3/2 将棋のA級順位戦の最終戦が一斉に行われた。
某国営放送が「将棋界の一番長い日」と題するこの日は、毎年仕事をせずに観戦することにしている。恒例ではあるが、またまた感動させられるのである。
やはり一番の注目カードは、佐藤棋聖 vs 久保八段だろう。佐藤棋聖は連続勝し越し記録がかかっている。久保八段は降級がかかっている。
おいらは、いきなり序盤から驚かされた。戦形は相振り飛車。後手番の佐藤棋聖は9一玉へ一直線で穴熊に入る。これを見て久保八段は8筋に振った飛車先の歩を交換する。そして、久保八段が8五飛と引いた瞬間。おいらは、ええっ?っと思わず声を発した。
この飛車が2筋に回ったら、角頭を防ぐには3三に飛車を浮くしかない。これは自分の角道も塞いで、飛車も動けない状況になる。だからといって8筋に歩を垂らされるのも辛い。どちらを防ぐのか?玉に近い8筋を優先して2筋は飛車を浮いて防いだ。久保八段の角道に飛車があたるのは覚悟の上だ。
佐藤棋聖が指した9一玉のタイミングは、もしかしてチョンボ?まさかA級棋士が序盤の序盤に?おいらなら、やる気をなくして投了しそうな場面である。
プロ棋士によっては、攻めさせるための誘いの手だったと解説している人もいる。それにしても、8五飛のタイミングで佐藤棋聖が長考するのは妙である。しかし、後に佐藤棋聖が優勢と思わせる場面もあるから、やはり誘っていたのかもしれない。その後、繰り出す手が不可解?勝負手?実は、形勢が苦しいとみての思い切りだったのではないか?気持ちは佐藤棋聖を応援していたが最後は投了。いつのまにか勝敗などどうでも良いと思っているのである。
真相は不明であるが、おいらには到底計り知れないレベルで感動するのである。達人がやるとポカも妙手になるのだろうか?この真相を解説したサイトを現在も探索中である。将棋チャンネルの中川七段の解説で、実は最後の最後に大逆転の妙手もあったと知って、またまた感動するのである。
すっかり気分が盛り上がってしまったアル中ハイマーは朝一番で書店に走った。将棋関係で心理面などを解説した本が読みたくて探していると、本書を見つけるのである。
将棋は一見ロジックの世界のようであるが、本書は冒頭からメンタル面の重要性が語られている。
まあ、数学の世界に似ているのだとは思うのだが、フィールズ賞の小平先生の数学は高度に感覚的な学問であることを「数覚」と言ったことを持ち出している。
定跡を研究すれば、60手、70手ぐらいまで正確に指すことができるが、知識を知恵に昇華させないと勝てない。情報化社会では新手の研究は報われない。著作権はない。だからといって諦めては流される人生になる。こういう時代だからこそ、自分なりのスタイル、信念が重要である。
経験と机上の研究とは深みが違う。経験を積むことによりネガティブになるが、このマイナス面に打ち勝つ理性を同時に成長させないと経験を生かすのは難しい。
といったことが語られていく。
棋士は、数学と同じで複雑系を定跡という形で体系化しようと努力しているが、結局、ぎりぎりの勝負で力を発揮できる決め手は大局観と感性のバランスであるということのようだ。
また「決断とリスクはワンセット」などで、ビジネスの世界にも少々踏み込んだ場面もある。
「物事を進めようとする時、まだ、その時期ではない。環境が整っていない。とリスクばかり強調する人がいるが、逆説的に言えば、整っていない環境は良い環境だとも言える。日本は同質社会ということもあって、このバランスが悪いと思う。リスクを負わない人がいる一方でリスクばかり負わされる人がいる。決断を下さない人に減点がないから決断を下せる人が生まれてこないのではないか。自己責任という言葉を最近よく耳にするが、リスクを背負って決断を下す人が育たないと、社会も企業も現状の打破にはつながらないだろう。」
同じ発言でも、ある分野でトップを極めた人間の言葉は重い。アル中ハイマーが同じことを言っても、飲み屋の姉ちゃんからハイハイでおしまいなのである。
将棋というと、アル中ハイマーはずっと疑問に思っていることがある。
