人生とは、それほど大層なものなのか。雑用に負われる日々を思えば、くだらない疑問に憑かれる。
「この世に雑用なんてものはない。雑な仕事があるだけだ!」とは、誰の言葉であったか。自由なんてものは高等過ぎて、いざ与えられても、何をやっていいのか、よう分からん。才ある者は、雑用までも喜びにしちまうのであろう。雑用はなるべくあったほうがいい。なくしちまうと退屈病に襲われ、痩せ細っちまう...
大人どもは、いつも文句を垂れる。具体的に示せ!と。誰かに当たる性癖は依存症の表れ。政治家に当たってはお前のやり方が悪いと憤慨し、道徳家に当たっては空想論もいい加減にしろと糾弾し、教育家に当たってはお前のしつけが悪いと誹謗中傷を喰らわせ、芸術家に当たっては人類を救え!などとふっかける。
巷にはハウツー本が溢れ、ノウハウセミナーはいつも大盛況。恋愛レシピから幸福術、あるいは人生攻略法に至るまで。移り気の激しい凡人は、洪水のごとく押し寄せる流行りの知識に右往左往するばかり。仕舞には消化不良でゲロを吐き、もっと分かりやすくしろ!と文句を垂れる。
一方、才能豊かな連中ときたら、哲学者の曖昧な言葉を金言にしてやがる。何をヒントにするかは自由と言わんばかりに...
これほど無意識の領域が広大だというのに、なにゆえ自由なんてものが信じられるのか。真の自由なんぞ、この世にありゃしない。あるのは自己満足感だけだ。人生に意味や目的があるのかは知らん。それを求めてやまないのは人生に意味があると信じ、自己存在感を噛み締めたいだけだ。自分の人生が無駄ではないと...
真理を求めるのは、それがないと生きられないからではない。盲目感に耐えられないだけだ。正義感に操られては非難癖がつき、倫理感に憑かれては意地悪癖がつき、理性や知性までもうっぷん晴らしの手先となる。自由に生きるよりも、人のせいにし、社会のせいにし、神のせいにしながら生きる方がはるかに楽ってもんよ。
すべては自己の正当化!凡庸な、いや凡庸未満の酔いどれ天の邪鬼ごときが、自由が欲しい!と大声で叫んでいる間も、才能豊かな連中は静かに自由を謳歌してやがる。どう足掻いても奴隷に成り下がるのであれば、そこから逃げだすさ。どうせ人生なんてものは、雑用よ!

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