2025-01-19

"古い医術について 他八篇" Hippocrates 著

紺屋の白袴... という言葉がある。医学に従事する人とは、そうした人たちなのであろう。お医者さんだけではない。看護師さん、介護士さん、理学療法士さん、栄養士さん... そして、つくづく思う。人間ってやつは、単なる熱機関か、喰って排泄するだけの存在か、と。どんなに偉かろうが、どんなに賢かろうが...
苦しみでもがき、今にも死にそうな人間に肉迫しなければ、人間というものを真に理解することは難しい。そのように肉迫できる人間だけが、医療従事者になれるのやもしれん。その原点を、ヒポクラテスの誓いに見る思い。人の命は短く、術の道は長く...

尚、本書には、「空気、水、場所について」、「神聖病について」、「古い医術について」、「技術について」、「人間の自然性について」、「流行病 第一巻」、「流行病 第三巻」、「医師の心得」、「誓い」の九編が収録され、小川政恭訳版(岩波文庫)を手に取る。

「益を与えよ、さもなくば無害であれ。医の技術には三つの要素がある。すなわち病気、病人、および医者。医者は技術の助手である。病人は医者と協力して病気に抵抗すべきである。」

医術が呪術とされた時代、医学を経験科学の座に据えた最初の人。それがヒポクラテスである。彼の流行り病における数多の症例と、これに施した治療の詳細、そして死に至る描写は、21 世紀のコロナ禍を物語っているような。当時、神聖病と呼ばれた癲癇についても、けして神業ではないと、その根拠を示す。医術を技術とする観察哲学や科学的考察。医術の心得は、二千年を経た今でも衰えぬと見える...

「人間の身体はその中に血液、粘液、黄および黒の胆汁をもっている。これらが人間の身体の自然性であり、これらによって病苦を病みもし健康を得もする。いちばん健康を得るのは、これらの相互の混合の割合と性能と量が調和を得、混合が十分であるばあいである。病苦を病むのは、これらのどれかが過少か過多であったり、身体内に遊離して全体と混合していなかったりするばあいである。」

妖術師、祈祷師、托鉢僧、野師といった連中が神聖視された時代、ヒポクラテスは、医者の地位を技術の助手とし、患者や他の従事者と協力して病に当たるべし... と説く。
そして、季節の影響を考慮すべし、特に季節の変わり目に... 暖や寒の風、あるいは風土を考慮すべし... 水の味や重さ、あるいは硬水や軟水といった性質を考慮すべし... 北方か南方か、湿地か乾地かといった土地柄を考慮すべし... 労働を嫌うか、体育を好み労働を愛すか、あるいは多食か、多飲か、といった生活習慣を考慮すべし... と。
どんな分野にも、難しい専門用語を使うことが専門家だと思っている人たちがいる。しかし、人間であるからには誰でも病気になるし、生きているからにはいつか死ぬ。この分野で専門も素人もあるまい。
確かに、専門的な検査を受ければ、病状を知り、病名を知ることができる。そこで、インフォームド・コンセントといった発想が必要になるわけだが、すでにヒポクラテスの記述に、原因と病状の関係を合理的に説明する態度が伺える。

「充満が生む疾病は空虚が癒し、空虚からおこる疾病は充満が癒し、激しい労働から生じる疾病は休息が癒し、怠惰から生まれる疾病は激しい労働が癒す。」

ところで、不幸な出来事を神のせいにすれば、それで救われるであろうか。重い病を神のせいにするのと運命論で片付けるのとでは、どちらが楽になれるであろうか。
一方で、幸運な出来事には、誰はばかることなく自分の力だと断言しちまう。人間とは、なんとおめでたい存在であろう。しかし、そうでも考えないと、生きてゆくのも難しい。やはり神は、人間にとって必要な存在のようだ。しかも沈黙してくれた方が都合がいい。神の声が聞こえると主張する者にとっては... 神の存在を信じない者にとっても...
医師だって魔術師のようなもの。18世紀頃まで名医たちは瀉血を信仰し、血を抜き、知を抜いた。水銀を与えては下痢をさせ、嘔吐させたうえに皮膚を熱して水膨れをつくり... そして、ジョージ・ワシントンは死んだ。
いつの時代も、科学や技術は信仰化するところがある。ヒポクラテスの時代、病気になれば祈祷師や妖術師のところへ行った。今の時代、病気になれば医者のところへ行く。これも、ある種の信仰やもしれん...

「神殿で、実在的にせよ想像的にせよおよそ超自然的な邪魔物を遵奉することによっては、技術は学べない。技術は、ヒポクラテス集典の著作者たちがわれわれに告げているように、経験によって学ばれ、また人間と事物の自然的本性に理論を適用することによって学ばれる。」
... ウィシントンの所説より

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