2019-04-21

"ガロアの夢 群論と微分方程式" 久賀道郎 著

三十年間、ずっと纏わり付いてくる奴がいる。あぁ、捉えどころのない微分方程式!物語は、こんな言葉から始まる...「そして山の裂目(クレパス)にのまれてしまったとさ...」

現実世界を生きるには、難問に遭遇しても、とりあえず答えを出していかないと前に進むことが難しい。数学の世界には、そうした暫定的な処理に、漸近線や近似解といった有用な方法論がある。微分方程式ってやつが、いかに解けないケースが多いことか。特異解が現実解を覆い隠すのである。解が見つけられなければ、解のある微分方程式で代替するか、解そのものを近似するか。あるいは、いくつかの方程式を連らね、それぞれに定義域を割り当てて連続性を保ったりと、誤魔化し、誤魔化し、生きている。
とはいえ、妥協人生も悪くない。人間社会では、真理よりも、真理っぽく見えることの方がずっと実用的なのだ。いや、完全な真理なんぞ見たくもない!という深層心理が働いているのやもしれん。そりゃ、自己の本性を知っちまえば、絶望するしかあるまい。
情報社会では、検索アルゴリズムにおいて、100% 満足のいく結果をじっくりと得るよりも、80% ぐらい満足できる答えを手っ取り早く得る方が有用である。人間は多忙なのだ。
素数定理でも近似法が幅を利かせているではないか。デジタル社会で絶対に欠かせないコンピューティングに目を向ければ、見過ごせない弱点を浮き彫りにする。浮動小数点演算で答えが合わないと騒ぐ新人君を見かければ、IEEE 754 の意義を匂わせてやればいい。システムエラーの回避に欠かせない前提が、数学の領域を制限することを。実数演算で冪乗の壁を乗り越えられない限り、近似の概念に頼らざるを得ない。だがそれは、数学の落ちこぼれには、ありがたいことである...

本書は、著者が東京大学教養学部のゼミナールで行った講義の記録で、題目には「群論と微分方程式」とある。ガロア理論は告げている... 二次、三次、四次方程式には解の公式が存在するが、五次以上の方程式にはそれが存在しない... と。それは代数方程式に対して、どこまで解けるかを問うたもの。ここでは、微分方程式に対して、どこまで解けるかを問う。
ガロアの思惑は代数方程式論では成功を見たが、同様の考察が微分方程式においても可能であるか。この問題に生涯を賭けたソフス・リーは、リー群を編み出した。だが、微分方程式の群論的考察という意味では、リー自身は決定的な寄与はできなかったそうで、ピカールやベシオに受け継がれ、さらに代数化されて、リットやコルチンという流れ。線型常微分方程式を群論的に扱う試みは、多くの偉大な数学者が挑み、まだまだ未知数が多い。

しかしながら、この講義はそのような大理論を展開する場ではなく、かなり制限を与えてくれる。題材とされるのは「フックス型微分方程式」「モノドロミー群」。耳慣れない用語に尻込みしそうになるが、なんのことはない。フックス型は、こんな形をしている。しかも、二階微分で扱ってくれる...

 d2w

 dz2 
 +   P(z)   dw

 dz 
 +   Q(z)w   =   0 

これをベースにすれば、たいていの現象を近似できるだろう。ちょっと乱暴に言えば、こういうことらしい...
「フックス型の微分方程式とは、解がみな確定特異点しかもたぬ有理関数係数の微分方程式のことである。」

また、monodromy を辞書で引くと、一人芝居、ひとりで回る... といった意味を見つける。そして、対象となる現象を、部分集合を連ねて移動体とし眺めてみる。関数の特性を離散的な部分集合で近似するようなイメージで、集合の塊が螺旋状を回転しながら移動していく様子を想像してみるのである。




  R ∋ { A0, A1, A2, A3, ... }

  A0 ∪ A1 ∪ A2 ....
  A0 ∩ A1 ∩ A2 ....

二次元平面で眺めれば、実数同士の直積のような空間をイメージできる。それは、複素平面でも同じこと。ただしこれは、monodromy の用語に誘われて、独り善がりな解釈を試みた結果であって、本書の意図からは酷く逸脱しているだろう。酔いどれ天の邪鬼の目には、ストルツ角領域ってやつが、螺旋状に吸い込まれていく現象に見えるもんだから... 久賀先生ごめんなさい!

それはさておき、連続性を保証してくれれば、微分可能であることが前提できる。このように対象を限定することは、一般法則を求める数学屋には許せないことかもしれない。しかし、ガロア理論が視覚化できて、教育には良さそう...
「空疎な一般論よりは、深みを偏愛するわれわれ数論屋としては、構造の豊かな特殊な族をこそ求めるべきであろう。それゆえ、われわれの関心の対象を、Euler 積分を持つもののみに限ることとする。」

とはいえ、群論の視点から微分方程式を考察するというのは、やはり尋常ではない。ようやく群論という巨大な要塞の入り口に立つことができたと思ったら... ようやく空間イメージができるようになったと思ったら... またもや自由群にしてやられる。自由ってやつは、数学界においても、やはり手に負えないものらしい。
そして、講義は、HATTARI... で締めくくられる...
「ほとんどが検証されていない事実(?)ばかりである。すなわち、ほとんどすべてハッタリである。わずかな兆候に想像力を無限大に働かせて外挿してゆくのだ。数学はこのような段階が一番たのしい...」

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