久しぶりにブルーバックス...
おいらが美少年だった時代、ブルーバックス教の信者であった。だが、脂ぎっちまった今、純真な好奇心の傾け方が思い出せずにいる。
このシリーズの魅力は、なんといっても分かった気にさせてくれること。分かった気になるということが、いかに幸せであるか。同時に、いかに危険であるか。
ある物理学者は言い放った。「量子力学がわかったと思ったら、それは量子力学を理解していない証拠である」と...
テレポーテーションといえば、SF で登場する瞬間移動のイメージ。時間を超える、光速を超えるといった...
しかしながら、量子テレポーテーションでは、そんな突飛な現象は登場しない。量子を相手取る時点で突飛ではあるのだけど。それは、電気が発見された時代と似た感覚であろうか。
ちなみに、ヴィクトリア女王時代、マイケル・ファラデーは首相から電気なるものに現実的な意義があるのかと尋ねられると、これに税金をかけることになるでしょう... と答えたと伝えられる。
量子の世界は、ニュートン力学では説明のつかない世界。その存在については、シュレーディンガーの猫や EPR(Einstein–Podolsky–Rosen)パラドックスといった思考実験で論じられる。だが、物理学はあくまでも実証学問!実証できなければ、単なる仮説に終わる。かのニュートン卿も、仮説嫌いで知られている...
不確定性原理は告げる。一つの量子の位置と運動量を同時に正確に測定することは不可能である... と。
測定するということは、対象とする物理現象とは別の物理現象、すなわち、観測過程が加わることになる。量子状態は、観測者という第三者が関与すると簡単に壊れてしまう。この法則こそ、量子力学を決定付けるエッセンスとなる。
状態が正確に把握できないものを、技術的にどう利用しようというのか。ましてや量子コンピュータなんぞ、夢のまた夢か!
なぁ~に、心配はいらない。完全に存在を定義できなくても、なんとなく存在するというだけで十分利用価値はある。量子の存在を定義づけるものは、スピンの状態などの量子情報や量子状態。ここで、存在感を示す物理量にエネルギーってやつがある。質量が定義できる世界では、あの有名な公式が幅を利かせる。
E= mc2
では、質量が定義できない世界ではどうであろう。それは、プランク定数 h と光の周波数 ν で記述される。
E = hν
量子状態を量子エネルギーの塊として捉えれば、それが不確定性原理を克服するエッセンスとなるだろうか。
今日、世界を席巻するデジタルシステムにしても、完全に制御できているわけではない。電流制御によって成り立っているものの、電子の個々を制御できているわけでもなく、統計的な制御に頼っている。それを支えているのが、エラーコレクション、すなわち誤り訂正機構である。どんな通信路にもノイズはつきもので、シャノンの通信モデルにも雑音源が考慮されている。
量子状態においても、量子の個々を相手取るのではなく、集合体として捉えれば、確率分布として扱うことはできそうか...
人間社会の統治でも、個々の人間を把握する必要はない。個人が持つ価値観、倫理観、世界観... などというものはあまりに多様性に富み、すべてを考慮することは不可能である。それでも、大衆の意志なるものを傾向として把握することは可能である。それは多数決的で、妥協点の模索でもある。
その意味で、量子力学は社会学的とも、統計学的とも言えそうか。少なくとも、無数の量子の塊で構成される人間よりも、個々の素朴な量子の方が扱いやすいし、集合論的な見方もできよう。集合論で扱えれば、数学が強力な武器となる。
そして、誤り訂正能力に持ち込めるほどの状態確率が担保できれば、量子コンピュータも夢ではなくなる...
ところで、人間の存在を定義づけるものとはなんであろう。肉体を感じ取る五感の存在か、精神の存在か、感情の存在か... などと並び立てたところで、そんなものが正確に把握できるわけではあるまい。そもそも、人間は本当の自分自身を知らずにいる。いや、知らぬが仏か!エネルギーを通して存在を感じているとすれば、霊感と何が違うのだろう...
本書は、量子テレポーテーションの理解のためのキーワードに、「量子の重ね合わせ」,「波束の収縮」,「量子エンタングルメント(もつれ)」の三つを挙げる。
多数の重ね合わせた状態を一つの運動量と見なすのはいいが、それでも個体群で捉えることが困難であることに変わりはない。そこで、量子には粒子性と波動性がある。粒子群で捉えられなくても、波束で捉えることは可能か。位相群にしてもエネルギー分布として捉えるならば、振幅で捉えることはできそうか。
数学的には、確率振幅というやつが有効だという。それを自乗すると存在確率になるというのだから。ここでは、光子の事例でその存在を物語ってくれる。光だって電磁波の一種に過ぎない。人間の目に見えるというだけで、とびっきりな存在とされるだけのこと...
「正しい量子力学の理解のために、あえて最も難しい例を挙げる。それは、時間的に長い波束、つまり、ほとんど波として振る舞う場合でも、光子を考えることができるという、我々の常識からは想像できない例である(これが真の量子力学である)。これが理解できれば(慣れてしまえば)、怖いものなし!光子というのはエネルギーが定まった状態であり、位相の情報を失った波の状態と考えるのが正しい。ここで、エネルギーとは波の振幅の自乗に相当する。」

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