グーテンベルクの銀河系... それは、活版印刷に始まったとさ。
発明者の名は、ヨハネス・グーテンベルク。著者マーシャル・マクルーハンは、この発明を境界に社会の大変革を物語る。活字人間の出現に、コピー世界の膨張に、そして、ルネサンス、宗教改革、啓蒙時代、科学革命へと...
尚、森常治訳版(みすず書房)を手に取る。
歴史とは、言葉で編まれた閉じられた系とすることができよう。その記述が万民に広まると集団作用が働く。言語化は論理的思考を活性化させるが、その反面、言語量が増大すると集団意識を歪め、暴走を始める。詭弁が雄弁に語り、その語りに自我が飲み込まれ、沈黙の力までも押し潰していく...
「もし感覚器官が変るとしたら、知覚の対象も変るらしい。
もし感覚器官が閉じるとしたら、その対象もまた閉じるらしい。」
... ウィリアム・ブレイク
活字はメディアを煽り、メディアは大衆を煽る。活版印刷の活用が拡張されると、言語統制が始まり、人々の世界観は固定化されていく。画一的な国民生活、中央集権主義、そして、ナショナリズムへ。だが同時に、個人主義や反体制意識を芽生えさせる。
そして、世界は二極化へ。人間ってやつは、なにかと善と悪で分裂させる二元論がお好きと見える。精神分裂病もまた、言語使用が招いた必然であろうか...
「言語は、経験を備蓄するのみならず、経験を一つの形式から他の形式へと翻訳するという意味でメタファーであるといえよう。貨幣も、技術と労働とを備蓄するだけでなく、一つの技術を他の技術へと翻訳するという点でやはりメタファーである。」
文字を発明すれば、それを刻む媒体を求めずにはいられない。活版印刷以前は、写本によって知識が伝授された。
だが、著名な図書館は焼かれてきた歴史がある。その代表格がアレクサンドリア図書館。ハインリッヒ・ハイネの警句が頭をよぎる。「本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる。」と...
写本が機械的に複写できるようになれば、たった一箇所の知の宝庫が焼かれても、人類の叡智はどこかに残る可能性がある。さらに大量生産の時代を迎えると、知識は庶民に広がり、広大な知の宇宙が形成される。おかげで、電車で移動中に本が読める幸せにも浸れる。
そして現在、知識の電子化が進むと、情報の嵐が吹き荒れ、マーク・トウェインの皮肉が聞こえてくる。「真実が靴をはく間に、嘘は地球を半周する。」と...
人間の成長過程には基本的な行為がある。幼児の学習は、大人の行為を真似ることに始まる。本能と言うべきか。大人だって、技術や知識を身につけるために熟練者や達人から学ぶ。教師となるものは、なにも人間とは限らない。ハウツー本は、いつも大盛況。恋愛レシピから幸福術、人生攻略法まで...
感受性豊かな人間ともなると、哲学者が語る曖昧な言葉までも金言にしちまう。人間の認識能力が記憶のメカニズムに頼っている以上、人間は過去から学ぶほかはない。ダ・ヴィンチも、ラファエロも、ミケランジェロも、偉大な作品を写生することによって技術ばかりか、自ら精神を磨いた。もはや純粋な独創性なんてものは、幻想なのやもしれん。ましてや情報過多の時代では、健全な懐疑心を持つのも、啓発された利己心を保つのも難しい...
「弁証法は技術の技術であり、また科学の科学である。それはカリキュラムのあらゆる主題を貫く原則へ導く道である。なぜならば弁証法のみがほかのすべての技術の諸原則についての蓋然性を論ずるのであり、かくて弁証法はまずもって学ぶべき最初の学でなければならない。」
... ペトルス・ヒスパヌス「論理学要目」より
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