2017-09-24

"自殺について 他四篇" Arthur Schopenhauer 著

「やがて老齢と経験とが、手をたずさえて、死へと導いてゆく。そのとき悟らされるのだ、- あのように長いあのように苦しかった精神であったのに、自分の生涯はみんな間違っていたのだ、と。」
... ゲーテ「詩と真実」より

アルトゥル・ショウペンハウエルは、これで三冊目。さらに、まだ手を付けていない数冊が目の前に積んである。惚れっぽい酔いどれは、どうやら嵌ってしまったようだ...
彼に言わせると、人生とは、こういうものらしい。
「裏切られた希望、挫折させられた目論見、それと気づいたときには遅すぎる過ちの連続...」
さすが、西欧ペシミズム(悲観主義)の源流と評されるだけあって、ネガティブ思考を徹底的に追求してクタクタにさせた挙句に、ポジティブ思考へ誘なおうってか...
尚、本書には、「我々の真実の本質は死によって破壊せられえないものであるという教説によせて」、「現存在の虚無性に関する教説によせる補遺」、「世界の苦悩に関する教説によせる補遺」、「自殺について」、「生きんとする意志の肯定と否定に関する教説によせる補遺」の五篇が収録され、斎藤信治訳版(岩波文庫)を手に取る。

人類が編み出した言語体系には、存在を強烈に意識させる動詞が具わっている。英語の be 動詞やドイツ語の sein 動詞の類いが、それだ。日本語では真実を語る時、ある!ある!と語尾を強める。存在意識は、極めて経験的でありながら、最も自然に発する観念と言えよう。それは、まずもって自己を意識することから始まり、他との比較から徐々に自分自身の状態を把握していき、やがて自我を確立させていく。なにより苦難を感じるということが、自己を意識している証なのだ。他との相対的な関係からでしか自己存在を認識できないとすれば、人間が自己中心的であるのも当然である。死という得たいの知れないものが近づけば、生に対して未練がましくもなる。
そこで、しばしば卓越した知性の持ち主が荒唐無稽の観念に憑かれ、とても消化できそうにない不合理に絶えず悩まされる。死後も魂は生き続けるという、あの観念に。だが気をつけた方がいい。魂の不死を受け入れれば、心霊と肉体を対立させ、ついに肉体の存続を悪として攻め立てることになる。自我が重荷となると、今度は集団の中に安住の地を求め、やがて奴隷根性が染み付いていく。魂の棲家は、有益な誤謬ほど居心地が良いと見える。いずれにせよ、人間は生涯ド M な存在というわけか。自立の道は険しい。自由の道は果てしなく遠い...
「だから真理の代用品などというものはあぶなっかしいものだ。」

自殺を罪悪とする宗教があれば、自殺を美学とする文化がある。ストア派哲学にも、高貴な英雄伝説として語り継がれるものを見かける。その代表格がセネカのものだ。終わりがあってはならないという愚かな希望... 自己という有機的存在が実は無意味であったという絶望... そんなことは、現実社会で十分過ぎるほど体験してきたはず。まったく無力であったことを。
にもかかわらず、無の恐怖に駆られて自虐の門を叩く。人間の怖いもの見たさというのも、困ったものだ。生が夢まぼろしであるなら、死はその目覚めということか。人生とは、死から融通してきた借金のようなものか。睡眠とは、その借金から日毎に取り立てられる利息のようなものか。人はみな、自分の人生に価値を求めずにはいられない。でなければ、自己を否定することになる。しかしながら、そんなこだわりから解放されてこそ、真に意志を目覚めさせるのであろう。それが自由意志ってやつか...
現代社会では死はどこまでも否定的なものとされるが、死にも積極的な面はある。意志の継承が、それだ。輪廻では、霊魂がそっくりそのまま別の肉体に乗り移るとされる。しかるに再生では、個体の解体と再建によって意志だけが継続されることになる。新しい存続の形体は、さらに新しい知性を獲得していくことだろう。生きんとする意志が自己を肯定し、自己に教説を与えていくことだろう。知性は意志の源泉となり、意志は世代を越えて受け継がれる。まさに永劫回帰の道よ...
「知性は救済の原理であり、意志は束縛の原理である。」

ところで、個体が不滅となれば、死を恐れる理由はなくなるだろうか?自己存在という幻想を滅却すれば、無に帰することが出来るだろうか?いや、わざわざ無に帰せずとも、記憶を抹殺すれば同じこと。あらゆる悩みは記憶から生じる。知性の喪失とは、ほかならぬ意志の忘却ではないか。永遠の克服が忘却にあるとすれば、アル中ハイマー病患者にも希望が持てる。神の合目的を解し、あらゆるものに存在意義を与えようとは、なんとおこがましいことか...
人生とは、どうせ思い込みの中をさまよっているようなもの。この能力は、神にも及ぶまい。神は何をやり直したいのかは知らんが、常に新しい生命体をこしらえ続ける。まったく気まぐれな完全主義者にも困ったものよ。破壊と創造こそが永遠のサイクル、やり直しは永遠なり、そのために宇宙は神の実験室であり続ける...

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