先手と後手どちらが有利か?である。プロ棋戦の勝率をみると圧倒的に先手が良い。数学的にも選択幅が多い分、先手が有利なような気もしないでもない。しかし、内容を見ると後手番が戦形を試している節もある。プロ棋士は後手が不利と最初から意識しているからかもしれない。こうした心理が数字を助長しているようにも思える。
本書では、カーネギーメロン大学の金出先生の
「将棋の指し手の可能性は10の30乗ぐらいあり、地球上の空気に含まれる分子の数より多い。アボガドロ数に達する数にはコンピュータも答えられない。」
を持ち出して、プロでも将棋のことは意外とわかっていないということも語っている。
実際、戦いが始まると、仕掛ける側は予め駒損を覚悟しなければならない。極めつけは、最近有効な戦法とされている「一手損角換わり」である。後手から仕掛けると2手遅れることになる。わざわざ一手損戦法が使われるから、更に疑問が深まるのである。
また、谷川 vs 羽生の対戦成績だけをみると、著者から見て先手番よりも後手番の方が勝率が良い。これが、佐藤戦、森内戦となると、明らかに先手番の勝率が良い。本書では谷川九段に対する特別な思いが伝わる。
「谷川先生とは200局はいきたい。他の人と比較しても、谷川さんと私との対局は一番多いものとならなければならないと思っている。谷川さんとは対局を離れるとほとんど会話をしないが、最も理解しあい信頼できると自負している。」
と語っている。この二人の対戦成績には重みが伝わるのである。
先手と後手という意味で語られているとしたら、本書ではこの部分が一番近いような気がする。相手に手を渡すことの難しさと重要性が語られている。
「できるだけ可能性を広げて、マイナスにならないようにうまく手を渡す。相手に自由にやってもらい、その返し技をかけることが重要である。この選択は気持ちに余裕がないとできない。それなりに対応できる自信、手応えがあって手を渡せる。確固たるものではないが、好調な時ほど、そうしたものである。」
ここだけ読むと後手番が気楽なようにも思える。素人でも先に仕掛けると手を作る難しさがあるが、受けに回ると気楽な面もある。もし、勝ち負けしか意識しない将棋の神様が二人いて対戦すると、ずっと駒がぶつからないような気がするのである。
ちょうど先日、王将戦第六局(羽生 vs 佐藤)があった。
先手番の羽生はあっさりと千日手にして指し直しとなった。指し直し局は後手番で熱戦の末負けた。本当に先手番が有利ならば、もうちょっと工夫してもいいのではないかと思って観ていた。過去の対戦からの流れもあるのだろう。このような駆け引きは奥が深くて理解できない。また、いままでに勝ったことが無い手順をわざわざタイトル戦で採用して負けてる場面もある。佐藤棋聖も同じように、不利と言われている戦形をわざわざ採用して、やっぱり負けてる場面もある。これらの行動は理解不能であるが、逆に魅了されていくのである。
本書にこうした行動に対する答えがあった。
「自分の熟知した戦法ばかり採用していると、長い目で見ると必ず現在のポジションを失う。最近では相振り飛車を使う。プロの間ではあまり使われない戦形である。いままでに千局以上対局してきたが、十局も指していない戦形だ。相手は熟知しているエキスパートだ。経験がほとんどないからあえなく撃沈である。それは先行投資のための授業料を払ったと思っている。勝ちを優先することは、企業で言えば目先の利益を優先することである。」
大一番では安全な手法をとりがちになるのは当り前であろう。著者もそう述べている。しかし、確実という気持ちに逃げると、逆に勝ち続けることが難しくなるという。なるほど、納得である。負けるとわかっていても、あえて挑戦しているように思えたのは間違ってはいなかったのだ。
アル中ハイマーの眼力も捨てたもんじゃない。こうして自分に酔っていくのである。いや!アルコールに酔ってるのかもしれない。もはや何に酔ってるかわからない。アル中ハイマーとはそうした病気である。
結局、先手と後手はどちらが有利か?という問いに対する答えは見つからなかった。しかし、アル中ハイマーは断言できるのだ。先手で酔った方が幸せだということを。
2007-03-11
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