二重人格から進化した新たな種類の狂気かは知らん。だとしても、精神の持ち主ならば、精神病と診断されずとも、そうした傾向があるのでは。そして、多重人格を完全に克服できれば、やりたくないことを交代人格によって処理するような、要領のいい使い分けもできるかも。様々な場面に順応できる多様な人格を備え、それを自由自在に操る。
人の心は、誰かに受動的に動かされていると苦痛や強迫めいたものを感じるが、自分自身で能動的に動く分には心地よくも感じる。そうなると、すごい能力だ!多重人格とは、ある種の精神修行であろうか...
「虚偽意識のかけらももっていないという読者がいたら、その人こそ、もっとも重大な虚偽に陥っているのだ。」

2. 多重人格とジェンダー
多重人格と診断されるケースを男女比で見ると、奇妙な偏りがあるという。なんと、90% が女性だとか。あまりに偏った数字で、鵜呑みにする気にはなれない。本書でも、様々な見方を挙げている。多重人格者の男性は暴力事件で捕まることが多い、あるいは、酒やドラッグに救いを求め、依存症と診断されるケースが多い、さらに、幼児体験の影響が大きいという観点から、男児よりも女児の方が近親姦などの犠牲になりやすい、といった見方である。著者の経験でも、女性患者の方が圧倒的に多いという。
そこで、心理学で重要な鍵とされるヒステリーの考察がある。ヒステリーといえば、昔から女性のものとされる。古代ギリシア語の「子宮」が語源となるほどに。しかし、DV の加害者と被害者の比となると、数字は逆転する。男の場合、ヒステリーを通り過ぎて腕力にまかせて暴力沙汰を起こすのかは知らんが、DV の社会的認知度はいまだ低い。
ちなみに、自閉症でも男女差があると言われ、男児は女児の数倍に上るといった統計データも見かける。知的障害者では、男性の方がやや多いぐらいで、そこまでの偏りは見せないようだけど。
先天性の場合、障害者を生む確率は天才を生む確率に比例しそうな、あるいは、遺伝子コピーのリスクの裏返しのような。つまり、生物学的確率である。
ただ、多重人格は、後天性の問題であろうか。後天性の場合、自覚症状があれば、医者にかかるだろうし、自覚できなければ、医者にかかることもなく、診断もされない。そして、医者の世話になる前に警察の世話になるってか。
また、男女には、物理的に避けられない能力の違いがある。子供を産む能力が、それだ。へその緒を通して、物理的につながっていた事実は変えられない。その分、性的暴行に対するトラウマは、女性の方が強いのかもしれない。概して、男親は女児に甘すぎるほどに甘い。おいらも、嫁はいらんが娘がほしい。こんな感覚も、心の歪の兆しであろうか...
こうした精神診断を男女比で考察すると、フェミニストに猛攻撃を喰らいそうだが、現場で治療に当たる医師がイデオロギーなんぞにかまっている暇はあるまい...

「口づけとかみつき...
何と二つは似ていることか、そして心からまっすぐ愛するとき
貪欲な口は、たやすく二つを取り違える」

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