2007-03-18

"道は開ける" Dale Carnegie 著

アル中ハイマーには、あまり縁の無い本にぶつかってしまった。本書のテーマは「悩み」である。
「人間の悩みについて、どうやって対処したかの実証記録である。欠点は無知ではなく無為である。古来の根本原理を再述し、現代風に書き直した。」
と前書きされている。なぜこんな本を読んでいるのだろう?昔でも思い出しながら、ちょいと潜在意識を覗いてみよう。

大抵の悩みは未来に対する恐れからくるとある。
未来の重荷まで今日背負うと、どんな強人でもつまずくだろう。真の心の平和は、最悪の事柄をそのまま受け入れることにより得られる。そして、もはや失うものがなくなる。開き直るのである。人々が怒り、混乱し、人生を台無しにするのは、最悪の事態を受けれようとしないからである。逃避から、うつ病の犠牲者となる。
ということが語られていく。

おいらは子供の頃から学校嫌いで出席日数もギリギリで義務教育を卒業している。小学6年生ぐらいから高校2年生ぐらいまで続いた。悩みというよりは学校に行くのが面倒だったのである。普通の登校拒否とも違うと先生が言っていた。先生が居なくても教科書を読めばええじゃんって思っていたし、時間の無駄だと思っているなど、ただのひねくれ者だったようだ。
周りは体が弱いと思っていたようだ。そう思われるのは都合が良かった。けっして体が人一倍弱いわけではない。強いわけでもない。ただ意思が弱かった。
興味もないものに意思を持つことの方が難しい。しかし当時は、そうした無気力状態に落ち込んでいた。当時から、悩みとはなんぞやという事について考え伏せていた。アル中ハイマーにもこうした暗黒時代があったことを誰も信じてくれない。

「悩みに対する戦略を知らないものは若死にする」とある。神経症入院患者は、無力感、欲求不満、不安、苦悩、恐怖、絶望が原因である。プラトン曰く。「医師の犯かしている最大の過失は、心を治療せずに肉体を治療することだ」
おいらは、最近よく健康診断にひっかかる。つい気まぐれで3年ほど前病院へ行った。たまには看護婦さんを眺めるのも精神衛生に良いと思ったからである。すると、脳梗塞!即入院!今では毎月検診を受けているが健康過ぎて困っている。事業の成功と健康を引き換えにするなら、おいらは健康をとっていると言えよう。
生活習慣といえば、眠くなれば寝て、自然と朝4時過ぎに目が覚める。朝は散歩、昼寝を1時間、夜は0時過ぎに寝る。仕事の気分転換にバイクで海岸線まで走り、風にあたり、煙草を一服。夜は大人の社交場へと消えていく。
事業者の"負け犬の遠吠え"とは、"健康を勝ち得た!"と叫ぶことである。

「悩み解消法は、事実を把握、分析、そして、決断、実行」とある。悩みの大半は、判断の根拠となる知識が十分でないのに、あえて判断を下そうとするから生じるとある。
人間は、思考する努力を省きたいために、あらゆる方便に頼ろうとするのだろう。自分を正当化し好都合な事実や、抱いている偏見を正当化する事実だけを望む。しかも、自分の悩みを他人に強いる人までいる。おいらは現実から逃避する手段として、仕事とは別に計画を練ったり、思索にふけったりする。そうすると、悩んでる場合ではないということに気づかされる。こうした行為は、いままで避けていた分野でも自然と興味が湧くから不思議である。興味がないことに対して無力であることは、学生時代に証明済みなので無理なテーマを掘り起こすことはない。ただ、いろいろと目が移り本業がだんだん馬鹿らしくなるから困ったものである。今では本業が何だかわからない。アル中ハイマー本領発揮である。
ここで、アル中ハイマーの持論を上げよう。
・生きるとは、死までの暇つぶしである。
・生きがいとは、死の恐怖から逃れる手段である。
・多忙とは、神経疾患への麻酔薬である。
・哲学とは、暇人の学問である。
・暇とは、不安と葛藤する勇気を養う時間である。
・天国と地獄があるなら、まさしくこの世である。
 生きがいがあれば天国。生きがいが無ければ地獄。
ほんの少し悩みを分析すれば、このような言葉を思いつくことは容易である。しかし、誰かの思想をコピーしているものもあるかもしれない。自分の考えだと自信を持っていても無意識に感化されてることはよくある。そもそもアル中ハイマーに自意識があるかは分析不能である。

「物事があるがままに受け止めよ!」避けられない運命があると語られている。人間、努力すればなんとかなるという人がいる。学校教育とはそうしたものである。絶対的に支配される何かが存在し、それを受け入れる心構えがあってエゴから解放される。おいらには身近に先天的知的障害者がいる。少々わがままで、深夜に踊りだしたりするので、鬱陶しいこともある。昔はあまり人前に見せたくないなど、くだらない気配りをすることもあった。今では慣れたせいか、他の人には体験できない境遇にあることを感謝している。

悩みを完全に克服する方法として、神に祈ることを上げている。宗教に頼るのが手っ取り早いのだろう。カントも「信仰が必要ならば神を受け入れれば良い」と言っている。カリスマなんたらというのがマスコミに取り上げられるのも仕方のないことかもしれない。おいらは無宗教なので信じるものがない。また、苦悩を正面から受け止めるほどの度量も持ち合わせない。よって屁理屈で武装するのである。

悩みを予防する方法に休息が良いとある。精神分析医に言わせると疲労の大部分は精神的、情緒的態度に起因するのだそうだ。半時間の昼寝など。筋肉をリラックスさせると自然と悩みを忘れられるそうだ。おいらは、1時間昼寝をすることが多い。眠い時だけで無理に寝ようとはしない。元々不眠症に悩んでいた時期があり、睡眠薬を処方してもらっている。しかし、眠くない時に寝る方が疲れる。眠ろうとする焦りが逆にストレスになる。
おいらは睡眠薬を飲んで睡魔と闘う遊びをおぼえた。眠くなった時にどこまで起きていられるかという遊びである。そして、いつのまにか意識をなくす。目が覚めた時は別世界である。本当に記憶が飛ぶ。麻薬ってこんな感じなんだろうか?病み付きである。こうして10年ぐらい不眠症を楽しんでいる。最近はよく眠れるのでおもしろくない。
尚、ここでいう睡眠薬とは酒ではない。本当に薬局で扱っている薬だ。ほんまだって!最近、真実を語っても信じてもらえない。これがアル中ハイマーの悩みである。

前半は、悩みの根源や分析について語られていて意外とおもしろく読めた。しかし、後半は、前向きに陽気でなどと一般的な決り文句が続くので少々退屈してしまう。本書を選択した読者は悩み悩んで辿り着いた人だろうから、それでちょうど良いのかもしれない。
おいらは悩むのもいいことだと思っている。前向き過ぎるのも問題である。少々心配事があるぐらいでちょうど良い。そうでないと理性のバランスが保てない。
アル中ハイマー・ツェッペリン曰く。「ジンとベルモットのバランスを保つことが悩みを取り払い、天国への階段は開ける。」

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